日本の文学賞

← 受賞作品一覧に戻る
『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて 黒澤明VS.ハリウッド

大佛次郎賞

『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて 黒澤明VS.ハリウッド

田草川弘

映画『トラ・トラ・トラ!』をめぐる黒澤明とハリウッドの対立、降板の経緯を追ったノンフィクション。制作資料と関係者の証言から、国際共同制作の内幕を掘り起こす。

映画史黒澤明ハリウッドノンフィクション

作品情報

伝説的な映画制作の裏側に、黒澤明とハリウッドの緊張が浮かび上がる。

田草川弘が、映画『トラ・トラ・トラ!』の制作過程で黒澤明が直面した問題を検証する作品。企画、契約、撮影準備、解任をめぐる複雑な経緯を扱う。

書籍情報

出版社
文藝春秋
発売日
2006-04-26
ページ数
486ページ
言語
日本語
サイズ
18.6 x 13.8 x 3.6 cm
ISBN-13
9784163677903
ISBN-10
4163677909
価格
3699 JPY
カテゴリ
本/エンターテイメント/映画/総合

戦勝国の資本によって真珠湾奇襲を映像化しようとしたとき、もう一つの悲劇がクロサワを襲った。太平洋をまたぐ取材を敢行した力作!

レビュー

  • 青柳哲郎はどこへ行った?

    黒澤明の『トラ・トラ・トラ!』事件の往路検証本としては傑作。 ただし、当時の黒澤プロ代表として暗躍していた(現状としてはそう表現するしかない)、 青柳哲郎、当時の黒澤明がべたべたの付き合いをしていた青柳哲郎の、本人による執筆原稿、 あるいはインタビュー、その他の直接証言を盛り込んだ復路検証本が出ない限り、 残念ながらこの本は、中途浮遊のまま、永遠に着地することができません。 そういう性格の本であります。 それは、著者の田草川弘本人がいちばんよく知っていることでもあります。 なんとなれば、「この本はあなた自身が書くべきだ」と言って、本書の執筆を慫慂したのが、 他ならぬ田草川弘だったからであります。しかし青柳哲郎からは固辞されてしまい、 結果的に、田草川弘著の一冊として世に出たわけであります。 単行本刊行時にも青柳哲郎本人はまったく健在であり、もともと酒を酌み交わす 旧友でもある両名は、常に連絡を取り合うような仲でもありました。 青柳哲郎の父親は、戦前戦後、東宝争議後のプロデューサー、本編監督でもあった青柳信雄。 製作者としての苦労も積んでいたことから、難題が持ち上がっても器用に切り抜ける 才能に恵まれ、昭和二十年代末から三十年代にかけて、早撮りのプログラム・ピクチュアの 監督として知られています。これはいまでは、賞賛・憧憬の意味の方がはるかに強い表現ですが、 文藝至上主義、作家映画至上主義が本流で、一般的な娯楽映画が一枚も二枚も格下に見られていた (それも、観客から、というよりむしろ同業者から)当時の映画業界では、むしろ差別的な 意味合いの濃厚な「名声」であったことに注意しなくてはなりません。 青柳信雄には『制服の乙女たち』『ただいま診察中』『正続・おしゃべり社長』『続・社長太平記』 『モンテンルパの夜は更けて』『初恋三人息子』『エノケンの金太賣出す』『落語長屋は花ざかり』 『大学の28人衆』『逃げてきた花嫁』『鶴亀先生』『サザエさんとエプロンおばさん』などなど、 無数の軽喜劇映画の監督、製作シリーズがあります。 その一方で、重度の焼き物マニア、陶器マニアとしても知られ、後輩の黒澤明とは 陶器骨董の趣味でつながった仲であったのです。その実息であったこと、英語を操れたことなどから、 青柳哲郎と黒澤明は、家族同然の深い関係になったといわれています。 水原一平の直接証言がない限り、大谷翔平をめぐる曇り空が晴れないのと同じように、 青柳哲郎の直接証言が世に出ない限り、『トラ・トラ・トラ!』事件の本当のところも、 明らかになることはありません。 田草川弘=野上照代ラインによれば、「彼はこのままでは、英語圏で知られるような 風説の犠牲になってしまう」ということで、青柳哲郎もまた被害者、事件の犠牲者であった、 彼に対する肯定的な、彼の行動をかばうような言説をしています。その一方で、後期の 黒澤作品には厳しい目を向ける作曲家・佐藤勝によれば、青柳哲郎はほとんど詐欺師呼ばわりです。 佐藤勝の楽曲の海外版権も「あいつにやられた」と言っています。事件後の黒澤明が 青柳哲郎のことを、感情的反動も手伝って「あいつは人間じゃない」と苦り切って、 吐き捨てるように言っていた、佐藤勝はそのようにも断言しています。 (証言集成本『KUROSAWA』所収の、生前最後のインタビュー参照) たったこれだけのことだけからでも、青柳哲郎という人物の毀誉褒貶ぶりをうかがうに充分ですが、 それだけに、青柳哲郎という核心を欠いたままでは、およそ「事件の真相」にはほど遠い、 そういうことにしかならないのです。果たして、今後の真相開示展開はあるでしょうか?

