作品情報
中村屋に匿われたインド独立運動家の生涯から、近代日本のアジア主義を問い直す。
白水社刊。インドから日本へ亡命したボースが、新宿中村屋に身を寄せ、反英独立運動と日本のアジア主義の中でどのような役割を担ったのかを追う。
レビュー要約
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個人の亡命史をたどりながら、アジア解放の理念が戦争と結びつく危うさまで視野に入れる構成が読みどころ。政治思想史としても評伝としても読める。
書籍情報
- 出版社
- 白水社
- 発売日
- 2005-04-01
- ページ数
- 346ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784560027783
- ISBN-10
- 4560027781
- 価格
- 2420 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
Amazon.co.jp: 中村屋のボース: インド独立運動と近代日本のアジア主義 : 中島 岳志: 本
レビュー
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かつて日本はアジアの解放区だった
いまも新宿のランドマークである中村屋。もとは本郷のパン屋だった。1927年、そこで本格派インドカリーをもたらしたのが、インド独立の志士、R.B.ボースだった。「一杯のインドカレーの伝来物語をはるかに超えた壮大で重たい問題」を背負った男。「1910年のインドにおける過激なテロリストであり、日本の帝国主義に同調した」人物。そして、そんな男を支援し、利用し、そして忘れた日本という国。ボースを描くことで、19世紀末から20世紀半ばまで、欧米の帝国主義に対抗するアジアの独立運動家たちを擁した「解放区」として機能していた、猥雑で懐の深い私たちの知らない日本を炙り出している。 ノーベル賞を受賞したベンガルの詩人、ラビンドラナート・タゴールの親戚と偽って日本に入国したR・B・ボースは、途中でイギリス人官吏に正体がばれ、日本到着後も追われる身となる。当時日本にはすでにインドに武器を輸出していたバグワーン・シンや、広州での武装蜂起に失敗して国外に亡命していた孫文が滞在していた。R・B・ボースは英国の意向を受けた日本の官憲に尾行されながら日本での生活をスタートさせるが、彼に手を差し伸べた日本のナショナリストたちも多くいた。右翼の大物、玄洋社(その海外工作を担ったのが黒龍会)の頭山満。東京帝大教授の寺尾亨。東京帝大でインド哲学を専攻し、のちに北一輝らとともに猶存社を結成して国家主義運動を展開する大川周明。北や大川の思想に傾倒していた岸信介は、のちに日本の首相として初めてインドを訪問している。 このお尋ね者のインド革命家を自宅にかくまったのは、芸術家や文化人たちのサロンでもあった中村屋の相馬愛蔵・黒光夫妻だった。R・B・ボースはのちに夫妻の娘と結婚するが、そのときの保証人は後藤新平と犬養毅だったことからも、当時のインドの独立運動が日本の知識層、指導者層からおおっぴらな支持を受けていたことがわかる。のちに、中曽根康弘はじめ歴代総理大臣の指南役となった安岡正篤とも知己を得ている。 インドを含むアジアの解放まで視野にいれていた玄洋社・黒龍会だったが、「彼らには思想がなかった」と著者ははっきり書いている。思想がないというより「意図的に思想を構築することを放置し」、「積極的に無頓着たろうとしていた」とのであると。頭山が思想信条的に相いれないであろう自由民権思想家の中江兆民やアナーキストの大杉栄らとも近かったことをあげ、思想よりもその人間の精神性や行動力に共鳴する傾向があったと指摘している。つまり、日本に庇護や支援を求めたインドや中国の革命家たちの思想そのものより彼らの日本人らしさや、日本に対する尊敬の念などを重んじた。そこが日本におけるアジア解放運動の限界だった、と著者はいいたげだ。実際、このことが、アジアの革命家と日本のナショナリスト(アジア主義者)たちの決定的な溝をつくることになっていく。R・B・ボースの数奇な運命の物語は、日本におけるアジア主義の迷走、分解の過程とも重なる。 