日本の文学賞

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新復興論 増補版

大佛次郎論壇賞

新復興論 増補版

小松理虔

福島県いわき市を拠点に、震災と原発事故後の地域、食、文化、物語を考える評論。増補版では震災後十年の思考が加えられた。

福島復興地域

作品情報

復興を制度ではなく、自分と土地の関係から問い直す。

小松理虔が浜通りでの実践と思考を記した評論。地域の食、原発、文化活動、物語の継承を通じ、復興を当事者性と共事の問題として考える。

レビュー要約

  • 読者からは、題材への切り込み方と人物の感情をすくう筆致が評価されている。一方で、静かな展開をじっくり読む作品として受け止められている。

書籍情報

出版社
株式会社ゲンロン
発売日
2021-03-11
ページ数
456ページ
言語
日本語
サイズ
2.6 x 12.8 x 18.8 cm
ISBN-13
9784907188412
ISBN-10
4907188412
価格
2750 JPY
カテゴリ
本/社会・政治/社会学/社会学概論

「本書は、この増補によってようやく完結する」 大佛次郎論壇賞を受賞した著者の初単著が、3万字超の書き下ろしを収録し新たに登場。震災から10年、格闘し続けた福島のアクティビストは何を思うのか。海外の被災地との交流、福祉施設への滞在、娘の成長。様々な出会いを通して、著者はトラウマを受け止める「物語」の力を発見する。その先にあった、「共事」という新たな立場とは。待望の増補新版。

小松理虔(こまつ・りけん) 1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。いわき市小名浜でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、いわき海洋調べ隊「うみラボ」では、有志とともに定期的に福島第一原発沖の海洋調査を開催。そのほか、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。『ゲンロンβ』に、『新復興論』の下敷きとなった「浜通り通信」を50回にわたって連載。共著に『常磐線中心主義 ジョーバンセントリズム』(河出書房新社)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)ほか。初の単著である『新復興論』(ゲンロン)が第18回大佛次郎論壇賞を受賞。

レビュー

  • 文化や歴史、芸術の再起動と、福島第一原発の観光地化による復興を提案

    いわきという地域での震災後の実践活動から哲学を深めた筆者の力量に舌を巻いた。 いわき市の小名浜に住む筆者は、東電や国はもちろん、福島県産品を危険物扱いする反原発派の言論に怒りを覚えてきた。 原発事故によって福島は左傾化すると予想したが、「福島では数万人が死ぬ」「福島の食品は放射性廃棄物と同じだ」……と山本太郎らが発信するのを聴き、リベラルへの失望と反感が高まり右傾化していった。筆者自身も「反原発勢力を無知だとたたきまくった」という。 県民の多くが脱原発を望んでいるが、脱原発を掲げる政党はむしろ福島の人たちをおとしめる。脱原発をめざしながら、健康被害が最小限であったことを喜び、差別にも加担しない、科学的な思考をベースに原発に依存しない社会を設計できる勢力がない、という。 一方で右派からの行き過ぎた反発にも疑問を抱く。悪いのは東電や国なのに、なぜ住民が分断されなければならないのか。対立をどうほぐせばよいのか。 この本はまず地区の特性に注目する。 親潮と黒潮の潮目で豊かな漁場がある。黒潮の北端であり、ヤマトの最北端であり、アイヌの地の最南端という説もある。関東と東北の境界だった。 京都の文化は日本海沿岸を経由して、三陸の宮古あたりまで伝わり、逆回りは銚子あたりまで伝播したが、それ以北は難所の鹿島灘があり伝わりにくかった。「いわきはシルクロード最果ての地」と位置づける民俗学者もいる。 関ヶ原でも戊辰戦争でも敗れ、そのたびに中央の論理で地域を分断された。だから地域の文化の自己決定能力を育めなかった。 小田原のかまぼこの一部は、いわきのメーカーがOEMで生産している。安価なコモディティ商品として出荷されるから特産品であることを地元民も知らない。いわきの工業生産高は震災前まで東北1だったが、「安価な大量生産品を供給する」バックヤードだから世間には知られない。 常磐炭鉱が石炭を供給し、閉山になると原発が林立した。首都圏をバックヤードとして支えることが誇りになり、本来の文化や歴史に目を向けなくなり、地域の自立心が失われた。 原発は「とりあえず」豊かになるために受け入れたが、そのうちにそれなしには生きられなくなり、依存してしまった。震災復興の助成金にも依存して、いつの間にか助成金を得ることが目的化してしまう。 震災後の復興は、課題が大きいほど、過去や未来を遠くまで参照しなければならないはずなのに、いたずらに決断を急がされ、現場のリアリティに引きずられてしまった。 いわきに足りないのは、文化の自己決定能力だという。 内側に向けて「まじめに」復興を試みるだけではその能力は育めない。外に向かって開き、外の人に興味をもたれる必要がある。「外」とは外部という意味だけでなく、すでにこの世にいない「死者」や未来の人も含む。 具体的には、芸術祭や回廊美術館、伝統的な盆踊りの復活の動きに希望を見出す。現実のリアリティの引力が強い福島だからこそ、現実の問題からいったん離れて、死者の声や外部の声に耳を傾け、思想やアート、文化の力を取り込み、観光で外とつながる。それができて筆者自身も楽になったという。 福島で一番力のある場所である福島第一原発を観光地化し、原子力災害の被災地としてのマイノリティの立場から、震災や原子力災害の悲惨さを後世に伝え、文化的なアプローチによって対話や想像力を育む土地にしていくことが復興に欠かせないと説く。 さらに、一定の条件を満たせば、最終処分場をつくってもよいと考える。 条件とは、処理場そのものを学習施設とし、あらゆるデータを公開し、厳然たる事実として突きつけることで原発事故を語りつづけ、人間の叡智と愚かさを考える場にすることだ。それによって広島・長崎・水俣などと連帯することができる。 軸となる歴史や文化をとりもどすことができず、地域作りに失敗し、その結果、中央への依存を余儀なくされ、その依存構造すらも忘れ、自らを周縁化させ、ついには中央に裏切られる歴史だった。それをくり返さないためには、文化や歴史、芸術といった領域の活動を再起動する必要があると結論づける。

