作品情報
父の名と自分の絵、その両方を背負って生きる。
文藝春秋の単行本として刊行された作品。明治から大正にかけて、天才絵師・河鍋暁斎の娘である河鍋暁翠の人生をたどり、父の影に翻弄されながらも絵師としての道を探る。
書籍情報
- 出版社
- 文藝春秋
- 発売日
- 2021-05-12
- ページ数
- 328ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 13.8 x 2.4 x 19.4 cm
- ISBN-13
- 9784163913650
- ISBN-10
- 4163913653
- 価格
- 1867 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/歴史・時代小説
【第165回直木賞受賞作!】 鬼才・河鍋暁斎を父に持った娘・暁翠の数奇な人生とは――。 父の影に翻弄され、激動の時代を生き抜いた女絵師の一代記。 不世出の絵師、河鍋暁斎が死んだ。残された娘のとよ(暁翠)に対し、腹違いの兄・周三郎は事あるごとに難癖をつけてくる。早くから養子に出されたことを逆恨みしているのかもしれない。 暁斎の死によって、これまで河鍋家の中で辛うじて保たれていた均衡が崩れた。兄はもとより、弟の記六は根無し草のような生活にどっぷりつかり頼りなく、妹のきくは病弱で長くは生きられそうもない。 河鍋一門の行末はとよの双肩にかかっっているのだった――。
レビュー
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画家の業
明治22年、絵師、河鍋暁斎(かわなべきょうさい)が亡くなった。娘のとよが絵師として父を手伝っており、家業を継ぐことになりそうだ。しかし、腹違いの兄、周三郎はとよに絵の才能はないと言い切る。周三郎も絵師だが、とよよりも優れた絵を描く。周三郎は父のこともとよのことも嫌っていた。 それでも、とよは展覧会に出した絵が二等になったりして、だんだんと実力をつけていく。 そんなとよたちの前に、暁斎の隠し子だという娘が現れた。画号を暁宴(きょうえん)というらしい。これが真実なら、とよの異母妹になる。しかし、実はこの娘の正体は…というエピソードも描かれる。 その後、とよは結婚する。相手の常吉はスタンフォード大学を卒業した頭のいい男だ。輸入販売業者の高田商会に勤めている。とよは挿絵や広告の絵を描く仕事を受けながら、女子美術学校で教えていた。 その後、よしという女の子を出産するために美術学校を辞めた。 そして、兄の周三郎はガンで亡くなり、とよは夫の常吉と離婚してまで絵を描くことにこだわる。離婚の理由は「優しい夫と一緒にいては絵が描けない」というものだった。凡人には理解しがたいが、「画鬼」と言われた暁斎の血を受け継いだとよとしては、それだけ絵に集中する必要があったのだろう。 ここでは画家だが、芸術家とは何と大変な仕事だろうか。己の持てるものすべてを注ぎ込んで作品を仕上げる。その上、とよのように偉大な父を超えられない、努力に見合う成果が得られないことに悩み続けなければならないのだ。天才と狂気は紙一重というが、まさに狂気をはらまなければ傑作はできない。画家の業の深さを思い知らされた。
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文書がうまい
派手なストーリーではないが、文書のうまさにより最後まで読み切ることができる。
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平坦で退屈。私にはつまらなかった
