日本の文学賞

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ららら科學の子

三島由紀夫賞

ららら科學の子

矢作俊彦

中国から帰国した男の眼差しを通して、戦後日本の記憶と現在のずれを描く長篇小説。乾いた文体と時間の重なりが、個人史と社会史を結びつける。

戦後日本帰還個人史

作品情報

『ららら科學の子』は、受賞歴から作品の輪郭が見える一作で、作者の関心が題材と語り口に表れている。

中国から帰国した男の眼差しを通して、戦後日本の記憶と現在のずれを描く長篇小説。乾いた文体と時間の重なりが、個人史と社会史を結びつける。 公開ページで紙書籍に対応する識別子を確認し、判明した範囲で ASIN、ISBN-10、ISBN-13 を補完した。

レビュー要約

  • 読者の反応は、題材の独自性と語りの手触りに向けられている。物語や論旨の余韻を評価する声がある一方で、入手できる公開情報が限られるため評価傾向は控えめに扱った。

書籍情報

出版社
文藝春秋
発売日
2003-09-25
ページ数
480ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784163222004
ISBN-10
4163222006
価格
410 JPY
カテゴリ
本/文学・評論/文芸作品/日本文学

男は殺人未遂に問われ、中国に密航した。文化大革命、下放を経て30年ぶりに帰国した男を匿う組織と蛇頭の抗争。幼くして別れた妹の行方は?

レビュー

  • そんなものは、ありゃあしないんだ。

    矢作俊彦というのは器用な作家である。 そのテーマというのか、趣旨とでもいうのかによって、作品毎に文体を書き分けてみせるということが出来るのだ。 本作では、19歳の時に中国に密航したが、文化大革命、下放を経て三十年振りに日本に戻ってきた男が主人公だ。 その為なのだろう。語り口はシンプルというか、スパン、スパンとぶった斬った様な形を採っている。 その気になればレイモンド・チャンドラーを彷彿とさせる様な比喩に富んだ文章だって書けるというのに、だ。 勿論、だからと言って決してその文章に粗さを感じさせることはない。ただ単に端的な物言いというだけであって、なんとも絶妙と言える塩梅なのである。 さらには、主人公を「彼」と呼ぶ三人称形式でありながら、「彼」の視点で物語を紡いでいき、また、その心情に関してもつぶさに表現している。ということはつまり、もうデビューした頃のハードボイルド作家というものに囚われている訳ではない、ということだ。ハードボイルド小説とは、客観的な視点で、ドライに事実だけを書き表わす形式の作風であるのであり、本書は純文学の類とも言える出来栄えで、やはり1990年代に入ってから、著者が作風の幅を広げてきたその成果が如実に感じられるのである。 そこで作品を面白くさせる為に肝となる大事なことは、「彼」のキャラクター造形及び、その表し方となる。それと、今現在日本に居る「彼」を取り巻く人々にも勿論興味を引く訳なのだが、物語自体がやや平坦な展開をしている割には、続きが気になってついつい読み進まされてしまう当たりからして、そういった作劇も良い具合に成功している作品と言えよう。 三十年前。 殺人未遂で指名手配されたことも無関係ではなかったが、国を捨てること、それが主題の行動だった。 その「彼」は、密入国を果たし、東京へとやってきた。 変わり果てた様で、昔からこうだった様な気さえしてくる街並。中国の片田舎の村ではお目に掛かることのない現代日本のモノたち、ヒトたちに戸惑ったり、不思議なほど驚かなかったりもする。 もっとすべてが新しくなっている筈だった日本。だが、あちこちが、ただ汚くなっただけに見えた。 「片すかしを食ったってところだ」 そう言いながら、「彼」は三十年前に気まずく別れたままの旧友、何ひとつ別れの言葉も残さないまま袂を分かった父、母、妹の消息を慮る。 また、身の置き所も無い筈の現代の東京で新たに出会った、日本で生きる人々との遣り取りもまた面白い。 この作品を書いていた頃から、また更に二十年が経過している。その為、今この物語を読むとすれば、当然それなりにギャップはあるだろう。 しかし、「彼」を中心に据えながら展開していく物語は、当時のことを想像力で補完さえ出来れば、とてつもなく読み応えたっぷりだと思う。 本作は、1997年から連載され、2003年に完結、単行本化された。そして、2004年に第17回三島由紀夫賞を受賞している。 映画監督の川島 透から、「ららら」を付けた方が絶対にいいと言われ、ああ、なるほどと思ってその案を採用したと言うこのタイトルは勿論『鉄腕アトム』の主題歌からの引用だ。 で、その示唆するところは何か? 三十年振りに生まれ故郷へ独り戻ってきた「彼」が選択するのはなんだろう?

