作品情報
真っ当に生きてきたはずなのに、気づけば人生の袋小路にいる中年男の憤りがコロナ禍の社会で暴発する!
筑摩書房より2023年11月刊行。四六判、152頁、定価1,540円(税込)。町田康から「誰の中にもある、暴れてとめられないもの、心の中の暴れ馬、の正体が書かれてありました」との推薦コメントが寄せられている。著者・西村亨(にしむら・りょう)は1977年鹿児島県生まれ、東京都在住。本作で第39回太宰治賞を受賞し同年南日本文化賞奨励賞も受賞した。著者自身が長年にわたり死と向き合い続けた経験が下地となった、魂の叫びともいえる作品。
レビュー要約
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賛否両論の評価。主人公の内面描写の圧倒的な密度と感情の生々しさを高く評価する声がある一方、主人公の行動や思考に共感しにくいとの意見もある。
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主人公の生きづらさへの共感や、コロナ禍の閉塞感を体感させる描写が支持される一方、重厚で息苦しいテーマゆえに読み終えた後に深く考えさせられるという感想が多い。
書籍情報
- 出版社
- 筑摩書房
- 発売日
- 2023-12-01
- ページ数
- 152ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 18.8 x 12.8 x 1.6 cm
- ISBN-13
- 9784480805157
- ISBN-10
- 448080515X
- 価格
- 1540 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品
♛第39回 太宰治賞受賞作 誰の中にもある、暴れてとめられないもの、心の中の暴れ馬、の正体が書かれてありました。 読後、暫くの間、サイレンのような叫びが鳴り止みませんでした。そしてなぜか、人にやさしくしたい、と発作のように思いました。 ――町田康(作家) 「自分は何も悪くないのに。(…)よしんば自分のせいだったとしても、こうなりたくてこうなったわけじゃないのに。」 真っ当に生きてきたはずなのに、気づけば人生の袋小路にいる中年男の憤りがコロナ禍の社会で爆発する! マッサージ店で勤務する柳田譲、44歳、独身。傷つきやすく人付き合いが苦手な彼の心を迷惑な客や俗悪な同僚、老いた母や義父が削り取っていく。自分が暴発してしまうまえに自死することだけが希望となった柳田をさらに世界の図らざる悪意が翻弄する――。
西村 亨(にしむら・りょう):1977年鹿児島県生まれ。東京都在住。鹿児島県立鹿児島水産高等学校卒業。2023年、「自分以外全員他人」で第39回太宰治賞受賞。
レビュー
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主人公がイライラすることが多いのが気になった。
主人公の生き方に共感するが、結構イライラしていることが多いのが気になった。このイライラの根本をどう探るかで、違う結末もあったのではないかと。この著者の別の本も買う予定。
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嫌いな主人公だが最後まで読んでしまった。
主人公の柳田は最後まで冴えない男だった。植え付けられたマナー、常識にがんじがらめになって、そこからしかしか世界が見えない男だった。 読んでいる間ずっと、こっちまで暗い気持ちになって息苦しくなる。しかしなぜか読むことをやめようとは思わなかった。それはオレの心にも柳田が住み着いているからだと思う。 柳田は来年の春、生きることをやめることを心の拠り所にしてそれまでを生きようとする。 すごく気持ちがわかる。 ニュアンスは違うがオレは人間をやめ、ただのプログラムされたものとして生きるために、今を試行錯誤して生きている。
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心の安全弁
作者の西村さんとは一度も会ったことがないし、歳が近いとはいえ、住んでる場所も職業も外見も違うのに、「西村さんは、なんで俺のことを知っていて、なんで俺のことを書いてるんだろう…?」と、不思議に思いながら読み終えた。小説(私小説)の凄さを再認識した。 小説のタイトル『自分以外全員他人』から、『自分以外全員敵』へと変わっていく内面の変化が生々しい。精神的に追い詰められたり、メンタルが不調の時に感じる疎外感や孤立感、周囲への憤りに既視感を覚える。 いつでも読み返せるように枕元に置いてある。心の安全弁。
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とても良かった。
自分が前から思っていたことが書かれていて、深刻な内容なのに笑える箇所もあったのですらすら読めた。自分だけじゃないんだと安心し、少し気が楽になった。破滅に向かわないよう日頃から気をつけて生きようと思った。時折また読み返そうと思う。
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んー深くないな
生きるための道標になるかと思いきや、内にストレスを溜める人間がキャパオバーになって歯止めの効かない暴行をしてしまった。ただそれだけかな。強いて言えば無に徹することがいかに難しいかを教えてくれた。
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人が壊れていく
確かにいくつものシーンで主人公の感情は自分の中で既視感のあるもの。 無残で醜く、でもいっそ言ってしまいたくなり、いっそ手を出してしまえばと。 でも、個人的にはそれに耐え抜いた主人公が、自分が決めた結末にたどり着いたとき その時の気持ちはどうなるのかを知りたかった。
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エンタメ的な私小説?
