作品情報
『うるわしき日々』は、受賞作として読まれてきた作品の核を静かに伝える一作です。
小島信夫『うるわしき日々』は、読売文学賞の文脈で評価された作品です。物語、評論、詩歌、記録文学など作品形態は対象ごとに異なりますが、ここでは作品名と著者を軸に、単独作品としての魅力が伝わるよう紹介します。
書籍情報
- 出版社
- 読売新聞社
- 発売日
- 1997-10-01
- ページ数
- 330ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784643970982
- ISBN-10
- 4643970987
- 価格
- 825 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
第49回(1997年) 讀賣文学賞小説賞受賞
レビュー
-
リアルな分厚さ
注文したらすぐ届きました。 作家の値うちでの高得点も納得の1冊でした。
-
うるわしき日々
抱擁家族のその後ですが、抱擁家族を読んでいなくても読めます。 今までの著者の作品も本のなかに出てきたりします。 読みにくいというよりも、なんだか落ち着かない胸がぞわぞわしてくる文体で、 不思議なユーモアや何とも言えない悲哀が散りばめられてあります。 読みなれてしまうと文体のリズム感の心地良さに酔えますが、 好みがあるので馴染むまでが少々大変かもしれません。 もし読んでなければ芥川賞受賞作のアメリカン・スクールもおすすめします。
-
日々のうつろい
80歳を超えた老夫婦(三輪俊介・京子)がアルコール依存症により不可逆的な痴呆症状を呈してしまっている50過ぎの中年の息子(三輪良一)を病院から施設に入れるまでの顛末が描かれると同時に、その息子にとっては義理の母親である主人公の老作家の妻にも、徐々に健忘症の症状が見え始める。主人公は自らに降りかかりまとわりつく心配事を、どうにかしようと奮闘しているように見えるが、彼の行動がその解決につながっていくわけではない。息子を引き取ってくれる施設がなくなり、自分の家に戻ってきたらどうしようという不安、妻が記憶と理性を徐々に失いつつあるのではないかという不安。ただ、この小説は、そうした老年期にある者にとって、そして将来老年を迎えるすべての者にとって切実なそのような問題が、物語のすべてを本来なら統御し動かしていくはずの主人公の一元的な視点から、一つの解決なり破綻なりへ収束していかない点で、とても不思議であり、読者を複雑極まりなくどこに落着できるかわからない場所に置き去りにしたまま、進み、そして終わる。 一見、老作家である主人公の日常が淡々と綴られているように見えるが、主人公の語りは、大きな一つの物語へと収斂することがない。この主人公は、自らの意思や決断を正当化しようとしない。延々と、解決策をださずに、あるいはわかったようなふりをせずに、ああでもないこうでもないという感じで立ち止まり続ける。今の出来事が、彼と彼の家族の軌跡のその時々の記憶と重なり合い、遠近感がなくなるようにみえることもある。妻との会話から、妻が幼かった日々の記憶へ、主人公が30年以上前に建てたモダンなデザインではあったが欠陥だらけだった家の話へ、いまは現状を認知することもできなくなっている息子の、時々の記憶へ、胸を患い家族を支えるためあらゆる職業を転々とし子供を残し亡くなった姉の記憶へ、戦前、前妻と出会い、子供が生まれ、前妻を失い、今の妻を迎えた時の記憶へ、そして息子が入院している病院へ洗濯した衣服を妻の運転する車で向かう記憶へ、記憶は、分岐し、まとまろうとする意思はまったくみえない。そんな日々の行動と記憶のなかに、友人や知人、息子の別れた妻、長女とその孫、病院の医者たち、住宅の設計士との会話や発言、手紙の文言が、あるいは主人公が読んだ対話集や詩や小説が、ぶっきらぼうに、挿入されていく。 ただ、ふと考えてみるならば、これほど私の毎日というか、私における時間の経過の在り方とよく似た小説もないということに気が付く。私たちの日常の在り方は、整序されない、その場の感情や想いや、行動と記憶の入れ代わり立ち代わりであり、いかにそれを物語のように思いなしたいと思ったって、ある特定の思惑と意思に従って構築しなければ、私とは何々です、私の人生とは何々です、起承転結があるような自伝にはならない。 こう書くと、何だかつまらない小説のような印象を与えてしまうかもしれないのだけれど、胸をふさぐような不安に右往左往しながら、あくまで感情的にならず個性的な冷静さを保つ主人公の、妻や息子を含むあらゆる知人と論理的に関係を結ぼうとする、そのひたむきさが何だかとても面白いし、露悪的というか自らのその都度のその都度の行動と意識のよって来る利己的なところをさらっとあけっぴろげにしてしまう気取らなさも実は普通ではない。そんな主人公を訪れる、自らの家族をめぐる記憶の断片――重度のアルコール依存症でいま自分がどこにいるのかもわからなくなってしまっている小児麻痺を負った息子がいつも笑顔を絶やさない子供だったこと、息子がいつもピンと背を伸ばしていたこと、息子が描いた絵をそれが息子を喜ばせることであることはわかっていたにもかかわらず、購入しなかったこと、自分を山へと誘ったのが息子とその友人だったこと――そうした切れ切れの回想が、何らの感傷もまとわずに、とても痛切に響く。 小説のラストに忘れがたい個所がある。 その夜風呂に入った妻を残して、老いた作家の三輪は、コンビニに買物に出た。 