  • 戦争で敗け、映画でも敗けたかと思ったが、戦争と芸術、どちらにも勝者敗者はおらず、どちらも悲劇!

    2006年4月25日の初版、単行本ハード・カヴァーのレビューです。 当時は他に目ぼしい作品がなかったこともあったのか、講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、大佛次郎賞など受賞数が多い割には、それほど売れなかった本。 しかし、アメリカでの丹念な資料探し、単行本486ページというヴォリューム等、本書自体がスペクタクルであり、多々の謎を追うミステリーであり、山本五十六(P314~)やドストエフスキーの霊まで出て来てホラーの要素も加わり、捲り始めたら「止められない、止まらない」という某菓子メーカー宣伝文句のような一冊だ。 構成が実に巧み、P453~のエピローグ、P468~のあとがきで、驚くべきことが明かされる! 英独米監督分業制で成功した『史上最大の作戦』の二番煎じを狙った20世紀フォックスと、黒澤プロダクション(『隠し砦の三悪人』がいた?)との様々な行き違いを、執拗な調査を基に著した渾身のノンフィクション。 P55、「黒澤が体験してきた日本の映画製作システムは、あくまでも監督中心」とあるが、山中貞雄、小津安二郎、成瀬巳喜男、日活を振り出しに移ってきた溝口健二などの松竹は監督主義、しかし、黒澤明がいた東宝はプロデューサーの主導権が強く(高峰秀子の『わたしの渡世日記 上下』にも言及あり)、その中で黒澤は珍しい監督主義の人。 黒澤ファンだった亡父に、「天皇の人間宣言後、日本人の喪失感から、映画業界という狭い世界だけで本人と周りの勘違いもあり、天皇と呼ばれているだけじゃん」と言ったら、怒られたっけなあ。 当時、亡父は40代、怒涛のような物語性の黒澤から、平坦で退屈な中に人の常、真正を探ろうとした小津や溝口へと興味が移行してもよかったのに、60代~70代になっても子供のように信奉する人は多いからね。 P54冒頭、「カラヤンは指揮棒一本で世界中の人々に自分の音楽を理解させ、画家は絵筆一つで世界中の人に自分の考えを伝える。自分にキャメラとフィルムを与えてくれれば、僕は世界中の人に理解して貰える映画を作れると確信している」と。 NYで行われた『暴走機関車』製作発表の弁だが、皆さんはどう思うだろうか? 黒澤は脚本、監督、編集を手懸ける映画人であり、「白一色の雪原を真っ黒な機関車が突進」と書き何の疑問も持たないが、米国側では通用せず、実写か特殊撮影か、実写でも空撮か望遠か、雪原風景は何処から撮るものなのか、きちんと記されてなければ、上層部がOKせず、黒澤の頭の中にイメージがあり、それを現場の状況で次々変更するなど許されない訳だ。 英語をほとんど解さぬ黒澤が米国俳優に対し、どう演出しようとしたのかと、著者は疑問を呈しているが、おそらく何とかなる、または、何も考えていなかったとしか思えない。 『トラ・トラ・トラ!』製作発表時、日本側は「総監督」、「総指揮」と発表したのに、実は単なる日本分担の下請けに過ぎず(P310~P311の図表が明確)、アメリカ側のフィルムに一切手をつけることは許されず、編集権もなかったとのこと。 嫌っていたリチャード・フライシャー(遠藤周作が好きだった『ミクロの決死圏』の監督)をフレッド・ジンネマン監督クラスに替えろと駄々をこねるし、既にフライシャーが撮ったフィルム試写時に黙って席を立ち、後に自ら撮り直すつもりだと関係者に語ったというから驚く。 P242~、東映京都撮影所(太秦)でのトラブルが圧巻! 不眠から毎日深酒し、安定剤を服用、現場スタッフへ無理難題の連続、被害妄想からヘルメット着用、ボディガード要請、宿泊先の俵屋旅館では酔って備品を毀して追い出されるわ、完全なアル中じゃないか(P182~の青柳哲郎プロデューサーに宛てたメモも参照のこと)。 P350~は黒澤の病理についての詳細。 