作品情報
開国前夜の北方で、ロシア、アイヌ、日本が交錯した人間の歴史を描きます。
十八世紀から十九世紀初頭の北方を舞台に、ラクスマン、レザーノフ、ゴローヴニンらの来航と、幕府、松前藩、アイヌ社会の動きを重ねて描きます。国家間の外交史にとどまらず、通訳、交易、誤解、暴力が絡み合う人間の歴史として読ませる一冊です。
書籍情報
- 出版社
- 洋泉社
- 発売日
- 2010-02-02
- ページ数
- 353ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784862485069
- ISBN-10
- 4862485065
- 価格
- 2420 JPY
- カテゴリ
- 本/歴史・地理/日本史
名著『逝きし世の面影』から十余年……。 いま漸く、その続編が書き継がれた! ロシア・日本・アイヌの三者の関係をとおして、北方におけるセカンド・コンタクトの開始を世界史的視点で捉える。――異文化との接触で生じる食い違いなどエピソードに満ちたこれこそ人間の歴史! 渡辺史学の達成点を示す待望の書、遂に刊行!
渡辺京二(わたなべ・きょうじ) 1930年京都生まれ。大連一中、旧制第五高等学校文科を経て、法政大学社会学部卒業。日本近代史家。河合教育文化研究所特別研究員。熊本市在住。 主な著書に『渡辺京二評論集成』全四巻(葦書房)、『北一輝』(ちくま学芸文庫、毎日出版文化賞受賞)、『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、和辻哲郎文化賞受賞)、『江戸という幻景』『アーリイモダンの夢』(いずれも弦書房)、『評伝 宮崎滔天』(書肆心水)、『神風連とその時代』『なぜいま人類史か』『日本近世の起源』(いずれも洋泉社・新書MC)などがある。
レビュー
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北方国境周辺の歴史的事情を知るに良書
江戸中期から黒船来航前まで、 日本北方でロシアと日本が出会い、 外交と国境問題を模索した時代を 分かりやすく説明してあります。 アイヌがいかにしてその存在を失って いったかも伺え、世界の中の日本という 国の外郭が形成されていく様が理解できます。 歴史好きの方も楽しめますし、 日本人や日本という国について 考えたい方にも良い本ではないでしょうか。
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美本
予定道理に配達され、綺麗な状態の書籍でした。 有難うございました。
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北の民族の”習慣・祭りごと”に、チョイ興味がありました。
ロシアとの接触経過の詳細さには、敬服です。アイヌの熊-信仰部分も良かった、よりカムチャッカに近い民族の”熊や、動物”への、人との関わり合いの記述が欲しかったけど。 そこまで、この本に期待するのは、こちらの勝手でしょう。全体に、良い本だと思いました。
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授業のサブテキストとして使用しました
内容がロシアと日本の国境問題に直結していましたので理解するのが大変でしたが、複雑な日露外交通商史の概要を知るのに役にたちました。 これからもこうした歴史に光をあてて考えていくことが日露関係の将来を考える上で大切だと思いました。
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日本人とアイヌそしてロシアの三角関係
日本人とアイヌそしてロシアの三角関係。日本とロシアの現在はここからはじまりました。
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残念
アイヌを美化しすぎ。 事実誤認が甚だしく間違った認識を与えている。 残念です。
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北方の三国志
