日本の文学賞

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花影

野間文芸賞

花影

大岡昇平

大岡昇平の『花影』は、花柳界の女性をめぐる記憶と語りを通して、愛欲、死、文学的な作為を描く小説である。実在のモデルを思わせる人物像を、死者の語りに近い形式で浮かび上がらせる。

花柳界記憶死者の語り愛欲文学的作為

作品情報

消えた女の面影が、語りの奥で花の影のように揺れる。

講談社文芸文庫版は、作品を花柳文学と鬘能の系譜に位置づける解説を添えた文庫版。ISBNが確認できる。

レビュー要約

  • 実在の人物を思わせる素材を、単なる私小説にせず、語りの形式そのものへ緊張を与えている点が読まれている。

書籍情報

出版社
講談社
発売日
2006-05-11
ページ数
208ページ
言語
日本語
サイズ
10.8 x 0.8 x 14.8 cm
ISBN-13
9784061984400
ISBN-10
4061984403
価格
605 JPY
カテゴリ
本/文学・評論/文芸作品/日本文学

女の盛りを過ぎようとしていたホステス葉子は、大学教師松崎との愛人生活に終止符を打ち、古巣の銀座のバーに戻った。無垢なこころを持ちながら、遊戯のように次々と空しい恋愛を繰り返し、やがて睡眠薬自殺を遂げる。その桜花の幻のようにはかない生に捧げられた鎮魂の曲。実在の人物をモデルとして、抑制の効いた筆致によって、純粋なロマネスクの結構に仕立てた現代文学屈指の名作。 花の哀れに託した女の一生。 女の盛りを過ぎようとしていたホステス葉子は、大学教師松崎との愛人生活に終止符を打ち、古巣の銀座のバーに戻った。無垢なこころを持ちながら、遊戯のように次々と空しい恋愛を繰り返し、やがて睡眠薬自殺を遂げる。その桜花の幻のようにはかない生に捧げられた鎮魂の曲。実在の人物をモデルとして、抑制の効いた筆致によって、純粋なロマネスクの結構に仕立てた現代文学屈指の名作。 小谷野 敦 葉子が最後に死ぬことは、エピグラフによって暗示され、作品全体は、あたかも夢幻能における死者の語りのように描かれているのである。『花影』を日本の文学伝統のなかに位置づけるなら、それは一見花柳文学だが、実は鬘能の系譜に連なるものなのである。能楽は、徳川時代、武家の武楽であった。つまり武士的精神を枠組として女の色恋を描こうとすれば、死者となった女の語りという形式をとるほかないのである。――<「解説」より>

レビュー

  • ぜひ一読ください

    武蔵野夫人が良かったので、続けて花影も読みました。武蔵野夫人が昭和25年の作品で、この花影は昭和36年、大岡昇平52歳の作品だそうです。心情の描写については、武蔵野夫人の方が細かいように感じましたが、その分、展開が早く読みやすさはありました。戦場で死と向かい合わせだった作者が描く死までの過程は必読だと思いました。いずれにしても、文体が素晴らしく、とても良い作品です。さすが昭和を代表する大作家です。