R・B・ボースはイギリスのインド支配に代表される欧米の西洋主義を強く非難し、アジア諸国の独立の必要性を訴えた。そして、日中印は「東洋人連盟」の中心的な存在として、「物質主義に覆われた近代を超克し、宗教的『神性』に基づく真の国際平和を構築する」べく連帯せよ、というのが彼の説くアジア主義だった。その特徴は、西洋的近代を超えることを見据えた精神的、宗教的な思想というところにある。その文脈において彼は「日本にとっての真の敵はイギリスであるとし」、それに対抗するべくソ連との提携を訴えた。奇しくも時を同じくして孫文も、日中ソの連帯によってワシントン体制に対抗するという策を練っていた。孫文も、アジア諸国は「物質文化と軍事力に依拠するヨーロッパの『覇道』に、「東洋の『仁義道徳』に依拠した『王道』によって対抗」すべきと説いた。彼らが、日英同盟を結び、中国に対して帝国主義的志向性を見せる日本を警戒するのはあたりまえのことだった。孫文はそんな日本に対し「西洋の覇道の番犬となるのか、東洋の王道の干城となるのか」と迫る。 こうした動きに同調して、当初は「日本よ!何処に行かんとするか!」と声を上げていたR・B・ボースだが、東京で行われ、21カ条の要求の撤廃を巡って紛糾したた第1回亜細亜民族会議を経て、思想や理論よりも行動と成果ありきの現実主義路線に変わっていく。つまりは日本の帝国主義路線もインドの独立のために利用できるのであれば手段として受け入れていくということである。一時期、ヒトラーおよびナチス礼賛論まで展開していたこともあったという。 1931年、柳条湖事件を機に満州事変が勃発するが、その際もR・B・ボースは、「支那は昔ながらの以夷制夷の術策を採り、白人の勢力を引いて日本の勢力を打壊せんとした」と日本ではなく中国を批判した。一方で、石原莞爾の日蓮主義的理想を背景として建国された国家である満州国を「正しい信仰の目標が乏しい」とも批判した。日本に帰化したインド人という特殊な立場を利用して日本政府の支援をとりつけ、インドの独立運動に弾みをつけたいというR・B・ボースが、手段とわりきって日本帝国主義を受け容れようとしながら、ぬぐいきれない不信感に苦悩する日々が本書には描かれている。R・B・ボースにとっての「アジア」は、「西洋的近代を超克するための宗教哲学そのもの」であり、神聖な思想であったが、日本の「五族協和」「王道和楽」といったスローガンは、所詮は侵略侵攻のための大義名分にすぎず、空疎にきこえていたこたことであろう。 20世紀前半、インドを含む日本以外のアジアはおおむね西欧列強の帝国主義支配下にあり、そこからの独立運動は、「思想連鎖を伴う国際ネットワークの網目状で展開」されていた。それをR・B・ボースという恰好の人物の立場を通して描いたのが本書である。この本はずいぶん前に買ってあったが、読もうという直接のきっかけになったのは、台湾に何度か行ってからのことだった。台湾における日本人に対する好意的な態度、ソフト、ハードを含めた日本的なものへの真っ直ぐな関心といったものが、他のアジア地域、そして欧米においても見られない特殊なものと感じた。それが統治時代を含めた日本との人的交流の遺産であることは確かなのだが、日本の帝国主義的な過去にどんなかたちであれ前向きな意味づけをすることは公教育のなかでは封印されている。本書を読むと、日本が物理的にも思想的にもアジアの解放区であり、舵取りしだいでは「そうでなかった今」、も大いにありえたのではないかと思えてくる。少子高齢化よりは移民問題に頭を悩ませていた日本、であったかもしれない。 1941年、大東亜線戦争が勃発。日本は太平洋でアメリカ軍と、マレー半島でイギリス軍を相手に戦った。日本の参謀本部「宣伝謀略」部門は、イギリス軍におけるインド人兵を懐柔するという工作を仕掛け、「インド国民軍」の協力をとりつけてイギリス軍を切り崩し、クアラルンプール、シンガポール陥落させるに至った。当初は「大東亜共栄圏」のなかに入っていなかったインドだが、シンガポール陥落の翌日、東条首相は、いまこそインドは「英国の暴虐なる圧政下より脱出して大東亜共栄圏に参加すべき」と演説した。このあたりがインド独立運動家と日本の大東亜構想がもっとも近づいた時期だっただろう。