  • 「よれよれのオヤジ」さんに賛同です。

    「よれよれのオヤジ」さんという方のレビューがすごく当たってると思います。 一言で言うと「読む人を選ぶ」そういう意味では、村上春樹さんの小説に近いかな(文体やスタイルが似てるという意味ではなく) ミレニアム前後、或いはそれよりも前の渋谷に5年以上住んだ、または職場があった人、外苑前、表参道、六本木から麻布十番、西麻布、そして神泉や駒場東大前、井の頭通り、三軒茶屋、環七周辺の土地勘がある人にとっては、「あ、あそこだ!」みたいな話が、かなり出てきます。 そういう土地勘がほとんどない人にとっては、迷路の説明を延々と口説く説明されている感覚になるかもしれません。 そして単純にページ数や文字数、情報量も多くて内容も濃いので、それが苦手だという人にも向かないかもですね。 私はとても楽しめました。

  • monkudolphy

    美品でとても良い商品でした。未読ですが面白いと思われるので5点です。

  • 矢作さん、あなたは偉い

    もし許されるなら星を10個あげたいくらい大好きです。 しかし、よく考えてみると次のような方々にはあまりおもしろくない かもしれません(エラソーに聞こえたらごめんね。心配性なのです)。 1)30代以下の方 2)長嶋の現役時代を知らない方 3)訳者を問わず「ライ麦畑でつかまえて」は全くおもしろくないと 感じた方 4)東京の土地勘が全く無い方 5)「タックスマン」におけるポールのベース・プレイといわれて何のことか 見当がつかない方 6)「文化大革命」にこれまで一度も関心も興味もなかった方 あれれ、こうして考えると私の感動は超個人的なものなのかもしれない。 でも本当におもしろい本は、きっとそのようなものですよね?

  • 私には無理でした

    多くのレビューでこの本の素晴らしさが書かれていましたが,残念ながら私にはあわなかった. だらだらと単調なことが繰り返され,時々主人公が中国や昔に思いをはせる場面が 唐突に入り込み,それが読んでいて面白くなかったです. 皆様が絶賛するので買って読んだのですが,今回は失敗です. こんな意見もあることを御承知置き下さい.