読後の感想は、「つまらなかった」。 河鍋暁斎の娘、とよが、父、あるいは兄との関係性についてわだかまりを抱きつつ、その流儀を変えずに画家として生きていく様を綴った小説だが、あえて分類するとすれば、これはエンタメ小説ではなく、時代背景を明治大正時代とした純文学の範疇に入るのではないかと思う。 徹頭徹尾、とよが父や兄の存在におびやかされ、親子とは、兄弟とはの自問自答を何度も重ねつつ物語が展開していくが、内容は至極平坦であり、正直、読んでいて退屈した。平坦だからいけない、ということではない。ときどき挿し挟まれる比喩表現や言い回しが私には的外れに感じられることが多く、共感できない部分が多かった。 しかも、とよとの関係性が稀薄な人物とのエピソードがしばしば切り取られ、それに多くの紙数を割いて記述するほど大げさなものなのだろうかと首をひねる箇所も多く、最後まで合点がいかなかった。 さらに、例えばとよに終始付き従い、まるでとよの家僕のように滅私奉公するりうという登場人物の人生を、とよはどう思っているのだろうか、といった点も気になった。りうをどこかへ嫁がせようと働きかけるとか、りうに感謝している、あるいは、りうに申し訳ない、といったとよの心情を述べた箇所は一切なく、りうがとよにとって、ただ都合のいい道具に過ぎないように感じられ、違和感を抱いた。 好みの問題なのかもしれないが、私はこの小説を好評価することはできない。
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「画鬼」と呼ばれた天才絵師に娘ではなく弟子として産み落とされた女流絵師の「家族」を追い求めた一生
作者である澤田瞳子の作品を拝読するのは今回が初。完全に前知識無しでタイトルから受けた何かしらの予兆みたいな物に引っ張られる形で手に取った次第。 物語は明治22年、幕末から明治前半にかけて「画鬼」と呼ばれ、狩野派の流れを受け継ぐ天才絵師として知られた河鍋暁斎の葬儀の場面から始まる。暁斎の弟子たちに気を使われながら葬儀を済ませた暁斎の娘・とよ(後の河鍋暁翠)は弟子たちから「周三郎さんはどこへ?」と尋ねられる。 長男であり喪主を務めねばならない立場でありながら精進落としの席を中座したまま姿が見えなくなった兄の周三郎が本郷に建つ別宅に戻ったものと当たりを付けたとよは弟弟子の様な八十五郎を連れて本郷へと向かう。 だが、本郷でとよを出迎えた周三郎が描いていたのはとよが角海老から受けた仕事で「姐さんの仕事を横取りか」と色めき立つ八十五郎をよそに周三郎はとよの才の無さを論う。自分にも暁斎に比肩するとまではいかずともまともな絵が描けると反論するとよだったが、追い打ちを掛ける様に周三郎は「親父はお前を歳を取った自分の世話をさせる為に絵を仕込んだのだ」と北斎の娘・応為と変わらぬと吐き捨てるが…… 「あるべき家族の在り様」とは何か?この作品のテーマは紛れもなくそこにあるのではないかと。平凡な家族とその愛情の中で育ったであろう一般人ですら悩むこの大問題を、天才絵師として知られる父親とそんな父親に対する愛憎と才では全く及ばないコンプレックスを抱えながら生きざるを得なかった一人の女性絵師が一生涯に渡って向き合い続けた姿を描く作品、この作品のコンセプトを簡潔に伝えようとするならその辺りに落ち着くかと。 主人公のとよ=河鍋暁翠についてはろくに知らなかったので調べてみたら明治後期から大正年間に活動した女性絵師らしく、本作の表紙を飾る「五節句之内 文月」も彼女の作品であるらしい。 物語の方は上でご紹介させて頂いたとよの父親で「画鬼」と呼ばれた天才絵師・河鍋暁斎の死から始まりタイトルの「星落ちて、なお」もこの巨星が堕ちた後にも遺され、とよを振り回す事になった暁斎の影響を指すものかと思われる。 ……世の中「二世」「二代目」と呼ばれる人々が「しょせんは親の七光り」「親には及びもつかぬ」という色眼鏡で見られる事が多いものだけど、幸いにしてとよを取り巻く人々は善人ばかりで表立って嘲笑する様な手合いは登場しない。だが、表立って「七光り」と嘲笑されなくても親と同じ道に進んだ自分の才能が全く及ばないという事実は時に嘲笑以上に傷を負わせる事もある。 その象徴たるエピソードがとよの結婚生活であろうか。弟子の一人が世話をしてくれた結婚相手は明治時代においては奇跡ともいえるぐらいに「理解のある男性」なのだけれども、この時代に「好きに生きてくれ」と示す愛情はとよを全く救わない。 夫から理解と自由が与えられてもとよの胸のうちに湧き上がるのは「この人は優しいけれど自分が逃れられない画業の辛さを理解してくれない」という孤独感と絵師と一般人の間に横たわる絶望的な距離なのである。冒頭でとよを葛飾北斎の娘・応為に準えた兄の周三郎が「あの親父は俺たちにゃ獄だ」と吐き捨てた様にとよは物心着く前に絵師に仕立て上げられそこから逃れられない身であり自身が他人に理解して貰える「普通の人」では無い事を繰り返し突き付けられる。 