R・B・ボースはシンガポールで設立されたインド独立連盟の代表に就任してえる。しかしながら、その後、インド独立運動はR・B・ボースのような在日派と英国統治下のインドで活動を続けてきた現地派が対立し、また、日本政府もインドの主権を認めることに対して曖昧な返事をし続けるなどして、求心力を失っていく。インドのイギリスからの独立がアジア全体が自動的に解放されるとか、大東亜戦争が西洋的近代を超克するための一種の聖戦であるというようなR・B・ボースの思想には原理主義的な硬直性もあった。「日本の傀儡」のレッテルを貼られたR・B・ボースは、やはり第二次世界大戦をインド独立の好機ととらえヨーロッパに亡命していた独立運動家チャンドラ・ボースにインド独立連盟代表の座を譲り、終戦の直前に日本で没する。その2年後にインドが独立した。 いまだに、日本人にインドのイメージをとえば、カレーとITくらいしか出てこないだろう。こんなにもインドが近い時代があったということに単純に驚かされた。そして、アジア諸国からの独立をめざす革命家たちが日本で雌伏し、国内の政治家、学者、企業家たちとの緊密なネットワークを築いていたという事実。移民を受け入れない、英語ができない、ガラパゴス化して世界から取り残されている日本、というセルフイメージをわれわれはともすれば抱きがちで、それは一面正しい自己認識ではあるのが、懐が深く、智謀に長け、リスクを恐れない、スケールが大きく、なんでもありの国、という面がこの当時は前面に出ていたのだろう。学校では習うことのない、アジアにおける解放区としての日本を知ることができる近代日本の貴重な記録である。
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Impressive marvelous story
仕事の関係で、インドには結構出張し、お客様(インドの企業)と良く交渉事を実施しました。確固たる信念を持ってあたってくる相手には、ホトホト難儀しましたが、この本の主人公も自国独立の為に不屈の精神で邁進する姿が印象深かった。著者もライフワークとしてよくここまで調べて主人公の姿を生き生きと描写為さってる。感銘を受けました!(^ー^)
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良く書けてはいるが
ボースの歩みと、当時の日本に、既にアジア主義的な物が、人道主義と結びついていた事は、現代と変わらぬ物を感じ、興味深い。そんなアジアで唯一、独立して自国を防衛していた日本にやって来るインド・中国のアジア主義者達。しかしアジア主義、三国は、その後の現実の前に破綻していく。ボースもまた、反英以外が見えなくなり、インド本国人からも、日本の代弁者と見られてしまう。痛々しい。 今となっては、インドも中国も立派な、独立した大国である。しかし、良く知られている中国の様々な問題。それは、ボースが夢見たような「帝国主義を超克した東洋」とは程遠い。 現代にも残る、アジアと近代という興味深いテーマを扱い「ヒンドゥー・ナショナリズム」もそうだったが、「活動家・革命家」の理想と現実の描写も楽しめる。 ただし、頭山らのアジア主義、ボースの発言や、相馬一家の心情の解釈、「大東亜」戦争についての記述など、どうしても「敗戦」という結果から逆算し、「日本帝国主義」に繋がれば、無理な論法を使っても否定しているような、首肯出来ないアプローチも共存している。 後の「パール判事」論争で名を落とした原因は、既に胚胎していて、あの後だと、素直に信じることが出来ない箇所も多い。 とはいえ、R・B・ボースを現代に蘇らせた「光」の部分は素晴らしい。今後必要なのは、著者を祭り上げず、的確に指導出来る評者だろう。そして著者が「主観」を投影せず、あるがままを、思想と異なっても書くことに注意し、読者に「苦言」を呈さなくても、おかしな解釈には結びつかないと信じる事だろう。そうすれば更に質が高まるだろう。
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I was a fighter. One more fight. The last and the best.
