説得: エホバの証人と輸血拒否事件
『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』は、大泉実成によるノンフィクションである。交通事故に遭った子どもへの輸血を信仰上の理由で両親が拒否した事件を追い、医療、宗教、家族、子どもの生命をめぐる困難な問いに向き合う。
作品情報
輸血拒否事件の現場を追い、信仰と医療のはざまで失われた命を問い直す。
現代書館から刊行されたルポルタージュ。著者自身が関係者に接近し、輸血拒否に至る信仰の論理、医師たちの判断、家族の姿を追いながら、単純な非難では片づかない事件の深層を探る。
レビュー要約
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事件の経緯だけでなく、宗教組織の内部に入って見えてくる信仰の現実まで追う点が重く受け止められている。医療と信教の自由をめぐる問いが読後に残る。
書籍情報
- 出版社
- 現代書館
- 発売日
- 1988-11-01
- ページ数
- 318ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 19 x 13.2 x 2.8 cm
- ISBN-13
- 9784768455647
- ISBN-10
- 4768455646
- 価格
- 982 JPY
- カテゴリ
- 本/ノンフィクション/事件・犯罪/その他
第11回(1989年) 講談社ノンフィクション賞受賞
レビュー
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権利
深く考えさせられり本でした
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参加になります
多少エホバよりになってはいるものの事件の概要や両親の思いなどを潜入してまで調べたこの本は 大ちゃん事件を知る上ではとても参考になる。 残念なのはエホバのカルト性に対して一切切り込んでいないどころか肯定的に書かれている事
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『普通の人』が社会の向こう側へ『跳ぶ』瞬間
宗教上の教義によって、父親が、息子の輸血を拒否し、死に至らしめる。 こんなニュースを耳にすると、多くの人は、その宗教の「反社会性」と父親の「狂信」に眉を顰め、「世の中には自分とは全く異なる人間をいる。信じがたいとだ」と感想を漏らし、いつしか忘れ去っていく。 1985年に起こった「エホバ証人輸血拒否事件」はそれから30年近くがたった現在、そういう風に忘れられ、わずかに憲法の判例集の中にその痕跡が残っているだけだ。 本書は事件が「忘れ去られようとしていた」1988年に、無名の20代の学生だった著者によって書かれた。実際にエホバの証人の集会などに参加し、輸血を拒否した父親とともに「信者」として生活を送ることで、彼が「なぜ輸血を拒否したのか」を明らかにしていく。 「反社会的宗教の狂信者」というあまりにもわかりやすく平凡なレッテルをともに生活することで一枚ずつはいでいった先にあったのは、私たちと同じように普通に仕事や家庭に苦悩し、喜怒哀楽をかみしめながら生きているおっさんの姿だった。 息子の輸血を拒否し、死に至らしめた父、荒木昇は「研究生」という立場で、エホバの証人の教義を全面的に信じていたわけではなかった。信仰の救いを見出しながらも、書店経営という「俗世」仕事に邁進し、家族を養う、父親でもあった。 「あの時私は、彼が後ろ手をして、シャッターの降りた書店をじっと見ている姿が、店への想いいため息をついた理由が、全く理解できなかった。エホバの証人には、店なんて日々の糧を得る手段にすぎないはずだと思い込んでいたのだ。そして、なぜそんな昇の姿に惹かれるのだろう、と不思議でならなかった。だが、今、その理由がはっきりとわかった、ゆり書房は、父とダイエーという大きな山を苦しみながら踏破した昇が、その40年の人生をかけてやっと産み落とした一つの結晶だったのである。昇は、この小さな書店を、本当に深く愛していたのだ」(P164) 私のように、強い信仰を持たないものは、ある教義を熱心に信じるものを目にすると、「自分とは全く違う価値体系を持つ人」とある種の恐れを感じる。そして知らず知らずのうちに、「生まれつき宗教に没頭しやすい」自分とは違うタイプの人間だと論を進める。 しかし、私たちの仕事や恋愛といった小さな日常生活が、偶然にもたらされたものではなく、選ばざるを得なかった必然の累積であるのと同じように、強い信仰を抱くに至った人々も必然的にその信仰を選び続けてきたのだ。 荒木昇の場合は、自分を律する規律を求め続け、たどり着いた先がエホバの証人だった。 自分を律していた父親から独り立ちすべく、中内功の「生活提案」などの理念に共感し、ダイエーマンとしての自分を磨き続けてきた。次第に、中内の理念への疑問が生じ、次なる自分の律する存在を求め、見つけたのが、聖書を文言通り解釈し、生活の隅々を神の教えによって律するエホバの証人だった。 