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絶景ノート

萩原朔太郎賞

絶景ノート

岡本啓

岡本啓の詩集。日常の細部、旅や巡礼を思わせる感覚、轟音と静けさが共存する風景を、ノートの断片のような密度で編む。

現代詩風景記憶静けさ

作品情報

忘れ物のノートのように、轟音と静けさを同時に運ぶ詩集。

『絶景ノート』は、岡本啓が風景と記憶を詩の断片として書き留めた詩集。言葉のほつれや細部を見つめながら、個人的な感覚を遠い巡礼の予感へ開いていく。思潮社刊の単行本として書誌情報が確認できる。

レビュー要約

  • あとがきの言葉にも示されるように、忘れ物のノートがふいに開かれるような親密さと、音の大きな世界の広がりが読後に残る。

書籍情報

出版社
思潮社
発売日
2017-08-03
ページ数
113ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784783735755
ISBN-10
4783735751
価格
2420 JPY
カテゴリ
本/文学・評論/詩歌/詩集

一つの模様の一つのホツレさえ 気が遠くなるほどの手仕事が重なり合っている ふとはるかな巡礼の予感がある/ながい荒れ狂う季節の刺繡 (「巡礼季節」) 「絶景ノ音、離陸間際のふいの静けさ―。(・・・)この一冊が、だれかの忘れ物のノートのように、ふとそこに轟音と静けさをもたらしてくれたら」(あとがき)。 中原中也賞、H氏賞を史上初めてダブル受賞した『グラフィティ』以降、若き詩人が2015年から17年までに書きとめた詩片。 著者自装。

レビュー

  • 曲の上に、断片的に置かれていった歌詞のようだ。

    曲の上に、断片的に置かれていった歌詞のようだ。 歌詞カードを読んでみると、意味がつながっていない言葉のられつのように感じれられてピンとこないのだが、曲にのって、イメージ映像も流れている中で聞くと、生き生きとした、これ以外にないぴったりな言葉だと感じる。 この詩集に書かれているのは、そういったタイプの言葉なのだと思う。 岡本さんが見て感じた光景を、5w1H(いつ、どこで、だれが…)を正しく使って書き表すことは可能だろうか? 例えば、「Polyphony」という詩で表そうとした「岡本さんが見て感じた光景」を、5w1Hに気を付けて、数十ページかけて、詳細に記述したらどうなるのだろうか? もっとイメージが具体的で分かりやすくなって、より正確に伝わるのだろうか? 「岡本さんが見て感じた光景」を小説家だったらどう表現するのだろうか? 画家だったらどうだろうか? ピアニストだったら? 俳人だったら? 岡本さんといっしょにそこに連れて行ってもらって、説明を受けるのが一番いいのかもしれないが、一人一人に、あるいはツアーガイドさんのように10人くらいまとめてやるにしてもコスパが良くない。岡本さんと同じ感性を持った人が、その中に何人含まれているのかも考慮すると、効率が良くない。 だったら動画を配信してもらうのが良いのだろうか? NHKのドキュメンタリー番組のようになるのが良いのかもしれない。 その光景がどのような種類のものかにもよる。 富士山やグレイトキャニオンのような、圧倒的に力を持った光景だったら分かりやすい。もともと誰が出会っても感動するような力が、そのもの自体にある。 しかしそれが、幼児体験やPTSD(心的外傷後ストレス障害)になるような経験からくる、個人的な情動だったら難しい。多くの人と、その光景の感動を共有するのは難しいだろう。 また、革新的な芸術家が表現しようとするような、まだ未知の、だれも発見したことのないタイプの新しい光景なのだとしたら、もっと難しくなるだろう。ごく一部の同様の感性をもった同志を探す必要があるだろう。 あるいは、その光景自体は問題ではない場合もある。 創作者が、言葉や絵や音楽そのものの美しさや新しさを探求している場合だ。 その場合、光景自体は何でもいい……、とまではいかなくても、重要度の低い交換可能なものになるだろう。 以上のように考えてきて、あらためて岡本さんはどうなのかと言うと、「まだ未知の、だれも発見したことのない新しい種類の光景」を利用して、「言葉や絵や音楽そのものの美しさや新しさを探求している」のではないかと思う。 岡本さんの詩は、そういった意味で、二重に難解だ。

  • 最果タヒと根っこは同じ思想

    著者の手になる装丁も、旅のノートのように、「走り書き」がデザインされ、内容も、旅のなかで出会った「絶景」からインスパイアされた言葉たちと見た。いいなー、青春って。なにより言葉が新鮮である。「おとなたち」は、それに痺れて、(萩原朔太郎)賞をあげたのだと思う。しかし、果たして「おとな」は、感心はできても満足はできるのか? 国内を青春18切符でまわった著者が、格安航空を使って東南アジアの国々に、三週間(?)ほど旅した。そのとき、できた詩群である。貧しい風景にも感動し、「ぼくたち」の未来や過去に思いをはせる。ここには、「ぼくたち」しかいず、語りかけるのは、同世代か、あるいはそれより年下の世代である。 多くの年寄りは、もうわしらには書けんのーと諦めるのか? ある意味、汚らしい老人など切り捨てられているというか、捨象されている。「意匠」は異なるが、読み進んでいくと、今売れっ子の、最果タヒとまったく同じ思想であることに思い至らされる。 私はむしろ、あらゆるものに、老残を見る、ベケットの詩群が恋しくなる。

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