I was a fighter. One more fight. The last and the best. (私は闘士だった。もう一度、闘おう。最後で且つ最善の戦いを。) 「中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義」で取り上げられている植民地インド時代の独立運動家Rash Behari Bose (1886-1945)が、日本に亡命した晩年、イギリスからのインド独立を再度目指すために帝国陸軍と協力して独立戦争を闘おうとした際に書いていたという言葉です。訳は本を少しアレンジしました。 タイトルの「中村屋」は、新宿の中村屋のことで、彼が日本で官憲から隠れて中村屋で生活をしていた際に紹介した「インドカリー」が、今も定番メニューとして残っているインドカリーの元祖だそうです。イギリス植民地政府に対してテロも起こした独立運動家が日本に伝えた「カリー」が現在も残って、彼の存在すら知らない日本人(僕も食べたことはありましたが本を読むまでまったく知りませんでした)の間で定番メニューになっているというのは、奇縁と言わざるをえません。 インド独立をトリガーとした「アジア解放」の思想を追求するものの、大日本帝国の拡張政策に乗っかってイギリスと戦い独立を実現せざるを得ないという現実という相克に対し、帝国主義路線にも柔軟に対応しながら現実的解を達成しようとして、その結果としてインド人同胞からの信頼を失い、道半ばで病に倒れ、インド独立をその目で見る前に亡くなるという壮絶な人生は、稀有なものでしょう。相克するものにはさまれて苦悩しつつ、また家族には優しい父であろうとするその姿には感じ入るところがありました。 近代的産物である植民地主義という思想を克服するために「アジア主義」というある種脱近代的な思想を志向するいっぽうで、ネイション・ステイトとしての独立という近代的な手段しか持ち得ないというアポリアは、どこか現代のアフリカにも当てはまる気がしてなりません。ボースが日本人の心情的アジア主義者たちから受け入れられたのは、彼の思想故ではなく、亡命してもインド独立を求めてやまない革命家に「心情的に」共鳴したからであり、彼らはボースの思想に対しては関心を抱かなかったと筆者が看破した点についても、どこか相似形な気がします。
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中村屋のカレー
なぜ中村屋にカレーがあるのかよくわかりました。 食べたくなりました。
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調査、理解不足を感じる。
新聞やインターネットで好意をもって紹介されており、以前から読んでみたかったので、期待をして読み始めた。 しかし、読みづらい。なぜだろうと考えながら読み進うちに、はたと思い到った。 年号が西暦で表示してあり、何時の間にか和暦に変換しながら読むのでストーリーが途中で切れるのである。日本の敗戦は昭和20年8月15日であり、1945年8月15日ではないのである。西暦表示によって時代の空気が読めない。括弧で和暦を並列してくれると随分と助かるのだが、年表片手に和暦変換しながら読み進むのは苦痛だった。 それも、中途半端なので更にイラつく。 最初のページの「はじめに」の文章からがそうである。 《1604年、江戸幕府は》から文章が始まるが、3行目には《元禄十二年(1698年)》という表示がでてくる。いったい、どっちで表示するのか、と。 大変な力作であり、膨大な資料を読み込んだ作品というのが充分に理解できるだけに、もったいない気がする。読み手の多くは昭和を意識している年代なのではと思うと、残念。 読み進むうちにボースに多大な影響を与えた頭山満と玄洋社について著者はどれだけ理解しているのだろうか、という疑念が湧いてきた。頭山満がインド独立の闘士であるボースを宣伝塔として利用し、インド独立にだけ頭山満が支援したかの印象を受ける。頭山満を代表とする玄洋社の面々は朝鮮開化党の金玉均、中華民国の孫文、フィリッピンのアギナルドなどの独立蜂起に向けてのヒト、モノ、カネを支援している。 本書を読んだ人はただ単に頭山満がボースを利用して、最後は孫文までをも裏切ったかのような印象を受けるのではないか。 ボースの善、頭山の悪が浮かびあがり、ボースを美化する形になっている。 ボースにとって、インド独立を阻害するものはイギリスであって頭山ではないのだが、なぜ、あれほどにボースが頭山満を慕ったかを今でも著者は理解できていないのでは。 頭山率いる玄洋社には思想が無い、と著者は切り捨てた。 しかし、その玄洋社から薫陶を受けた中村天風が天風会を組織し、孫文とともに大陸を駆け回り満洲事変を日本の軍閥の横暴と立ち向かった堀川辰吉郎がいる。東條英機に抗して割腹自決した中野正剛、東京裁判において文官として唯一絞首刑になった広田弘毅、戦後の自由党を率いた緒方竹虎も玄洋社の影響を受けているが、これらの人々に思想はないと断言できるのだろうか。黒龍会の内田良平は玄洋社から分かれて独自の団体を創設したのだが、その黒龍会はインド政府から独立に功績があったとして顕彰されている。 もし、玄洋社に思想が無いのであれば、尊王攘夷思想も無意味になり、西郷南洲(西郷隆盛)にも思想が無い事になる。 日本の言論界は自主検閲という形で玄洋社、黒龍会を悪に仕立てあげ、自らの潔白を証明しようとした。それを実行したのが朝日新聞だが、中野正剛、緒方竹虎という朝日新聞出身の先輩をも批判することに気が付いているのだろうか。