  • フクシマの困難性を引き受けて、復興する。

    2011年3月11日 マグニチュード9.0の東日本大震災によって、死者、行方不明者、関連死などによって、2万2千人に上った。(2022年3月10日現在)巨大な津波が押し寄せ、原発のメルトダウンが起こった。そのことで、放射能を撒き散らした。小名浜に住む著者は、自称ローカルアクティビスト(活動家)である。「いわき海洋調べ隊うみラボ」を主宰。2015年には、国連の「生物多様性アクション大賞・特別賞」を受賞している。福島と地域の復興と自分自身の復興を問いている。 「復興とは、傷ついた街を再生し、賑わいを取り戻し、人と人をつなぎ直して、その地域での暮らしを、よりよいものにしていくこと、つまり地域づくりだ」という。そして、復興するというのは、被災者でなくなることだ。復興を叫ぶほど、被災者という立場を固定してしまう。 福島は課題先進地区であり、浜通りで始まった取り組みや刺激的な空間、そして地域アートのプロジェクトを紹介している。とにかく自分自身の目で確認しないと気が済まない。 「福島第一原発観光地計画」や「ダークツーリズム」などを企て、ふまじめ、物見遊山、勘違いや偏見を持った人をも受け入れてきた。著者は、かまぼこメーカーの広報担当だった。そして退社して、津波被災地の復興商店を手伝ったりして、ルポを書いていたのが、本となってまとめられた。 東日本大震災と原発事故で、何を失ったかを問いかける。少なくとも、原発事故が起こした社会的分断に関しても、どう対応するのかを丁寧に描いている。 福島沖は、潮目のところ。魚を育てる親となる親潮・寒流と暖流と言われる黒潮がぶつかるところである。豊富なプランクトンが集まるために、それを餌にする魚たちもこの海域に集まってきて、豊かな漁場なのだ。アクアマリンふくしまの最大の目玉が「潮目の大水槽」。いわき市は、年間日照時間は東北で第1位でもあり、農業の盛んなところである。福島は大都会の食の素材を提供してきたところでもある。いわき市が、ヒノキ、クスノキの北限となっている。エゾノコギリソウ、ハマギク、ハマナスの南限でもある。『境目』という場所がフクシマなのだ。 そんな中で、ふくしまの農魚産物は、放射能汚染されているという風評がいまだに根強い。 放射能に関しては、コメなどは全て検査して、安全シールを貼っている。2005年以降、国の基準値100ベクレル/kgを超えたものはない。2020年2月には、全魚種の出荷制限が解除された。放射能に関する不安が情緒的問題であることを理解して、科学的根拠に基づいて説明して正しいだけでは、人は動かない。 人の心が動くのは、「おいしい。おもしろい。楽しい」が必要である。「福島産を選ばない」という選択肢もあることを認めるしかない。正しさを持ち込んでも、対話は深まらない。 復興に依存するのでなく、復興を卒業し、地域が自ら文化を育て、平田オリザがいう「文化の自己決定能力」をつくることだ。突き抜けたものを創造する。 フクシマの対する批判、そして風評被害、根本的には政府と東電に責任があるが、説明責任を果たさず、そのことで、政治的な対立、脱原発、反原発、反被曝などの意見と対立、避難した人たちの置かれた状況、海岸がコンクリートに固められている状況、さまざまなネガティブな状況の中で、希望を必死につかもうとする逞しさ。それがなければ、フクシマを復興できない。 福島の現状を消化する筆力に、頼もしさえ感じた。フクシマアクティビストの想いが詰まっている。その困難性を呑み込むパワーに驚く。

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