日本の文学賞

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蕁麻の家 (講談社文芸文庫 はG 2)

女流文学賞

蕁麻の家 (講談社文芸文庫 はG 2)

萩原葉子

『蕁麻の家』は、萩原葉子の自伝的長篇で、詩人の娘としての生い立ち、家庭内の痛み、孤独と抵抗を強く描く。題名の棘の感覚が、主人公を取り囲む家族の冷たさを象徴している。

自伝的小説家族孤独女性の成長

作品情報

家族の棘に囲まれた少女期を、凄みのある自伝的筆致で描く長篇。

講談社文芸文庫版で確認できる萩原葉子の長篇で、女性文学賞受賞作として、女性の自伝的経験を文学として押し出した作品である。講談社系情報で ISBN を確認し、ISBN-10 を ASIN として補完した。

レビュー要約

  • 自伝的な切実さと、家族の痛みを正面から見つめる強さが読まれている。暗い題材でありながら、書くことで自分を立て直す力が印象を残す。

書籍情報

出版社
講談社
発売日
1997-01-01
ページ数
234ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784061975538
ISBN-10
4061975536
価格
880 JPY
カテゴリ
本/文学・評論/文芸作品/日本文学

青春の暗部をえぐる自伝的小説。女流文学賞詩人萩原朔太郎の長女に生まれ、八歳で母が去り父の実家で祖母の虐待と侮蔑の中で育った主人公の孤独と挫折の娘時代と父の死の場面迄を毅然と描く。三部作の第一

レビュー

  • 天才詩人の暗澹たる家庭環境

    萩原朔太郎の長女、萩原葉子が育った萩原家をモデルにした小説である。母は若い男性と出奔して、残された父は二人の娘を連れて実家に帰る。実家には家長の祖母と叔母たちがいる。祖母は出奔した母を淫乱となじり、孫に冷たくあたる。祖母の意地悪さは異常なほどで、吝嗇で俗物の塊として描かれる。叔母や知的障害のある妹、学校の先生や友人までも主人公のふたばには敵対的な存在である。父は頼りにならずふたばを避けている。こんな主人公にさらに災難が降りかかる。物語として人物はキャラクター化されているが、ここにある出来事は事実なのだろう。詩人の大岡信が「日本近代詩を創った天才詩人がこんな家庭環境にあったことを知って暗澹とする」というようなことを文芸時評でたしか書いていた。私も朔太郎のファンであるから、伝記的な事実に興味が行く。晩年の詩集『氷島』が刊行されたのは、この小説の時期に重なる。『氷島』の自序で「純粋な詠嘆詩であり、……著者の実生活の記録であり、切実に書かれた心の日記」と記されていた。詩集タイトルとその内容にいたった具体的な背景をこの小説から示唆されたようである。

  • 火宅の人がバカ売れしているときに読んだ。

    また読みたくなって買った。萩原葉子という人、太宰と親しかった山岸外史が近くに住んでいなかったら、おそらく物書きになっていなかっただろう。父朔太郎、今でもそうだが、詩だけでは食っていかれない。親父が医者だったから、四十歳まで詩に集中できたのかもしれない。 女同士のやり取り、看護婦の世界でもそうだが、男のモノサシでは、はかれないようなところがある。 萩原葉子は実際にはもっとすごかったと言ったそうだが、たぶんそのとうりだと思う。 萩原朔太郎の死因は肺炎というが、アルコール依存症による衰弱死ではないか。

  • 家なき子の100倍酷い話

    最低の家族、親類、友人、知人それらに生まれながらにして囲まれ、虐待され主人公は育つ。 毎日罵倒され、差別され、私は読んでいて作中の周囲の人間に何度も何度も殺意を覚えた。物凄く虫唾が走った。何故?主人公は攻勢に転じずいつも受身なのか?私は解った。主人公にはもう既に感情と言う感覚が麻痺してしまっているのだと。虚無なのだと。それほどまでに劣悪な環境を作中で描いている。家なき子の100倍酷い話だ。 この作品は作者の実話らしいが、「ただの被害妄想だ」と述べる批評家もいたらしい。私は実話ではなくあくまでも小説であって欲しい。そう思うのだ。そうでなければいくらなんでも酷すぎる。そういった思いでこの作品の感想としよう。 なおこの作品は 【第15回(1975年)女流文学賞】受賞作

  • こんなに壮絶な人生があるなんて!

