日本の文学賞

← 受賞作品一覧に戻る
本の都市リヨン

大佛次郎賞

本の都市リヨン

宮下志朗

『本の都市リヨン』は、宮下志朗による受賞作。晶文社から1989.12に刊行された作品として確認できる。

受賞作文学

作品情報

宮下志朗の受賞作『本の都市リヨン』。

『本の都市リヨン』は、宮下志朗の作品として受賞歴とともに参照される一作。Amazon JP の書籍検索、NDL/Open Library の同名書籍から単行本または収録書籍として確認できた。

書籍情報

出版社
晶文社
発売日
1989-12-01
ページ数
469ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784794958617
ISBN-10
4794958617
価格
5530 JPY
カテゴリ
本/人文・思想/本・図書館/本・書誌学

Amazonで宮下 志朗の本の都市リヨン。アマゾンならポイント還元本が多数。宮下 志朗作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また本の都市リヨンもアマゾン配送商品なら通常配送無料。

レビュー

  • ルネサンス期に商都として栄えたフランス・リヨンについて書いた本

    著者の紀行文から始まり、見聞録風にも読めます。版画風の挿絵が結構入っていて楽しい。本は変型で私の書棚のなかで一番大きいものでした(事典・辞書類をのぞいて)。表紙にも昔の手書き風の町の地図があしらってあります。しかし放送大学の著者担当の科目(ルネサンス文学など)の補助教材としての使用はあまりお勧めできません。参考にしようとしても範囲が広がりすぎて散漫になるだけでした。

  • 印刷業の歴史から知るリヨン

    夫のリヨン赴任に帯同するため購読。 帯同手続きの1つであるビザ申請において、 コロナ禍で制限下にあった時の発給待ちの時から読み始め、 渡仏後4ヶ月半かけて読了。 特に、リヨンで読む日々は、よろこびの日々であった。 旧市街へ買い物や観光へ行き、 通った場所が出てくると、 感無量であった。 1470年にパリでフランスで最初の書籍出版。 1472年にバルテルミュ―・ビュイエBarthélemy BUYERが活版印刷を導入して印刷工房を開設し、 1473年にリヨンで初めての書籍出版以来、 ヨーロッパでも有数の出版センターだった、 メルシエ―ル通りRue Mercièreへは、 夫を誘い、印刷博物館(ク―ロンヌ館:市参事会に使用されていた)を見学した帰りに寄った。 昔日の面影はなく、レストラン街であり、 歩いてみると、 場所の記憶のような感覚が体に残った。 印刷資材が忙しく手際良く運び込まれた、 仕事の往来の感覚である。 紙の運搬が当時はやはり最も要だったのであろうか。 読書中だったゆえ、 光の祭典の時、知らずに何となく立ち寄り見学したサン=ニジェ教会。 1528年の凶作と、フランソワ1世が皇帝カ―ル5世との勢力争いの資金調達による重税から、 1529年4月25日昼に早鐘のあおりを引き金に、 リヨン史上に残る〈大暴動〉か始まった。 この暴動参加者の殆んどがサン=ニジェ教会から北の外壕にかけて、 サン=マルセル門、グリフォン門を出た場末一帯の住民だったと本書にある。(第Ⅲ章 自由の代償) 同じく、知らずに横目に通り過ぎたジャン・ド・トゥルヌ通りRue Jean de Tournes 。 “リヨン・ルネサンスをもっともよく体現する出版人”(第Ⅷ章 出版史を彩る人々)の名を冠していたのだ。 古都リヨンを体感する、 サン=ジャン大聖堂は、 アンリ4世が、マルゴ妃と離婚後、 1600年にメデイチ家と姻戚を維持した再婚の婚儀を行った、 美しいステンドグラスとフランス最古の天文時計のある名跡。 1595年のアンリ4世のリヨン入市式の挙行後は、 市参事会の権限を縮小し、 パリにならい〈市長〉職の設置、 自由都市から 国王権力の支配下に入った。 1572年8月18日のアンリ4世とマルゴ妃の婚儀から5日後のサン=バルテルミ―の虐殺が各地に波及し、 8月31日リヨン晩祷の虐殺。 リヨン印刷業も約100年で、 宗教内乱を経て、 ジュネーブへの改革派大量亡命で人口流出、 以後、斜陽化する。 一見して精神疲労が払拭され、 リヨンの精神的伝統にも接した感がした、 リヨンを代表する勤勉なショコラティエ「BERNACHON」の店舗。 この勤勉というのは、 恐らくリヨンの伝統の1つだと私には感じられたためで、 本書にて、次のくだりを読んだ時はやはりそうだったかと得心した。 “リヨンの印刷職人たちは、 何と夜中の二時から明くる夜の十時まで、 つまり一日に二〇時間も働き、 日に三〇〇〇枚以上を刷り上げても音をあげなかったという。 むしろ、パリ以上の生産性を誇りにしていたのだ。 今でもそうだが、 この仕事はいったんある本の印刷にかかったら、 集中して行わなければ極端に能率が落ちてしまう。” (第Ⅳ章〈大食らい団〉とストライキ) そして、ラブレ―François Rabelaisである。 渡辺一夫『ヒューマニズム考−人間であること』を読んで、 ラブレ―がリヨン市立病院の勤務医であったことを知り、 ラブレ―『ガルガンチュア』(宮下志朗訳)を読み始めたのだが、 糞尿譚の趣があるため、 読み辛くて中断していた。 しかし、リヨンの旧市街へ初めて出かけ、 ラファイエット橋を渡り始めた時に強烈に魅力を感じた建物、 「ホテル・デュ―Hôtel Dieu」(前ホテル・デュ―/リヨン市立病院)へ訪れてからは、 やはり再び手に取りだした。 ラブレ―『ガルガンチュア』『パンタグリュエル』はリヨンで印刷・出版された。 息子と社会問題に巻き込まれてから、 読書は精神的な支えであった。 そして、それは主にフランス文学であった。 絶望と過ごす日々となり、 悲嘆と愁傷が過ぎる時は、 フランス文学を読む。 生きる活力となり、精神の糧であり、 希望や目標が持てる程の回復までには至らなくとも、 日常の作業をこなして行ける。 言語学者だった実父が亡くなった後、 愛知県立大学で同僚だった先生方や共著の先生方の仕事を探し出し、 追憶と共に読み直す日々に於いては、 リヨンは2名の先生との御縁の都市であった。 私自身は殆んど面識もなく、 遺された著作や翻訳書だけが軌跡を知る手掛かりである。 本書は、リヨンの歴史を深く知り得るだけでなく、 私には僥倖の一冊であった。

関連する文学賞