だが、父の厳格な哲学や、経営者としての中内功の経営哲学と、宗教には異なる点があった。 「ある宗教に関心を持つ。次々と教義を理解していく。矛盾はないか、しっくりこないところはないか。理論的にどんどん詰めていくと、ある究極的な一点で人は先に進めなくなる。その先へ進むためにはもはや跳ぶしかないのだ。宗教が『賭け』であると最初に論じたのは、一体どこの誰だったのだろう」(P277) 中内功の経営理念を現場で一つ一つ検証し、最後にはそれから離反したのと同じように、昇は地道にエホバの証人の教義を検証していく。だが、最終的に、「本当に」そに教義を信じるためには、論理を超えた飛躍が必要となる。今までの人生で経験したことのない課題を前に、昇は逡巡を繰り返す。輸血拒否事件が起こったのは、こういう時期だった。 「昇は研究の過程で、自分なりにどんどん理論的な側面を詰めていったのだろう。そして、その先に進むためにはもはや跳ぶしかない、という一点までたどり着いてしまったのだ。美紀が伝道者になり、大が真神権学校に入校した。ますみは三人の子供を連れて、活発に伝道を続けている。昇は、跳ぶか否か、という決断を、喉元に突き付けられていた。 どうすれば神を信じることができるのか?どうすれば、『跳ぶ』ことごできるのか?答えは一つだった。エホバの存在を、その力を少しでも実感することができさえすれば、昇は新しい一歩をふみだすことができるのだった。 エホバを実感したい。昇は強くそう思った」(P291) 教義に殉じて輸血を拒否し、息子の「復活」をに賭ければ、「超越的な何か」を体験でき、本当に教義を信じることができるのではないか。 医師や警察といった社会のこちら側の人の「説得」に悩みながらも最後まで、耳を貸さなかったのは、平凡で常識的な書店経営者のあえて「社会とは異なる価値体系に跳ぶ」決意だった。 宗教でも、イデオロギーでも、愛でも何かを本当に信じるのには、「狂気」といった生まれ持った性質は必要ではない。機能までこちら側にいた普通の隣人が、日常的で常識的な価値判断によって、状況を積み重ね、ある日「跳ぶ」こと決意するだけでいい。 輸血拒否事件に怖さを感じる本当の理由は、それが、自分たちに理解できない狂信者によってではなく、自分たちと同じ普通の人の必然によってもたらされたものであるからかもしれない。
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宗教よりも病院がおかしい。
結局、宗教への軽蔑しか伝わってこない内容だった。 医学に長けてる人なら、この輸血事件は助かってる事が分かる。 どうして、応急処置すら病院がしなかったのかがわからない。 大ちゃん事件の場合は、輸血なしでも助かってる。 天皇家だって輸血禁止で助かってきたのに、大ちゃんだけ助からないとはおかしい内容。 どうして痛みの発作を抑える薬や止血剤を静脈に打たず、呼吸器だけ対応したのかわからない。 普通に危険な場所を症状や触診、見診で判断し検査すれば、当時の医学でも助かってる。 なぜ、病院が大ちゃんを殺したのかがわからない。
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実話は辛すぎる
古い本でしたが読み応えがあり、恐ろしく、悲しくなりました。
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文さん
エホバの証人の実態を実体験を基に書かれた本です。一読の薦め。
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子供を守れない大人達
自分の身を守る術を身につけられていない子供達を守るのが大人の役目なのに、犠牲になる子供達… 宗教的な理由だけではなく、そこには父と息子という複雑な関係性もあったかもしれないけども周りの大人達が結局子供を守れなかったところに憤りを感じます。 全体的な構成も良かったし、簡単に勢い良く読み進めていけたけど、最後に登場してきた後輩の北畠健の存在感が今までの流れとどうもバランスがとれていないように感じました。
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結局知りたい事は書いていない
潜入捜査みたいな話だが結局、読者が一番知りたい、荒木夫妻へのダイレクトな質疑の描写はない そして 著者がエホバ寄りの人であり、 フラットな立ち位置では書かれていない 特に(悪い意味で)印象に残ったのが エホバ側が 輸血拒否に対する疑問に 酒を例に反論したくだり。 「断酒した人が酒を注射されてもいいのか(原文ではないがこういう事)」というロジック これ、論破余裕なんですが、著者は納得してるんです。 まず酒を注射する事なんかないです。 そして 酒を辞めるという事自体 健康上の問題、つまり医学です。 「あなたは今 酒を注射しなかったら死にます」 で 注射を拒否する人なんかいません。 つまり エホバ側は反論したつもりが理屈が破綻してしまってるんです。 これに「なるほど」と反論できない著者もなんだかなあ。と。