  • 時代の風俗をとらえているが、ヒロインの性格表現や自殺の経緯に説得力がない。

    大岡昇平は戦記物の作家として読みごたえがあったが、恋愛ものは、武蔵野夫人も読んだか、花影と同じ印象で、あまり感心しない。

  • ◆三十代独身、子なし、囲われ者として生きる女の生涯

    今までいろんな純文学に触れて来たが、『花影』はまた独特なオーラを放つ作品である。 現代では、三十代後半の女性と言ったらまだまだ瑞々しく、年齢のことを気にするような世代とは言えないが、戦後のまだ貧しかった社会を生きる女の三十代後半というのは、何となく心寂しいものがあった。 とくに、家庭を持たない独身女性の境遇は、現代とは比べものにならないほどの暗いイメージがつきまとった。(無論、明るくたくましく暮らしている方々もいたと思うが) この小説は、そんな三十代後半の女性が、愛人であることを解消した後から自殺するまでのプロセスを追うものだ。とはいえ、そんな俗っぽいことが話の中心になっているにもかかわらず、色恋にまつわるエロスからは程遠く、主人公の女の、月日とともに衰えゆく容姿や、酒で孤独を紛らす心寂しさに作品全体が覆われている。 おそらく、著者である大岡昇平のカラーがこの作風に大きく影響しているのであろう。代表作である『レイテ戦記』に見られるような歴史小説としての筆致が見られ、しがない女の歴史の点みたいな晩年を淡々と綴っている。 しかもこの主人公の女は実在しており、著者・大岡昇平の愛人がモデルとなっている。(文庫本巻末の解説に記述あり) あらすじを紹介しておこう。 葉子は、大学の教師・松崎に囲われの身となり3年が経つ。 ところが最近、松崎がどうやら自分とは別れたがっているような素振りに勘付く。 小児麻痺かもしれない娘のことをつらつらと話したりして、同情を引こうとする様子が見受けられるからだ。 結局、別れ話をはっきりと言い出せないでいる松崎に代わり、自分の方から別れを告げ、生活費が入らなくなることから古巣の銀座のバーに再び戻ることにした。 だが、もともと松崎とは嫌いで別れたわけではないので、いつも葉子の胸にしこりのようにわだかまっていた。 とはいえ、ホステスとしての宿命なのか、酒と色と金に彩られた夜の世界を渡っていくには、自分に寄せられる男の欲望を利用せずにはいられなかった。 次から次へと男に抱かれ、虚しい色恋を繰り返す他なかったのだ。 今でこそシングル・ライフを楽しむアラフォー世代がもてはやされるところだが、『花影』を読むと、何やら複雑な心境でいっぱいになる。 40歳を目前にした女性が結婚もしておらず、もちろん子どももいない。手に職がなく、頼るものは男の懐のみ、という境遇に陥った時、一体どんな心境なのだろう? 想像を絶する。 人生の目的が結婚ではないと頭では理解できても、それに代わるやりがいのある仕事とか、研究とか、何か生きがいが見つからないと、空恐ろしい末路が脳裏を過ぎるのも致し方ない。 独身女性の方も、既婚女性の方も、『花影』を読んで、己の女性としての生き様に今一度目を向けてみてはいかがであろうか? 私自身、主人公・葉子の孤独に、涙せずにはいられなかった。

  • 久しぶりに読み返しました。

    私がかつてこの本を読んだのは、学生時代でした。はかなく、哀しい美しい物語として印象に残りました。特に桜の花びらにたとえたヒロインの儚さを表す以下の美しい一文が。 花の下に立って見上げると、空の青が透いてみえるような薄い脆い花弁である。 日は高く、風は暖かく、地上に花の影が重なって、揺れていた。 もし葉子が徒花なら、花そのものでないまでも、花影を踏めば満足だと、松崎はその空虚な坂道をながめながら考えた。 そんな私も65を超え、新に読み返してみると、時代の流れを感じ、ああ、私はもう沢山生きてしまったのだな、と実感しました(あえて歳を重ねたとは言いたくない)。 主人公は35を過ぎた女性、36歳以上を中年というという話は聞いたことがあっても、今の女性たちは35過ぎてもまだまだ若々しくこれからという印象があります。 なのに、この時代、ヒロインは自分をお婆さんと自嘲する。ピンときませんでした。 であれば、私の年齢ではもう死んだも同然だったのでしょう。 かつては美しく儚く哀しいヒロインの生涯に同情したり、その危うさ脆さに一種の憧れを感じた気がしますが、一昔前の女性であり小説であるという印象をぬぐえませんでした。最近になってこの女性にモデルがあり、大岡氏の愛人だったらしいことを知りました。だとすると、松崎という男性がそうなのでしょうか。 この時代の男性は何て身勝手で、その身勝手さで女性を振り回していたのだろう、と腹が立つより、そんな男性に振り回され、身を滅ぼしていくヒロインがただひたすら哀れに思われてなりませんでした。 恐らくは現代の30代以下の女性たちが読んでもピンとこないでしょう。 むしろ、逆に男性を利用し、踏み台にしてのし上がっていく女性も多い今の世の中では。

  • fancase

    白洲正子著 いまなぜ青山二郎なのか に花影のモデルとなったヒロインは登場します。 どの様に描かれているかの興味がありました。 白洲さんの目線に心服しているものとしてこの作中のヒロインには魅力を感じられません。

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