日本の文学賞

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山口 瞳

やまぐち ひとみ

Yamaguchi Hitomi

プロフィール

性別
男性
生誕
1926-01-19 (東京府荏原郡入新井町(現:東京都大田区))
死没
1995-08-30 (東京都小金井市(聖ヨハネ会桜町病院ホスピス)) 69歳
国籍
日本
言語
日本語
宗教
仏教
居住地歴
入新井町(現:東京都大田区) → 川崎市(家族の一時期の移転先) → 鎌倉市 → 国立市 → 小金井市

経歴

職業
小説家, 随筆家, コラムニスト, 編集者, コピーライター
活動期間
1961年〜1995年
所属
国土社, 河出書房新社, サントリー, 週刊新潮
所属団体
将棋ペンクラブ
影響を受けた人物
吉野秀雄, 高橋義孝, 開高健
影響を与えた人物
伊集院静, 三谷幸喜

学歴

鎌倉アカデミア
期間: 1946 - early 1950s
国: 日本
在学中から同人誌に作品を発表。歌人・吉野秀雄に師事。
國學院大學
文学部 / 文学科
学位: 学士
期間: 1950s - 1954
卒業年: 1954
国: 日本
高橋義孝の薦めで入学し、1954年に卒業。

受賞歴

直木三十五賞
1963
対象作品: 江分利満氏の優雅な生活
主催: 直木賞選考委員会
結果: Winner
菊池寛賞
1979
対象作品: 血族
主催: 菊池寛賞選考委員会
結果: Winner

受賞・候補エディション

直木三十五賞 1回登壇
  1. サラリーマン江分利満氏の日常を通じて、戦後日本の中年男性の生活感、滑稽さ、哀感を描く連作的な小説。軽妙な語りの奥に、家庭と会社に挟まれる時代の実感がにじむ。

    会社員の日常の可笑しみから、戦後日本の生活の手触りが立ち上がる。

    256ページ
    サラリーマン戦後日本家庭ユーモア中年

作品

代表作

江分利満氏の優雅な生活

1963年 小説

『江分利満氏の優雅な生活』は庶民的な日常をユーモラスに描いた短編・中編の連作集。作者の代表作で直木賞受賞作。生活習慣や人間関係の機微を機智のある語り口で綴る。

家族ユーモア庶民生活礼儀作法
映像化・舞台化
  • [映画] 江分利満氏の優雅な生活(映画化)

血族

1979年 小説

自らの両親の生い立ちを題材にした家族小説。遊廓や家族の秘密を背景に、血縁と世代の関係を描く。菊池寛賞受賞作。

家族の秘密出自社会史
映像化・舞台化
  • [テレビドラマ] 血族(NHKドラマ化) / 深町幸男 (1980)

男性自身(シリーズ)

1965年 随筆・コラム

『週刊新潮』で1963年から死去まで途切れず連載された長寿コラム(1963年開始、延べ1614回)。都市生活、礼儀作法、行きつけの店や人間観察を軽妙な筆致で綴る。

日常観察礼儀作法都市生活

全著作

  • 江分利満氏の優雅な生活
  • 江分利満氏の華麗な生活
  • 結婚します
  • マジメ人間
  • 新入社員諸君!
  • 山口瞳血涙十番勝負
  • 血族
  • 居酒屋兆治
  • 家族
  • 男性自身(各巻)

翻案

  • 江分利満氏の優雅な生活(映画化)
  • 血族(NHKテレビドラマ)

作品の翻訳

  • 江分利満氏の優雅な生活 — 英訳(題名例)

作風・主題

文体
軽妙なユーモア観察的で人間味のある語り口短篇連作やコラムに適した簡潔な文体
頻出モチーフ
家族礼儀作法競馬将棋野球飲食店(行きつけの店)

健康

  • 糖尿病
    長年(克服の時期あり)
    一時期治療し克服したとされるが、長年の持病だった。
  • 肺癌
    1995年(晩年、急速に悪化)
    死の直前に急速に悪化し、ホスピスで逝去した。

評価・遺産

山口瞳は戦後日本の生活観察とユーモア随筆を代表する作家であり、直木賞・菊池寛賞を受賞。長年続いたコラム『男性自身』や家族を題材にした著作で広く読まれ、将棋や競馬、野球に関する記録・随筆も評価された。

関連学会

  • 将棋ペンクラブ(参与・選考)

資料所蔵先

  • 鎌倉文学館(ゆかりの資料)
  • 國學院大學(関連資料)

大衆文化への影響

  • 江分利満氏の優雅な生活(映画化)
  • 血族(NHKドラマ化、1980年)

引用

  • 我が生涯の幸運は、戦争に負けたことと憲法九条に尽きると思って居る。
    出典: 『男性自身』等(随筆) (2003年)
  • トリスを飲んでHawaiiへ行こう!
    出典: サントリーPR雑誌のコピー(サントリー勤務時の広告コピー)

豆知識

  • サントリー在籍時に作成したコピー「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」で知られる。
  • 『男性自身』を1963年から死去まで連載(延べ1614回)、一度も穴をあけなかった。
  • 将棋では瞳流6筋位取りを研究・実践し、プロ棋士と対戦記録がある。
  • 没後に日本将棋連盟からアマ七段の免状が贈られた。