P373~、『黒澤明の精神病理』(柏瀬宏隆、加藤信)を引き、黒澤が「てんかん」であり、その特徴の一つとして性的活動低下を挙げ、「女性との愛が主要なテーマとして取り上げられていない」と指摘していて、納得。 臆測するに、当時としては遅い結婚をも考慮して、バイセクシャルの傾向もあったのではないか。 黒澤邸に長く居候していた俳優土屋嘉男の著書『クロサワさーん! 黒澤明との素晴らしき日々』(新潮社)を読むと、どう考えてもそうとしか思えないのだ。 P411~、契約書を巡る、「英米法」と「大陸法(ドイツ、フランス)」の対比は興味深い。 「大陸法」は成文法主義、「英米法」は判例法、慣習法からなる不文法がメインだから、日本における『六法全書』の類はなく、そうか、だから、フランスとの合作『乱』が大きなトラブルもなく終了したのは、日本の法律が「大陸法」を基に作られたということもあるのかも。 P450、「日本映画界の新しい動きを、黒澤監督はあまり重視していなかったように思われる」とあるが、果たしてそうだろうか。 表現者、特に映画という社会や風俗との関わりが深い周縁芸術においては、「自らが時代の先端でありたい」という欲望から逃れるのが難しいからだ。 フランスのヌーヴェル・ヴァーグ、アメリカン・ニュー・シネマ、吉田喜重や大島渚などの問題作を無視できなかったからこそ、『どですかでん』という意欲が空回りした作品を撮ってしまったのでは? ここに書かれてはいないが、1920年代、エイゼンシュテインやルイス・ブニュエル等、破格の教養人が、映画の大きな可能性を示唆し、ここに書かれてあるように、1950年代の邦画隆盛の立役者たちは学歴で言えば高卒、中卒、小学校卒のアーティストではなく偉大なる職人=アルチザンだった。 アートへの憧れから出発し、任侠やピンクを嫌い、1960年代の日本映画界を憂いた黒澤に対し、ハリウッドの大手製作会社にとっての映画は、所詮、プラグマティズムに裏付けされたビジネスでしかなく、そこに付け込んだ日本人数名がいたことを、礼節を保ちはっきりとは書いていないが、行間から明白に感じ取ることができる。 要するに、契約書を見せれば、黒澤が絶対に承諾せず、仕事を失うからであり、戦後日本における価値観の変動、アメリカナイズされた一部日本人の見苦しさが認められ、そこに最大の悲劇=トラジディがあったようにも受け取れる。 しかし、26回書き直した無駄こそ豊穣であり、黒澤は作品を超えた悲劇を遺し、それに迫った本書は、映画ファンではなくとも非常に興味深く読めるはず!

  • 安い!

    気になってた商品(本)です。ありがとうございました。

  • それでも残る疑問点

    他の方も書かれているとおり、大変な手間がかかった労作で、一気に通読しました。ただ、それでも次のような疑問点は残りました。第一に、黒澤オリジナル脚本には、米国の主流史観である「卑劣なだまし討ち」論を覆すだけの内容があったのか、本書で部分的に引用されている箇所を読む限りでは、黒澤の意気込みとは裏腹に、それだけの効果は、とてもなさそうでした。黒澤が、出来もしない高い到達線を設定して、自爆したという印象を受けます。オリジナル脚本の商業出版は無理かもしれませんが、どこかの図書館等で読めるようにできないものかと思いました。第二に、これは本書の主題からは少し外れますが、米国との共同制作で惨憺たる失敗をした黒澤が、後年デルスウザーラで素晴らしい仕事ができたのはなぜでしょうか?黒澤が失敗から学習したのか、モスフィルムの受け入れ態勢が良かったのか、そういえば乱もフランス資本だったと思いますが、途中で放り出したりせず、完成に至っています。後年、外国資本との共同作業がうまくいっているのは、黒澤が丸くなったということでしょうか。続編として、その辺の事情を書いていただけたら良いと思いました。本作では上記の疑問点が解消されないので、星三つとさせていただきました。

