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虚ろな革命家たち ──連合赤軍 森恒夫の足跡をたどって

開高健ノンフィクション賞

虚ろな革命家たち ──連合赤軍 森恒夫の足跡をたどって

佐賀旭

書籍情報

出版社
集英社
発売日
2022-11-25
ページ数
272ページ
言語
日本語
サイズ
13.4 x 2.3 x 19.4 cm
ISBN-13
9784087817294
ISBN-10
4087817296
価格
2200 JPY
カテゴリ
本/人文・思想/哲学・思想/哲学

第20回開高健ノンフィクション賞、史上最年少受賞! 「脱」というより、「没」政治化(a-political)が極限まで進んでしまった現代日本の若者にとって何を意味するのか。この困難な問題に「平成」生まれの30歳になったばかりのフリーランスライターが挑戦している点で出色である。──姜尚中(東京大学名誉教授) この作品の良さは、読む者に答えを示したことではなく、さらなる問いを投げかけたことだろう。──田中優子(法政大学名誉教授) すべてを政治化することの危険性、不安と恐怖から湧き上がる防衛意識など、現代においても重要な問題を提示しているのだ。──藤沢 周(芥川賞作家) 時代の「感触」は、このようにして人から人へと受け継がれていくのだろうか。ノンフィクションによる「経験の伝承」という視点からも素晴らしい作品と言えよう。──茂木健一郎(脳科学者) 今年30歳になる筆者が同世代の若者に対して、なぜ政治的なイシューを共有できないのかと向ける切実な問いかけだ。──森 達也(映画監督・作家) (開高健ノンフィクション賞選評より・五十音順) <連合赤軍事件とは。今、若者の目線で見つめ直す。> 大学院で学生運動について研究していた著者は、ある手紙に出合う。父から子への想いが綴られたその手紙は、12人の同志を殺害した連合赤軍リーダー森恒夫によるものだった。残酷な事件を起こした犯人像と、手紙から受ける印象が結びつかない筆者は、森恒夫の足跡(そくせき)を追い……。 なぜ28歳の青年・森恒夫は日本に革命を起こそうとしたのか、なぜ同志を殺害したのか、そしてなぜ自ら命を絶ったのか……。 その答えを求め、森の高校時代の同級生、北朝鮮に渡った大学時代の後輩、「総括」を生き延びた連合赤軍の元メンバー、よど号ハイジャック事件実行犯の一人・若林盛亮らと対話する。 ──誰だって、「彼」に成りうるのかもしれない。 開高健ノンフィクション賞を史上最年少で受賞した若き著者が、事件を追いながら、いつの世もつきまとう「政治と暴力」を解決するヒントを探る。 【著者プロフィール】 佐賀 旭(さが・あさひ) 1992年静岡県静岡市生まれ。明治大学情報コミュニケーション学部卒業後、早稲田大学大学院政治学研究科政治学専攻ジャーナリズムコース修了。日刊現代入社後、ニュース編集部で事件や政治分野を担当する。2019年退社。以降『週刊現代』『週刊朝日』を中心に、記者として活動している。

レビュー

  • いつも答えにたどり着かない

    イデオロギーが信じられた時代、革命が希望となり得た時代が、確かにあったのだなと。希望はないと気づきつつ、希望を語って生きていく、不条理な今という時代とは違う生き方を若者がしていた時代があったのだな、と。

  • 平成生まれの入門書

    あまりにも評価が低いことに驚き、初めてレビューを書きます。 私は作者と同世代です。 漫画『レッド』で興味を持ち 植垣、永谷、坂口らの著書を読んできましたが 結論は、自分と彼らに隔たる漠然とした差を言語化できず、 しかし、彼らに単なる憎悪や嘲笑を向ける自分の親世代(連合赤軍よりひとつ下の世代)に同調することもできず宙ぶらりんな思いを抱えていました。 この本は、当事者たちよりもずっと自分の視点に近い著者が抱いたわからなさ、納得のできなさを当事者たちにぶつけたことに大きく意味があります。 細かな理解・知識の相違によりこの本を酷評する当事者世代の方にはどうかご理解いただきたいです。 この事件について疑問を抱いた同世代には強くお勧めする一方で、 山岳ベース事件の被害者や顛末など、読者もある程度知識がある前提で書かれた部分もあったので 全く知識がない人向け、というよりは赤軍を題材にした漫画や映画を見て興味を持った人の入門書にするのが最適かと思いました。

