日本の文学賞

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千々にくだけて

大佛次郎賞

千々にくだけて

リービ英雄

同時多発テロ直後、アメリカへ向かう途中でカナダに足止めされた日本語作家の体験を、小説として結晶させた作品。国境の閉鎖、砕けた世界像、複数言語の感覚が重なる。

越境文学テロ後の世界日本語文学国境移動

作品情報

砕け散った世界のあとで、日本語は国境を越える経験をどう語るのか。

講談社刊。表題作のほか関連作品を収め、国境が閉じられた状況で帰る場所を失った語り手の経験から、世界の変容と日本語文学の可能性を描く。

レビュー要約

  • 日本語を母語としない作家が、歴史的事件後の感覚を日本語でとらえる点に関心が集まる。直接的な説明よりも、移動と足止めの感覚が余韻を残す。

書籍情報

出版社
講談社
発売日
2005-04-29
ページ数
165ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784062128841
ISBN-10
4062128845
価格
2311 JPY
カテゴリ
本/文学・評論/文芸作品/日本文学

アメリカ人日本文学作家が描く9・11体験日本に定住するアメリカ人主人公が遭遇した9・11テロ。芭蕉の句に重ねて事件の衝撃と現代の世界を生きる危機感を描き出す、野間新人賞作家の傑作小説。

レビュー

  • 非常にいいものだった

    期待した以上にいいものを届けて頂きました、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

  • しまじまや、ちぢにくだけて、なつのうみ

    闇雲に発射される機動隊の催涙弾で白く靄に覆われた新宿歌舞伎町の喫茶店で、リービ少年がグラスに磨きをかけていたその日、練馬署を解き放たれてまだ日の浅いあたしは、ひよって、西口公園にいた。素足に下駄履き、新生を闇雲にふかしていた。キャラバンシューズではなく、軍手に鉄パイプではなく、メットも被らなければ、背にはいつもの木刀さえ負っていなかった。 篠つく雨の中、横浜海軍道路を疾駆しながら、あたしは思わず舌打ちした。時報が鳴って、fmが懐メロから座談に替ったのだ。 「ちぇっ、また帰庫時間に遅れちまう」 耳に流れてきたのが、リービ老年生の声でなかったなら、そのままスウィッチをきっていたかもしれない。 《一面に銀紙が敷かれたように海が光りだしているのが見え、その先には繁った松林がびっしり埋めつくす、暗緑色の小島がいくつも現われた。》 リービ英雄『千々にくだけて』講談社 しまじまや、ちぢにくだけて、なつのうみ

  • for what?

    著者の宗教は何でしょう。まさか多くの日本人のように無宗教です、とか無神論者です、とか言うのでしょうか、それとも仏教でしょうか。9.11のあとひとびとはそれぞれの胸の内で、宗教を考えているのに、3年と半年もすぎた段階で、宗教的な内容にとぼしい作品では読むのに消費された時間が惜しくて納得できないですね。著者までも for what? for what? に止まったままです。評価は、森林と屋敷町と住宅街、の屋敷町という言い方と、知らない町でひまつぶしに美術館に行ってみる、がユニークだから2つにします。

  • Library Books

    リービ英雄の「千々にくだけて」を読了。西洋人だけども日本に住み、日本語で作品を生む稀有な作家の9・11を題材にした物語。芭蕉の松島を詠んだ句から取られたタイトル。そのタイトルと9.11そして様々な事柄までも包含した良い表題です。実際の作者と同じ境遇の主人公が9.11にアメリカに渡ろうとしたが、事件の影響で乗り継ぎ先のカナダで足止めを強いられた際の物語が表題作です。内政的な主人公の思いが全編を覆っています。言語がアイデンティティを形成するのか、それともその逆なのか、興味深い記述がたくさんあります。実際に異郷の地で暮らしていくうちに、自分の生まれ故郷も「異郷」となっていく。感覚も変わっていく。思考の際の言語も変化していく。こんな作品はリービ英雄にしか書けない。貴重な作家である。 本作にはその他、後日談の短編とあとがきが収録されております。

  • 考えさせられる本

    とっても「苦い」という感じがしました。 著者の実体験を元にかかれたという感じが非常に強いですが、国を越えて、個人を越えての複雑な思い。 何もかもが取り払われて「苦い」という感じがしました。 繋がっているのは「9・11」 ただそれだけなのに、こんなにも考えさせられる。 意外と日本には「9・11」を取扱った小説は驚くほど少ないと思います。 なので、この物語は非常に貴重ともいえる。