  • 日本映画界の隠れた貴重な歴史を掘り起こした力作。

    昭和33生まれの私は当時 中学生で映画本編は新宿ピカデリー(ディメンション150)で観た記憶があるが それ以前の騒動は小学生だったため殆んど知らず、ただ真珠湾攻撃の映像を見て感動した。 しかしこの本を読んで当時 巷で騒がれてた事が分かった、(トラトラトラ)以前の(暴走機関車)に触れていることが ナルホド感を印象ずけている。 シナリオに3年も費やし完成すら出来ず途中降板させられた無念さは凄く伝わった。 黒澤明と言う人物が生粋の芸術家であってハリウッドの監督たちは職人が多い、多少は妥協しても次へ進んでしまう 映画産業の一員でしかないことが良く分かった。 私は今 当時の黒澤明と同年代なので人生山あり谷ありの 一番深い谷の時期だったのだと感じた。 マカロニウエスタンの巨匠(セルジオレオーネ)も遺作となる(ワンス ア ポナタイム イン アメリカ)でも彼は痛い目にあっている、 ハリウッドに初進出して映画を撮り終えたが メチャクチャに編集されてしまい 思い通りに完成しなかった。 映画産業と芸術作品制作(妥協しない)文化の違いを教えて貰った。

  • 事実は通説を駆逐する。

    世界の巨匠に遠慮してか?誰も口を開かなかった監督降板の背景を、貴重な資料をもとに明らかにした書。知っていると思っていた事が崩れて来る。黒澤を知るのに重要な一冊。

  • この著者のみが書きえた感動的な労作ではある。が、しかし…

    『トラ・トラ・トラ!』制作発表が67年4月。黒澤解任が68年12月24日。監督交代して作品は完成し、70年9月末に東京・ホノルル・LA・NYで封切公開。 これが時代の激動期であることは、著者も第9章末で触れている(p447)。あえて付け加えれば、『イージー・ライダー』が69年に公開されて大ヒット(この辺りの事情については、町山智浩の『映画の見方がわかる本−「2001年宇宙の旅」から「未知との遭遇」まで』を推薦しておく)。蓮實重彦風に言えば、スタジオ・システムの崩壊によって映画が「死」を迎える73年を目前に控え、映画界には不吉な空気が漂っていた(筈だ)。この時期に『史上最大の作戦』(62)のパールハーバー版を作ることが、何を意味したか? 本書は要するに黒澤の「勘違い」「すれ違い」の物語であり、それはそれでメロドラマとして感動的だ。ただ、その根本には拭いがたい「映画への勘違い」「映画とのすれ違い」があった、と評価せざるを得まい。 山本五十六の「悲劇」を描き出そうとする黒澤に、著者は同じ「悲劇」の反復を見ようとしている。しかしおそらく、「悲劇」は著者が考えているよりもう一段深い。つまり黒澤は、「映画の死」をいかに生きるかについての戦略を誤ったのではないか。むしろ黒澤とハリウッドとの接触がもう数年遅れていたなら、事態はいくらか好転していたかも知れない。 私個人としては黒澤版『トラ・トラ・トラ!』より、『暴走機関車』を観たかったと思う。

  • 映画は1人ではできない。

    大変、面白くて一気に読みました。 天才クロサワ監督の数々の名作も、東宝の献身的なスタッフと、名優に囲まれていればこそ生まれたものであると確信しました。 「7人の侍」他の、三船、志村時代のクロサワ映画は、奇跡のような名作です。 人間はこうまで傲慢になれるのでしょうか。プロ俳優を侮った黒澤監督、それでもクロサワを慕った三船さんは素敵です。

関連する文学賞