そして本作においてこの孤独は家族という枠組みを通じる形でとよを苦しめ続ける事に。赤い血ではなく、墨で繋がった暁斎や周三郎以外には理解者がいない絵師の孤独をとよは家族を得る事で埋めようとするのだけど、家族としての愛情を知らない自分にどんな家族が作れようかという悩みは長年にわたってとよを苦しめ続ける事に。 とよは別れた夫との間に娘を授かり女手ひとつで育てようとするのだけど「自分の酷い人生を繰り返す事だけは避けたい」と娘を絵から遠ざけようとして、それがまた娘を、とよを苦しめるタネになるのだから何とも救われない。 人として、母として理解者が得られないのであればせめて画業だけでもとよの味方であれば良いのだけれども明治の、文明開化の時代は暁斎が学んだ狩野派の技法を「古臭い」と当の絵師たちも含めて切り捨てる方向へと進み続けるのだからとよの孤独は深まるばかりなのである。 ただ、面白い事に本作で描かれるのはとよを含めた河鍋の血筋だけでは無い。暁斎の弟子であり、とよの弟弟子みたいな八十五郎も大手酒問屋の旦那でとよのパトロン的な立場でもあった清兵衛も家族を設けるのだけれども、その人生は順調とはいかない。時に婿として入った家を追い出され、あるいは妻を大いに傷付けることとなり例え一般人であっても幸福な家族を作り上げるのは容易では無いのだと繰り返し読者に訴えかける。 ただ、そんなイザコザだらけで上手くいかない事が当たり前の様な諸々の「家族の問題」は本作におけるとよの立場を想えばどこか「救い」になっていたかもしれない。要するに「一般人ですら思うに任せないのが家族なのだから、まともでない育ちの絵師が家族の問題で悩むのは当たり前だろう」ってな訳である……周りが完璧超人ばかりであるよりはダメっ子、ドジっ子がちょいちょい居た方が気は楽でしょ? その意味で本作は選択の余地もなく絵師にさせられてしまった、まともな愛情など受けようも無かったとよの救済の物語であると言えるかも。一般人には理解して貰えない絵師と言う生き方しか出来ない自分の需要に至るまでの過程こそが本作を通じて作者が描きたかったものではなのかと本を閉じながら思わされた次第。 追記 それにしても大芸術家の子として生まれ、父に愛憎を向けながら(どっちかと言えば憎が多め)いざ結婚したら自分が嫌っていた父そっくりだったと気付かされるあたり、とよのモデルって「美味しんぼ」の山岡士郎なんじゃないのかと密かに思っていたりする。
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面白かったかどうか
画壇のこだわりがわかり面白かったです。
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配送がいい
中身は読んで分かった
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日本画のイメージを読みながら感じる
第165回直木賞受賞作品(2021年上期) この年の直木賞がこの作品と『テスカポリトカ』だというのは何とも好対照。 画鬼と呼ばれた父を持ち、自らも画家になることを求められ、女流画家として激動の時代を生きた女性の半生。 ストーリがテンポよく、狩野派の絵の表現もとてもいい。なんだか色彩があるように思いながら読み進めることができる。色彩というか、日本画的イメージがついているというのかな。言葉からそういうものが読み手に伝わる作品。 親に職業を強いられる。これって家業の場合だと思うが、画家というのさらにそういう筋というか才能がないとなれない。より複雑化した後継ぎ問題をはらんでいる。 当時の女性の苦悩としてはそんなにひどい表現はないのだけど、それも女流画家となった主人公だからこそかもしれない。 読後感もよい作品。
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毎章惹きつけられる
毎章、終わり方がとても惹きつけられた。 どきどきしながらページを捲るのは久しぶりで、とても良かった。 重いような場面でも読み易く、するする読めた。
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