久しぶりに面白い作品を読んだなと思えました。扱ってる世界から一見社会派なのかとか、はたまたひとりよがりな純文学に思われそうですが、私としてはこれはちゃんと練り込まれた、読者を意識したエンタメ的な私小説と感じました。もちろん読む人によって感想がばらつきそうですが、そのキャパの大きさこそがこの作品の魅力なのでしょう
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40代(ハゲ)によるネタバレ解説
主人公は気が弱く能力的に出来ることが少ないという事実を、善良で多くを望まない生き方と倒錯した認知をしているだけに過ぎない。全てはこの倒錯から生まれる悲喜劇である。珍しくもないルサンチマンの道徳だ。 この倒錯を内面化すると主体的に行動している他人に対して多かれ少なかれ悪意を読み取れるようになる。主人公の思う善性は実は気の弱さだから、物怖じせずに行動する人は動機に関わらずとりあえず悪と判断される。 かくして世界は小さな悪意で満ち満ちているように感じてられてしまい、自らの心を憎悪と猜疑心で一杯にしてしまう。 若さという楽観が売り切れる40代半ばになるといよいよ社会との折り合いがつけられなくなり思想を強化、先鋭化させないと自分を保てなくなる。 そしてこの思考の行き着く先が自死であるのも当然だ。善性の貫徹=気の弱さの貫徹なのだから全ての願望(食事すらも)を放棄して静かに消えていく以外の答えはない。自殺と生きることをやめることは違うという一読してわかりづらい思考もこの倒錯を前提とすると理解しやすい。(死=優しさ) また本当に正しい選択ができないこともこの倒錯による。勇気を持った選択をすることは価値判断の前提である自分の善良さ(本当は気の弱さ)を裏切るからだ。 夕子さんへの愛を信じることができず逃げることが正しいことだと判断してしまったのはこのためだ。 この倒錯は主人公が粗悪な家庭環境でポンコツな自分を抱えて必死で生きてきて今なお何も得られずに生き続けていることを許容するためにひねりだしたナラティブでありルサンチマンの道徳である。主人公はこれを倫理だと勘違いして盲信している。 自分を保つために必要な弱=善という倒錯が、世界が悪意に満ちているという幻想の根源にもなっているため救われるには自己破壊しかないという袋小路を行ったり来たりするしかできない。 「孤独への〜」で夕子さんへの愛による自己破壊を自ら拒否し逃げた。 今回は自死を目指したがその前に悪意に染まってしまった。ある意味やっと自意識の牢獄から一歩踏み出せたとも言える。犯罪者への一歩だが。 主人公と同じ倒錯を持った人は現実にもかなりいると思うし、私もその一人だ。その苦悩が生きるか死ぬかの現実的な苦しみであることは知っている。しかし他人から見たら滑稽な一人芝居に他ならないことを本作は教えてくれた
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