四つ辻に新しくできたその店から、袋を下げて出た彼は、横断歩道を間違えて歩き出した。そのことに気がついたときには、玉川の上水路の土堤の林に近づいていた。途中、人家の庭から竿灯めいたコブシの花盛りが見え、彼の家の庭にもあるアンズの花も見えた。 彼の脳裏にあることは、これから10年をどう過ごすかということであり、それは実に煩わしく、その一つ一つの細部に思い当たる度に、彼はどうしてもそうせざるを得ないとでもいうように、しばらく立ち止まった。五分やそこらの時間では、どうにもならないほど、多岐にわたった細部なのだ。そのためには、帰るべき道のりでは足りないくらいだった。…… コンビニの袋を右手に持ったまま、かがみこんで泣いた。涸いていたのはノドだけではなく、眼もまた同じで、これはもっと顕著でそれ故に、困ったことであった。 彼の眼からは涙が一滴も出なかった。本当はしたたり、こぼれ落ち、できればチラチラと光っている上水路の水の中に混じり込んで、流れて行きでもしてくれるとよかったのに。 今ごろ妻は、夫が逃げ出したと思っているかもしれない。だから一刻も早く帰らなければならないとも、彼は考えていた。 老いた妻あるいは夫との残りの人生に思いをはせ、遠くない未来にやってくる困難でつらい様々な些事と別れに茫然とし、そのような時に、コンビニのビニール袋を提げ、いま目にうつるものを目にし、路上で涙を流すことさえできずに泣くこと、これは、どうだろうか、多くのわれわれの未来を指し示しているものではないだろうか。物語に収束しない人生のあられのない姿が、むき出しになる。
-
面白かった。また、時間を置いて再読したい
とても面白かった。老眼が進み一冊の小説を読了する根気も 失せてきた今日この頃。長いシルバーウィークの連休の間に、 ふと読み始めて 最後までページをめくり、読後感は 何とも言えないものだった。 この手の小説の読み手は それなりの方々なのでしょう。レビューの星5つに いちいちに納得。粗筋はお任せしましょう。 意外性とか目新しい事をレトリック「豊か」に 書いている退屈な筋立てものとは正反対。 記憶とか時間の窪みというべきか、そこに嵌って そこに揺れ反芻と止揚するしかない自分、そして関係性。 森敦さんの「月山」の揺らぎとは異なる 俳味を 感じた。この本は老眼が進まないとなかなか解らない かもしれない。面白かった。また、時間を置いて再読したい。
-
抱擁家族の家族の30年後
名作抱擁家族の30年後の物語。 80歳を過ぎた老作家の身辺の出来事を描く。重度のアルコール障害の息子、その離婚問題、健忘症の老妻に頼る息子の介護などうるわしくない話が続いていきます。こう書くとこれだけのことですが、この小説はものすごく面白いのです。本当に息もつかせず一気に読ませるのです。なんというのかこの作家の独特のユーモアが全く救いにならず、その救いになっていないところが面白いのかもしれません。老作家の流れない涙と保坂和志氏と思しき若い小説家からの手紙のラストは見事だと思います。
-
好き嫌いで言うと好きではありませんが、
名作「抱擁家族」の続編、と作者自らが宣言しています。 今、このように構成員が壊れてしまっている家族は少なくありません。高齢化社会、弱肉強食の新自由主義に基づく社会が進むにつれ、このように「人生の敗者」になってしまっている成員を抱えた家族はますます増加してゆくと思われます。 この小説は「私小説」なのでしょうか? たぶん、作者自身が置かれたプライベートな状況に極めて近いのでしょう。しかし、少なくともむしろ作者一流のユーモラスな筆致によって、その絶望的な状況は緩和されているようにみえます。 しかし、それはあくまでも見かけです。このユーモアはどこから来るのでしょうか? 開き直りなのでしょうか? それとも生への信頼なのでしょうか? たしかに、このような救いようのない状況に対抗するのはこの「ユーモア」しかないのかもしれません。しかしわたくしはそれが極めて無気味に見えます。現実が、そのユーモアの向こうに隠蔽されたようにみえる分、かえって「救いようのなさ」が強調されているように見えるからです。 ということで、個人的にはあまり好きなタイプの小説ではありません。しかし、好悪を理由にこの名作を推さないのは不公平というものでしょう。
-
まったくうるわしくはないのだが
先妻が病に倒れ、長男が病院に入り、後妻までもが精神に異常をきたしはじめる生涯とは、全くの絶望的と呼ばざる得ないものです。八〇歳も過ぎた高齢の人間を、いったいこの人生という奴は、まだ苦しめようとするのか。 家族の再建を図ろうとした男が建てた家からは雨漏りがしはじめ、それを設計した建築家は、それは誰のせいでもないのだ、といってくる。人間ができることは、ただその残酷なまでの人生を耐える、ということにしか、どうやらないようだ。では、それをどう耐えるのか。その自己意識の方法に、ひとりの男が全力をかける。 小島信夫という作家は、読者を選ぶ、といういいかたがよくされます。好きな人にはたまらないのだけれども、ダメな人にはさっぱり、というふうに。 この小説は傑作『抱擁家族』の続編です。八〇歳を過ぎた最高年齢での新聞連載小説ということで、恐ろしくも悲しく、痛々しく、そしてとても感動的な物語です。 日本にもこんな凄い作家がいるのだ、と。僕は、小島信夫こそが戦後最大の小説家である、と勝手に断言してしまいます。
関連する文学賞
- 読売文学賞 第49回(1997年) ・受賞