日本の文学賞

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多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで 日本の〈現代〉13

大佛次郎論壇賞

多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで 日本の〈現代〉13

本田由紀

学歴や標準的な努力だけでは測れない能力が重視される社会を、「ハイパー・メリトクラシー」として分析する社会学書。教育、労働、ジェンダーを横断して、日本社会の能力観の変化を論じる。

社会学教育能力主義日本社会

作品情報

能力が多元化する社会で、人はどのように評価され、選別されるのかを問う。

本田由紀の社会学書。近代型能力からポスト近代型能力への移行を軸に、努力、対人能力、社会的地位、女性の選択などを論じる。

書籍情報

出版社
エヌティティ出版
発売日
2005-11-01
ページ数
286ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784757141049
ISBN-10
4757141041
価格
1476 JPY
カテゴリ
本/人文・思想/教育学/教育学

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レビュー

  • 社会学者が示すハイパー・メリトクラシー化の進行とその恐怖

    「ハイパー・メリトクラシー」 現代の日本では、それが学校生活や、就職活動などで強く求められるようになっている。 その進行と恐怖を、社会学者の本田由紀さんはこの本ではっきりと示していると言える。 なお、著者の本田さんは、テストの点数や、学歴などの客観的な数値で表すことが可能な能力をメリトクラシーと、コミュニケーション能力や、人間力(と言うよりも、周りの人に気に入られる能力の方が当たっている)などの客観的な数値で表すことがほとんど不可能な能力をハイパー・メリトクラシーと定義しているが、確かに本田さんの指摘するように、現代の日本では「偏差値上位大学で成績優秀なら上場企業に就職」などといった図式が完全に崩壊してしまっている。 かと言って、勉強をしっかりやらないと、上場企業に入社する際に必要な、偏差値上位大学卒業というパスポートを得ることもできない。 つまり、現代の日本を生き抜くためには、メリトクラシーと、ハイパー・メリトクラシーの両方を兼ね備えていなければならないのである。 そのことが、子供や、若者たちにどのような(悪)影響を与えているのかを、著者の本田さんは豊富な資料を用いながら、見事に説いていると言える。 なお、この本が出たのは2005年のことであったが、この本で書かれている内容は、どれも現代の日本で起きていることを予言していたかのようなものばかりである(実際に、2000年代の半ば以降の日本では、コミュニケーション能力の低い人が、就職活動の際に「(管理職としての)能力のない人=発達障害者(アスペルガー症候群の患者)」と見なされて、挙句の果てには賃金の安い障害者枠に押し込まれてしまう事態が発生しているほどである)。 そのことを考えながらこの本を読むと、著者の本田さんの凄さがはっきりと分かるのではないだろうか。

  • 厚いには厚いのに

    うーん、筆者の主張は纏めたら、半分以下になる んじゃないだろうか? これでお金を取ろうというのだからすごい。 本書は内容が不足している。

  • 感情労働にあふれた社会

    今となってはもはやだれもが気付いていることだが多くのワーカーに求められるのは実際的な実務能力ではなく感情労働に他ならない。今更感があるが復習として読んでおいてもよいかもしれない

  • 分析はするどいが、提言に即効性がない。

    なぜこんなにも現在コミュニケーション能力だの、人間力だのというのかについての分析はとても分かりやすいです。 しかしながら、筆者の提言は私にはいまいち。 だって、このうねりのまっただなかにいる人間にとっては、人間力を向上させるしかないのだから。 次の2点の方針をさぐるべき。 ●人間力の測定を、学力と同じようにいかに公平にするか ●万人向けの人間力の向上のカリキュラムはどのようなものか 筆者の提言が実現されても、人間力による人物の評価はなくならない。 だって、採用選考でなくとも、みな「なんとなく○○さんがいい」や「△△さんはちょっと」というように、人間を機能主義的な見方で判断しているから。 また、そもそも人間力とは「魅力」のようなポジティブな意味だと思う。 皆が学力と同じように、向上させられる世の中は良い世の中ではないだろうか。

  • 分析したい問題に対する研究者の力量不足は否めない

    文科省が唱えるところの「人間力」に代表されるハイパーメリトクラシー(著者造語)の蔓延という問題意識は、それほど的を外していないと思う。しかし、ハイパーメリトクラシーの蔓延を実証する部分のレベルは満足な出来ではない。アンケート項目は、あまり適切とは思えないし、そもそも、主観を問うものが多く、データをどこまで信じてよいのか不明だ。主観の異時点間の比較は慎重であるべきだと思うがかなり無頓着にみえる。また、主観をアンケートした結果は、「被験者がそう思っている」ということしか分からないはずであるが、「被験者がそう思っている」ということと「被験者が実際にそういう状態である」ということの区別をちゃんとしていないので、その分析内容は、ほとんど空疎だ。分析結果があまりに不出来なので、データだけ興味ある方には、その原典を参照すべきであろう。少子化とハイパーメリトクラシーの関係はもっとも混乱している。ただ、主張としては独自性もあり、この本でもっとも読む価値があるところはこの章である。ただし、ハイパーメリトクラシーによる少子化がどれほどの規模の社会問題なのかは、よく分からなかった。かつての「受験地獄」批判のように、そういう事態もある程度はあろう、全体的には数は多くないと感じる問題である。この手の本では、分析はおもしろいが、提言はイマイチということが多い。たいていの問題はすぐ解決できないのであたりまえといえばあたりまえだが。この本もそうであり、かつ、分析部分のレベルより低く、ほとんど批評にあたりしない。 著者あとがきにも、著者自身がこの本での分析が不十分と認識していると書いているが、それなら本として出さないでといいたい。どうしても一般のひとに公表したいというのであれば、せめて雑誌(論座や中央公論など)あるいはもっと安い新書にしてほしい。

  • 教育学も終わりかな

    どうも多様性を知識に限定してしか考えられないようである。 またかなり結論ありきの調査に思えて仕方が無い。 問題は、今のような教育の仕方を続ける限り、知識の階層化=多元化となってしまうことなのではないか。 本当の多元化とは、個人が自分の得意なこと(知識では分類されない)を見極め、 それを常に意識しながら最大限発揮し、 それを更に高めるための知識・スキル・思考法を身につけ、 同時に社会に役立つ方法を見つけ、それで稼ぐ方法を見つけ、 かつ他者の得意なこととシナジー効果を発揮することである。 フラット化=多元化にならなければならない。 このことを真剣に考えた上で教育大改革をやらなければならないのではないか。

  • 内容が難しいです

    正直、私の頭では十分に理解できませんでした。 筆者の知的レベルが非常に高いことはわかりました。

  • 『若者と仕事』よりは良い。

    この本の内容 序章と第6章を見ればわかるが、私なりにまとめてみると、現在の日本ではハイパー・メリトクラシー化が進んでおり(知識の習得より、個人の人格などが重視される)、それにより個人が生きにくくなったり、少子化になったりと、いろいろ不都合が生じている。このような事態を打破するためには、「専門性」を身につけるなど、ハイパー・メリトクラシー化に抵抗すべきだ。 評価 長所―なかなか興味深いデータが多い。『若者と仕事』よりは緻密(なぜ専門性を求めているのかがわかる) 短所―(1)データのほとんどが意識調査であることが問題。(2)「専門性」に関する疑問。(3)データと私の実感が違う(一例を挙げると、ポスト近代型能力は以前から求められたのでは?)。 以上、長所星5つ、短所で1つ減らして、星4つ。

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