Work Information
物語があるのかないのか、その境目で読む行為が試されます。
『烏有此譚』は、題名からして「有ること」と「無いこと」のあわいを示す小説です。本文と注釈、語り手の身振りが互いに干渉し、物語を追う読者は、いつのまにか言葉の仕組みそのものを読むことになります。
Review Summaries
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形式の大胆さと読者を巻き込む語りが強い個性を放ち、物語を読む約束ごとを楽しんで壊す作品として受け止められています。
Book Information
- Publisher
- 講談社
- Published
- 2009-12-16
- Pages
- 144 pages
- Language
- 日本語
- ISBN-13
- 9784062159333
- ISBN-10
- 4062159333
- Price
- 2200 JPY
- Category
- 本/文学・評論
灰に埋め尽くされ、僕は穴になってしまった文学界新人賞作家の最新作。 目眩がするような観念戯れ、そして世界観――。 不条理文学のさらに先を行く、新鋭の、やりすぎなまでに先端な、純文学。
Reviews
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ばっちり、小説進化していますね
今や様々なメディアで引っ張りだこ、色々なところで書かれている著者の待望の新刊です。 本作は群像に掲載されたものにページ数が足りないので注をたくさん付けたものということらしいです。という内実の事情はおいといて(とは言ってもそれも中に書き付けられているのですが)、今回の作品はこれまで単行本として発行されてきた著者の作品とはひと味違います。 物語についてはネタバレとなるので言及しませんが、上にも書いたとおり、ページを開いてパッと目に飛び込んで来るのは本文と注の2段組み。海外のものや所謂前衛小説、実験小説などでは良くあるパターンですが、大概が、注の文章を読むのが苦痛だったりします。しかし、本作はこの注がまた中々面白い。本文と注の読み方は読者それぞれで良いと思いますが、その人の好きなように楽しむことが出来るというのは、良いですね。 注については、著者の本領発揮的な、専門的な解説が書かれていておもしろいですが、そこまでだとこれまでの著者の作品からひと味違うとは言えない、むしと踏襲していると言えますが、今回私が違うなーと思ったのが、この注を書く作業、結構しんどかったのだろうなーと思わせるような、著者の(語り手、と別に言ってもいいですが)生(っぽい)声が溢れていて、小説に著者(語り手)のキャラという位相が介在してきているような感じがして、簡単に言うとほのぼのした気持ちで読むことができました。 あまり書くと皆さんの読みを疎外するのでこれぐらいにしますが、一風変わっていながらも読みやすいかなりオススメの「純文学」小説です。
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漢字 は SFとし 百人一首
指の一つの父親のジャズの二人三人 メトロのメタンガスで娘たちの歌 ただされと行けば 濃淡系な染色されていく 胡桃と車輪の下で z軸複素眼の空として
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おとぼけ小説の末裔
小説を書くようなふりをしてとぼけにとぼけ続けるというのは、『トリストラム・シャンディ』に始まる「おとぼけ小説」とも言うべきジャンルだが、谷崎『吉野葛』が最高傑作か。後藤明生もこれをやったが、まあこれなんかになると、もう末裔も末裔、誰かが引っかかってくれたらめっけものという、おふざけでしかなくなっている。まあ、よほど暇な人はどうぞ、ということか、それともみな後藤明生など読んでいないのか。まあ私にはお笑い芸人が面白いつもりでやっているのが全然面白くない、というような感じしかしなかったですがね。
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感想
とても楽しく良い。ふとページを開きたくなります。面白いのである。
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独特の刺激感が堪らない
作者の"注"によると、題名は「烏ぞ此の譚有らんや(どうしてこんな話があるだろうか、いや、ない)」という意味だそうである。確かに上段に綴られた物語(だろうか ?)とその物語とは一見関連性が乏しく頁の時間差もある夥しい下"注"から構成された一風変わった体裁の小説である。その"注"では、作者が持つ、物理学、位相幾何を中心とする数学、進化論を含む生物学の知識等がユーモア交じりで連鎖的に披瀝されており、"注"だけ読んでも面白いし、本体の物語(?)より理解し易い感さえある。私は最初、本体と"注"とを同時に読み進め(これは疲れた)、再度本体だけ読んだ。 私は、作者が「作品を産み出すチューリング・マシンは作家ではなく、読者の想像力の方」という独創的哲学の下で執筆していると常々考えている(「Boy's Surface」、「これはペンです」、「道化師の蝶」等の後に本作を手に採った)のだが、本作を読んで改めてそう感じた。作中で「方丈記」の冒頭が引用されるが、"変転"と変転によって起った"穴"の充填(あるいは"穴"を充填するための"変転")をモチーフにした奔放なエッセイの様にも映った。広く言えば文明(終末)論である。作者の思惟が木目細かく、しかも殆ど脈絡なしに語られるので、その断片から何を感じるかは読者次第といった所がある。筒井以外でこうした種類の刺激を与えてくれる作家は稀有と言って良いのではないか。 理数系人間のために、数理をもって小説を構成する珍重すべき作家との認識を益々強く抱いた。今後も期待したい。
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やばい。わけわかんない。
・読中の光景が凄い。後半凄いことになる。 ・下半分を埋める膨大な注釈が物語を立体にしている。 話の端端から棘のように伸びて来ては読者を逆撫でする。 本編から枝分かれした無数の棘は物語の世界から現実へと顕現する。 本編が訳わからないから余計にそのギャップによる効用が大きい。 ・読み進める程に注釈を読んでいるのか本文を読んでいるのかわからなくなって、 ごっちゃになって、 境を失った現実と空想が緩く混ざり合う。 ・全てが悪いと言ってしまえばそれまで。 好い悪いの範疇を逸したもの故、それを語ること自体ナンセンス。
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まさに「こんな話あるのか」って感じ。読みづらいけど不思議な読後感
「オブ・ザ・ベースボール」で2007年に第104回文學界新人賞受賞、芥川賞候補にもなった円城塔のことだから、純文学を書いたっておかしくない。しかし、自分にとっては、彼はSF作家。 しかし、どちらにしてもこの本は、読みづらいことこの上ない。 別に読みやすいことが、小説として価値の高いことでもないし、そればかりを求めるわけではない。実験的な小説もあると思う。 でも、この小説はどうだろう。 この題名からして、著者が欄外に膨大に書き加えた注によれば、「いづくんぞこのはなしあらんや」と読み下せるとのことで、その意味は、「こんな話あるのか、いやない」っていうことらしい。本当に、こんな話、あってたまるかという感じ。 そもそも、本編と注のページがズレまくり、読みづらく、本編のストーリー(そんなモノあるのかって感じだけど)に集中できない。むしろ、「群像」掲載時にはなかったこの膨大な注のほうが面白くて、そちらばかり読んでしまう。 ただ、これも著者の確信犯的な行いのようだ。私のような素人のリアクションをあざ笑うかのように、著者の手の内で転がされているような気がする。かといって、読後感は悪くない。不思議な小説だった。