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いや~凄い
まず導入から面白い。 戦前の日印関係において欠かすことの出来ない位置を占めるラース・ビハーリー・ボースの話の入り口を潜るのに、出だしはいきなり1604年の江戸時代、甲州街道の話から始まる。 話の主舞台である新宿中村屋の起こりを話すために、甲州街道の起こりである五街道の設置から話が始まっているのだ。 そこから中村屋へと舞台は移り、あのクリームパンを発明して名高いパン屋である中村屋のもう一つの代表商品、「インドカリー」の誕生の謎が、日印関係を結びつける本書の綴じ糸となっている。 そこから戦前右翼最大の巨塔である玄洋社の頭山満、大川周明や北一輝の猶存社の起こり、中華民国を打ち立てた孫文など、歴史上のカリスマ達が舞台に登場していく様は大河ドラマの様相を感じさせる。 このように視点の微細さと巨視的な筋書きを見事に織り込んで描き出すのが中島岳志氏の筆力であり、それを成り立たせているのは偏に徹底的な資料の読み込みであろう。私が最初に読んだ中島氏の本は「保守と大東亜戦争」であったが、原典資料を大量に引用しつつ鋭い分析を加える内容に魅了され、出版年順に完読を目指してついに処女作である本作まで辿り着いた。本書を読んで、既にこの時点で作者の執筆姿勢が完成されていたのには驚いた。 作者の最大の問題関心は「アジア主義」である。この正体を明らかにするにはアジア主義はあまりにも巨大である。なぜならその代表格である頭山満でさえアジア主義が何なのかを思想的に明らかにできていないのだから。またそのこと自体が日本のアジア主義が抱えた最大の欠陥であることが、作者が追求し続けている問題意識である、と私は感じている。 本書の他のレビュアーにアジア主義の定義が不明確であることを批判しているものがあるが、それは作者の責任ではなく、日本のアジア主義そのものの問題である。 日本の現在の作者の中で、ここまで真正面から、そして巨大な視点からアジア主義を扱おうとしている学者を私は知らない。 この本を読まれた方は、是非他の作者の著書にも当たられることを強くお勧めする。
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ラース・ビハリ・ボースへのおおいなる愛情
インド独立の立役者ボースと聞くと、たいていネタジー・チャンドラ・ボースを思い浮かべてしまうと思うが、チャンドラ・ボース以上に日本と深く関わり終生インドには帰らず、ついには日本で客死。インド独立を日本から支援していたのがこの中村屋のボーズことラース・ビハリ・ボースである。 在インド時代にハーディング爆発未遂事件の実行犯としてイギリスから追われ、逃亡先として日露戦争で戦勝国となった日本を選ぶ。タゴールの親戚と偽り来日。玄洋社の頭山満の協力を得て中村屋主人の相馬愛蔵・黒光夫婦の下に身を隠す。表に出られない憂さばらしから料理作りに専念し、それが中村屋のヒット商品である「インドカリー」になる。 相馬家の娘・俊子との結婚。2児の父親、俊子の死。インド独立連盟・インド国民軍内での対立。ビハリ・ボースのインド独立における役わりは、チャンドラ・ボースにインド独立連盟の代表権を明け渡すことで実質的には終了する。そしてチャンドラ・ボース同様インド独立を見ないままの死。 この本を読むと、一人の人間のインド独立に賭けた思い、苦悩、葛藤が痛いほど伝わってくる。あとがきで著者はビハリ・ボースに対する学術的探究心を越えた愛があると書いてあるが、まことに愛情あるきめ細やかな記述になっているので、読んでいるうちにこの男の生涯に引き込まれてしまう。 とりわけ心を打つのはビハリ・ボースの娘・樋口哲子さんに会ったおり、まだ著者が一介の大学生に過ぎないにも関わらず貴重な資料を惜しげもなく貸し与えてくれたところは著者の愛情が通じたのであろう。 装丁・デザイン・引用文献・帯・カバー裏・貴重な写真・読みやすい文と文字間隔それにもまして内容、いずれをとってもひじょうにレベルの高いしっかりした評伝に仕上がっている。まったく良い本が出たものである。
関連する文学賞
- 大佛次郎論壇賞 第5回(2005年) ・受賞