黒船襲来と言えば、1853年のペリー来航を思い浮かべる人は多いだろう。しかし、そこから時を遡ること50年以上前、鎖国をしていた日本に対して、ロシアが開国への扉を開こうとしていたことは、あまり知られていない。 北海道を中心に世界地図を見てみると、日本とロシアがいかに近い国であるかということに驚かされる。ロシアに日本語学校が設立されたのは1705年。300年以上もの歴史を持つのである。また、はからずも遭難し、ロシアに漂着してしまった日本人も多かったという。ちなみに、日本人初のユーラシア大陸の横断は1702年に、大阪の伝兵衛という商人によってなされている。本書はロシア・アイヌ・日本が蝦夷地(現在の北海道)をめぐって繰り広げた北方三国史である。 ◆近世におけるロシアと日本の主な接触 1702年 大坂の商人、伝兵衛:遭難によりロシアに到着 1705年 サンクトベテルブルクに日本語学校開校 1729年 薩摩の宗蔵と権蔵:カムチャツカ南端に漂着 1739年 シュパンベルク:仙台沖合で日本本土視認、日本探索が目的 1771年 ベニュフスキー:土佐国、阿波国に接岸 暴風による漂着 1776年 シャバリン:択捉の北岸に上陸、ニコライ号大破の救助が目的 1792年 ラクスマン:根室に来航 遣日大使として通商が目的 1804年 レザノフ:長崎に来航、特使として通商が目的 なぜ、ペリー来航のときに開けられた扉が、ロシアには開けることができなかったのか。理由は二つある。 一つは、アイヌという民族の存在である。双方の国と交易をおこなっていた彼らは、時には通訳として、時にはガイド役として、間接的に両国の仲介役を担っていたのである。そして、日露双方はアイヌを巡って、いかに取り込むかという駆け引きを行っていたともいう。たびたび民族的蜂起もあったとはいえ、和人とアイヌが大自然に混じりあって共生している有様は、実に牧歌的な原風景でもある。 もう一つは、近代以前の近世という時代において、国家という意識が十分に形成されていなかったということがある。時を追うにつれ、国家という意識の萌芽が生まれつつあるも、幕府や藩には、版図拡大という衝動が、決定的に欠けている。一方、当時のヨーロッパでは、フランス革命という砲煙の中からナポレオンが雄姿を現そうとしていた。そのため、ロシア側においても、東方への充分な関心を維持する余裕はなかった。日本とロシア、双方が国家という枠組みで、互いの維新をかけなかったからこそ、隣人への愛が存在したのである。 信義を重んずる民族であったアイヌには、「ツグナイ」という風習があったそうである。日本語とほとんど同じ意味をもつこの風習は、紛争が生じた場合、弁論または武闘の結果、非があると認めた方が、所持する宝を差し出す行為のことを指したという。殺人のような場合ですら、ツグナイで和解が成立したそうである。この重要な社会的慣行に日本語が借用されているという事実は、非常に興味深い。そして、そのアイヌも、国家を指向しなかったがゆえに、やがて衰亡の道を辿っていく。なんとも皮肉な運命である。 一向に解決の兆しが見えない、北方領土問題。今の状況を当時のアイヌ人が見たら、どう思うのだろうか。「ツグナイ」どころでは、済まないかもしれない。
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渡辺史学に成り上がったんですね。
著者の出世作「挫折について」(1961)を読んで、ここ まで自分の言葉で語ることができるんだと自信をつかん だ記憶があります。同時に、そのために主観が偏る危険 についての自覚も必要だということも、その時分かったつ もりです。 本書にもその功罪両面がでてしまったと思います。功 からいうと、19世紀北方でのロシアとの交渉を限られ た資料の中から、民俗誌的にまとめあげたこと。(ただ し、「ロシア・アイヌ・日本の三国志」という副題は、ア イヌに関する記述がエピローグ以外にはほとんどないの で、羊頭狗肉でしたね。)この箇所は、読み物としてもと ても面白く楽しめました。反面、そこで記されている幕府 側役人や民衆の寛大な態度を、過度に強調していること は気になりました。これまでの歴史学の硬直した見解を 見直す趣旨は分かりますが、これには眉につばしておい たほうがよいと思います。 これは、特別な根拠があるわけではないし、不遜とも思 うのですが、結局著者は教えを受けたという谷川雁を超え ることができなかったなという思いが、読み終わってから よぎりました。なお、引用文献を当該ページの末尾に記す (横註というのでしょうか。)本書の形式は、理解がしやす く助かりました。
関連する文学賞
- 大佛次郎賞 第37回(2010年) ・受賞