  • 翻訳する人、翻訳される言葉

    短いが重層的で衝撃的であすらあるリービ英雄の新しい小説だ。主人公は、英語を聞き、日本語が浮かび、それがまた英語にもどる。あるいは日本語を聞き、英語が浮かび、日本語に戻る。その微妙な心の動きが活写されるが、それは、日本語で数々の秀作を書き続けるリービ英雄にしかできない「技」であり、リービ英雄が自らに課した「宿命」のようなものかもしれない。カナダの見知らぬ街での予期せぬ滞在。血のつながりのない妹との再会。母親との電話での会話。さりげなく出てくる日本人女性との物語。9/11が、主人公を、とっくに離れたはずの米国に引き戻す。私小説風にも見えるが、独白を記述した小説ではない。作者の視点はぶれない。こういう日本語の書き手を持った私たち日本人は幸せである。「グラウンド・ゼロ」という<英語>を聞き、「ばくしんち」という<日本語>が浮かび、その単語の使われ方に愕然とする場面に、僕は震撼した。何度も読み返したい本だ。

  • 空から空へ

    その日カナダ経由でアメリカに向かっていたエドワード(主人公)が、バンクーバー周辺の島々を飛行機の窓から見下ろしながら芭蕉の句を想起する冒頭は印象的だ。そして隣席の日本人の老女との心理的かけひきも日本的だ。リービ氏の外見はともかくその精神に日本人が棲んでいることは間違いない。 その米語を母語とし日本語に堪能で今や日本を故郷のように思っているアメリカ人が、9.11をどう捉えたか。 打ちのめされていた。言葉を失っている。 「アラブをいじめたからこんなことになった」「異国とのからみごとはさけるべし」「マンハッタンから、灰に交じって、何千もの窓から飛ばされた書類とメモ用紙が川を渡ってブルックリンの奥まで、二マイルも三マイルもの流れとなって降ってきていた」「こんなニューヨークには来ない方がいい」――饒舌なアメリカ人に「Maybe」「I’m sure」と小さく相づちを打つことしかしていない。彼自身のことばはない。岩にくだける波のように繰り返し打ちのめされ弾き返されているからだ。これでもか、これでもかというように。テレビもつけたくない。「IT’S WAR」の見出しの夕刊も見たくない。貿易センタービルとともに「千々にくだけて」しまった。 被害を目の当たりにした人々のように興奮もできない。かといって他人事で済ませる所に逃げ込むこともできない。アメリカ人であり日本人でもあるエドワードは、この悲しみをへこまされたサンドバッグのように深く受けとめた。人種や宗教、文化の違いを乗り越えて人々が結びついて来たという点で世界のどこにも負けない街をこんな形でぶちのめして……気持ちは千々に乱れてまとまらない。 彼は大統領のように恨みや復讐に向かうのではない。テロリストの言葉も千年前のテレビ討論のように聞こえる。どちらも相手を呪う言葉だ。決して絶望してはいない。この苦難はいずれきっと乗り越えられていく、そうあって欲しい……。 バンクーバー(ニューヨーク同様ここも今や国際都市である)郊外の自然公園のトーテムポールの林立する一隅で、バスから降りた中国人観光客の一群が叫ぶ「カン、カン」「ニーカン」という声が大空に吸い込まれていく描写で小説は終わっている。かつて鋭く西側と対立した国から観光客が大挙してやってくる時代に今やなっている。これが希望でなくてなんであろう。

  • 喫煙者の苦悩で始まる

    本書が大佛次郎を受賞したことは知っていたが、今回初めて読んだ。それはやはり迂闊なことだった。2005年発表時に読んでいて然るべき作品である。 本作品は2001年9月1日の事件に対する文学的反応であるとともに、二つの言語間の交流・越境の問題と格闘しており、カフカ的情況をも示すものである。 『宙ぶらりんの男』とはソール・ベロウの作品だが、まさにその情況ともいえる。 描写はまことにそっけない散文詩のようなものだが、それがまた現実というもののざらつきを表現し得ている。 また、郷愁をどこにも見出せないエグザイルの可能性を描いたものでもある。 さらには、喫煙者の苦悩物語でもあるか。 こういう境目で書いている日本語の作家は(最後のテーマも含めて?)、リービ英雄くらいであろう。ヤンソギルもそうかもしれないが・・・。

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