    詩人・萩原朔太郎を父に持つ作者。読む前の情報として知っていた「親類縁者の虐待」。 それでも「そんなに激しい虐待のはずがない」「“自伝的”小説といっても、脚色も多いんだろう」そんなことを思っていた。 ところが、読んでみて驚いた。 今の世で考えたら、こんな“おばあちゃん”が想像できないから。 いかに“家”っていう閉じられた社会の制度が恐ろしいかを感じる(決して核家族を奨励してるわけではないのだが)。 家柄を守りたい思いと、家長の力がいかに強かったか。 少女時代を過ぎても悲劇はこれでもかと続く。 素性のよくわからない男にだまされてしまい、そして父は…。 読み始めたらあっという間に読み終えてしまった。そして続編も。 現代の、当たり前のように家族の愛を受けて育った人には衝撃的な一冊。

  • 壮絶な女の人生?

    父に萩原朔太郎を持ち、作家としてデビューした萩原葉子の自伝的小説。萩原葉子の名を知らなくとも、詩人・朔太郎の名前はご存じの方も多いと思う。文壇で注目を集めていた朔太郎が、家庭では、何とも頼りのない、イライラさせられるほど情けない父親であったことも面白い逸話であるが、何と言っても、葉子の生い立ちがすごい。祖母からの虐待、知能障害の妹の存在。まさにいばらにがんじがらめにされた青春期を送るのだ。恋愛体験も書かれているが、その結末は決して喜べるものではない。一人の女性が多くの避けられない宿命とでも言うべき困難にいかに立ち向かっていったか・・・。通読するのに時間はかからない。

  • 詩人の栄光と不幸

    幼少期、自分は苦労したきたという簡単に語るのはあてにならないと思う。子どもは生活状況を選べないので、それを語るのは、生まれた家庭の事情をさらすということでもある。だから本当に壮絶な体験があった場合、肉親への非難や家の恥を語るのでかなりの覚悟がいるということだ。 曽野綾子は自分は苦痛に一人で耐えてまきわりも自分でできるというが、良家の出身で、たまたまそうなったという安全地帯に自分をおく。苦労でなかったとは思わないが、通常の範囲に収まっている上、時代差を考慮せず自分の経験を自慢や教訓として語る人は信頼ならない。萩原葉子にはなんの押し付けがましさもないし、彼女の体験の前では曽野は黙るしかないだだろう。そもそも、本当に傷ついたことを語るのはそれなりの時間と濾過が必要だろう。この本は後年に書かれているようだ。 「この都会を愛するのはよいこと」とうたった朔太郎は個人のエゴに基づく家のしがらみや因習、また自分の娘に起こっていることも本当は誰よりも見通していたはずだ。詩人は世界の外にいるが、誰よりも鋭く全てを知っている。もちろん詩人にもいろんなタイプがあり、室生犀星は生活上でも常識的な家庭人としてこの本の主人公がうらやんでいる箇所もある。しかし朔太郎は詩人の典型として認識は天才で生活には無能力者であったとされている。詩人の栄光と不幸があり、葉子はその不幸を担ってしまった印象を受ける。

  • 人によってはフラッシュバック注意

    この本を読んで「こんなことが本当にあるとは思えない」「作者の被害妄想では」と 思える人は幸せだ。(実際出版当時もそういった批判が出たらしい) 私は「祖母」からではないが、家庭内でこれに近しい言葉を浴びせられ続けて育った。 私の受けた言葉と「祖母」の言葉がとても似通っているので驚いた。時代も 育った背景も(「祖母」は少なくとも医者の夫を持っているので、それなりの生活レベルだ) 全く違う人間が、こうも同じ言葉を選べるのか、と。 作者の文章力が有りすぎるために、自分自身が言葉の虐待をうけて育った人にとっては フラッシュバックの危険があるので注意が必要。 しかし、有る程度癒えてからならば、この物語を通して もう一度自分を見直せるかも しれない。私は正直、作者の性格にも問題があると感じた。虐待が先か、性格が先か、 これはタマゴとにわとりのような問題だが、少なくとも 作者は素直に気持ちを言葉に 出したり甘えたりしない性格であり、自分の考えだけで突き進んでしまうところが 周りの気持ちをささくれださせてしまっている。そしてそれは「もしかして私も こういう子供だったのかも」と、ここ数年ずっと他人を責めてきた私を立ち止まらせて くれた。 この「祖母」を、現代の精神医学で見たら、なんという病名になるのだろうか。 それがどうしても知りたく思った。

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