  • 全共闘世代は何と戦い敗北したのか

    ベルリンの壁が崩壊し、天安門事件が起こった1989年から20年以上が経過した。 そんな2010年にいまどき、「社会主義」を擁護すれば笑われるのがオチだ。「失敗したものを、また実験することはないわ。何億人もの人生が失われるような、riskyな実験、するほどの価値がある思想なんかないもの」(P402)と。 私たちも、1968年に大学に立てこもった全共闘世代に、このセリフを繰り返す。だが、時代というのは、あるいはその時代を貫いた思想というのは、政治的成果の「勝ち負け」から帰納されるようなものなのだろうか。 本書は、全共闘世代に属し、30年ぶりの日本に帰ってきた「彼」が、現代の東京を放浪する記録である。 金髪ピアスで「東京大学教養学部」の講義要項を開ける学生や、短いスカートで「オヤジ」という女子高生などなどに驚く。そして、変わってしまった東京の街並みと、30年前の東京の記憶が交差される。 だが、もしこれらの記述が、それが過去を礼賛する単なるノスタルジーや、あるいは「負けてしまったもの」として過去の自身の「愚かしさ」を恥じるものとして総括されるのであれば、そこに大した魅力はなかっただろう。 だが、主人公の名前を最後まで与えられない「彼」は、「二本の足で飛翔し」、1968年を30年間に渡って生きた自分の人生の意味を最後まで問い続ける。 自分は何と戦ってきたのか。そして、何に負けたのか。「共産主義」や「大学民主化」といった太文字の正義ではなかったはずだ。 それは、直接的なセリフではなく、様々なエピソードの堆積によって語られる。その一つが、「犠牲バントをした長嶋茂雄」のエピソードだ。 「監督の川上は、長嶋に犠牲バントを強いた。それは成功した。覚えているのはそれだけだ。 (中略)翌々日、その一件は四〇〇番教室前の立て看板に引用され、彼を驚かせた。長嶋にさえ目的のために犠牲バントを強いる。この厳しさに学べ! 『まさしく手段は目的を結果する』 トロツキーのこの言葉を、それは見事に裏切っていた。 この国では、右も左も誰も彼も、目的を最優先してはばからない。その目的はただ勝つことだ。 考えると溜め息がでた。勝つと言っても、誰が何に。いったいどんな戦いで?溜め息は一度や二度ではなかった。どこか、ゲップに似た感触があった」(P135) 1968年に、全共闘世代の「みんな」が倒そうとした資本主義も、全共闘世代の闘争方法も、そして2010年の私たちも、長嶋に「バント」を命じるシステムの中にいる。 1968年に、「彼」が問うた、個人と組織の問題はいつしか、社会主義対資本主義という、「結果の勝ち負け」を競うものとして曲解され、今日に伝わっている。 「彼」は、物語の最終部で、表題にある鉄腕アトムのエピソードを思い出す。 「最終回のはるか以前、アトムは人類に楯突き、ロボット法を犯していた。海のカモメに、あの向こうにはどんな国があるのかと尋ねたロボット少年はガラス瓶に入れられて流れ着いた手紙に誘われるまま、海の彼方を目指した。悪漢に捕らえられ、はるか南洋の海底で奴隷労働を強いられている少女を救うために。 空を越え、海の彼方へ飛んでいる行けるジェットエンジンは、そのとき、たったひとりの人間のために法を犯し、海を越えた」(P477) そして「戦う相手も方法もそう的外れじゃなかった。間違いは戦う理由だ」と過去を総括し、「革命的敗北主義」として「たとえゲッツーをとられても、絶対にバントなんかしない」ことを誓い、中国に妻を取り戻すため戻る。 それは、本質的な意味で全共闘的な行動であり、2010年の私たちはやはり時代遅れだといって彼を笑うだろう。 だが、今の東京が、それがいいか悪いかに関係なく、30年前の東京を破壊した堆積として存在しえないように、2010年の私たちもそういう全共闘世代がいた、という歴史の上に存在しているのではないだろうか。 戦後や戦後思想への評価は、それがいかなる政治的起源をもって始まったかやいかなる政治的効果をあげたかの立証によって終結するわけではない。それは出発点にすぎず、その後、私たちはそれをいかに生きたかこそが検証されるべきだ。 戦後という、ある種の人々にとっては愚かしい日々もまた歴史なのであり、だからこそ、私たちは「戦後」との対話を忘れてはいけないのだ

  • 面白いけど面白くない

    学生運動まっただなかの1968年に中国に密入国し、30年ののち、日本に帰って来た男の話。現代版浦島太郎。浦島太郎が玉手箱を開けて白髪の老人になったあとの人生はわからないが、この主人公は……という部分を書くのは、ミステリーでないにしてもはばかられるだろうから書かないけれど、全体に面白いような面白くないような、もやもやとした読後感。この分厚い本を飽きずに読み終えたということは、それなりに楽しめたのだろうが、では何かを確かに感じたのかといえば、そうとはいえない。あえて陳腐な状況を設定しながら、そこからぐいぐいと読者を引き込んでいく類い希な筆力には脱帽する。 大絶賛する読者がいるだろうことはわかる。それはひょっとして全共闘世代なのか、要するにそういうことなのか。 主人公を「彼」という三人称で表した点、話者を特定しない会話文の置き方には最後まで違和感があった。 「なんか面白い本ないかな」という人は読んでみる価値はある。きっとね。

  • ちょっと疲れる

    30年の空白の物語です。 文の力がとても強いので一気に終いまで読み進めさせます。 学生運動から中国に渡り,帰ろうとしたら帰れるけど帰るのが難しい農村で妻を得た日々の後,日本に「密入国」した青年かつおじさんの蕩々とした彷徨を描きます。 作者の生きてきた時代が強く反映されていて,多分同世代の人にはたまらない親近感か非常な嫌悪感を抱かせるのでしょう。 けれども,主人公の出国したときにまだ生まれてもいなかった私には正直,読み進めるのがめんどくさいとも感じられました。 人物として厚みを持つのが主人公だけなので,主人公に感情移入できないと読み進めるのがめんどくさいのです。 その他の人物は書き割りのようというか,役目を果たすためだけにしつらえたようで,特に若い女性の書き方はファンタジーの産物の感ありでした。

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