  • 「現在」から解釈することの大切さ

    日大一万、早稲田千、東大百。 「帝大解体!」、「大学解体!」を叫んでいた1960年代末から70年代初めにかけて の学生運動で、実際に大学を辞めて一労働者として行動した学生の数を、(少々や やこしくした表現で)こう言う。現体制の「労働力商品」となるのを潔しとせず、文 字通り「自己否定」し、大学と訣別した人達の数を揶揄的にこう表現する。 確かに、60年安保や70年安保を自らのものとして生きた学生の中には、「辺境最 深部に向かって退却(太田竜の言)」した人も多いだろう。しかし大学紛争の中で自 らを否定するまで思想を先鋭化させながら、一体どれくらいの人が「運動を止め」 「社会人」となったことか。その思想の転換は、「転向」そのものと思うのだが。 まあ、学生運動と一括りにできないほど、各大学の実情は異なる。当時の「全共闘」 の機関誌(今でも入手可能)を読んでみれば、問題意識のあり方がまるで違うこと が分かる。東大では、「学問とは、大学とは、何ぞや」という高邁な理屈でもって 運動を構築していったが、日大では「使途不明金問題」、「学園に集会の自由を」と いった論調が主であった。 つまりは学生運動の中においても、思想基盤がまるで異なる。日大生は大学に幻 滅を感じることが即「退学」につながったが、東大では「高級労働力商品」としての 自己を捨て去ることはできずに、卒業を契機として「運動をやめる」。自分を「高 く売る」ことはそれほど魅力的なのだろう。 この世代の人達は、次世代に何か(「思想」でも「組織」でも)残すことはほとんどし てこなかったのではないか。いまなお現役で「革命を実践」している方は、例外と して存在するが、やはり例外はいくら集めても例外でしかない。 2000年を過ぎてなお党派的利害でのテロが横行している組織もある。一体「新左 翼運動」の60年をこえる年月は何だったのか。 当時(60年代末から70年代初め)の学生運動を経験した人に、当時のことをうかつ に聞くとこうなる。 大概の人は、「言っても、あなた方には分かりゃしない」と沈黙する。 そして、その時代を共有していない(若い)者が、当時のセクトによって異なる「日 本情勢」や「世界情勢」の把握の仕方や分析の違い、セクト的対立の構図、思想的な 違い(やれレーニン主義だとか、ローザ主義だとか、毛沢東主義だとか)、当面の運 動方針(「前衛」としての組織が担うべき方針)、他党派との連携…等々 一つでも間違えた途端に、「それは違う!」と大声をあげる。「だから他の人間には 分からない」とほざく。そしてきちんと今現在の自分の立ち位置でも説明すればい いのに、絶対にそれはしない。 現在と過去の学生運動をしていた自分とのあまりの矛盾に口をつぐむだけなのだ。 結局は、就職を機に「逃げた」ことを恥として沈黙する。 「時代は大きく変わると思っていた」とか、「革命間近だった」とか、「政治が目の前 で動いていた」とか、実に意味のないことを呟く人が多い。この古い学生運動を経 験した人達は確かに大きな政治の転換点におり、厖大なエネルギーを傾けたので あろうが、それが後の世代にはほとんど伝えられていない。 簡単に言えば、自分の経験した学生運動、政治運動のあり方をきちんと現在に伝 えるという意味で語る人がほとんどいない。おそらくは「現在の学生に何を話して も分からないだろう」とのあきらめと、当時の自分の行動と現在の社会的位置との 不整合さを、矛盾として外部に出すことをためらうのであろう。 長々と書いているがこんな思いを30年以上前から持っていた。本書は、かなり不 完全とはいえ若い世代からの、「連合赤軍問題」の再解釈であり、その意味で世代 を繋ぐものになりはしないか。 連合赤軍を同時代として、あるいは大学の先輩からの実践として聞いたこともな い、そんな著者による「連合赤軍発掘」の書であろう。 本書には、嫌になるほどの欠点がある。「プロローグ」からして、中野という差別 意識丸出しの裁判官の批判が十分ではない。判決文の一部を抜萃したものでしか なく、故永田洋子(敬称略 以下同じ)について、「女性特有の嫉妬」とする表現を 殊更に判決文に入れた裁判官は強く批判されなければならないのに、言及が不十 分過ぎる。 この裁判は「思想裁判」的側面があり、「革命」、「革命運動」、「革命思想」に ついての裁判官の評価すら存する。これは国家が思想そのものを裁くという点で 許されない裁判でもあったとも思う。 故森恒夫の過去を探るのは、思いがけない証言もありそれなりに興味深いが、そ の森の過去がどういうふうに「同志殺し」に繋がっていったのかが分からない。 また、著者は森の思想性について、「自己批判書」を参考にはしたのだろうが、そ の分析がほとんど生かされていない。軽く読み飛ばしたのかという思いさえした。 最後の現在の「革命的党派」のインタビューも、まるで意味が分からない。 確かにこの党派は、連合赤軍問題が表出した時に、独自の立場(あえて強く論評 しない)をとったのだが、それがこのインタビューに繋がったのかさえ記してい い。一番近づきやすかった(著者からの申し出が一番しやすかった)のでこの党派 を選らんだのだろう。 「連合赤軍」の「連合」はなぜ矛盾をはらんだまま出発し、遂には「同志殺し」となっ たのか。その両党派の路線の違いが、山岳ベースでの「同志殺し」の遠因になった ことも重要だろうが、そもそも本書ではその路線の違いさえ、軽く触れただけで 終わっている。これは不十分というよりも不見識だろう。 また「過激性の強さに革命の強さを見る」そのあり方が、同志殺しを促したとも考 えられるが、本書ではそのことを考慮に入れてさえいない。 おそらくは森の「自己批判書」、永田の「十六の墓標」、坂口の「あさま山荘1972」等 を読んだだけかと思う。どうにも著者の同志殺しを理解しよとする試みが、浅い 分析で終わっている。 タクシーで呑気に「少旅行」なみの意味しか持たないこと、山岳ベースに訪れた ことにページを割いているが、ここで連合赤軍の人間がベース基地を作っていた、と いう自己満足以外に何があるのか。別にあなたの感傷に付き合うつもりはない。 こんなことをなぜ詳しく記述する必要があったのか。 一番の欠点は、連合赤軍に参加し刑期を終えた人との会話で、「森と永田がいなか ったら同志殺しはおきなかったろう」という結論めいた言辞。 森と永田の個人的資質による「異常な事件」ならば、ここまで繰り返しこの事件が 語られることはなかった。 同じような「同志殺し」がどの党派においても現実味を帯びていただけに、この事 件は新左翼運動に大きな衝撃を与えた。このことが、たった一人の生き残りの同 志との(何時間か 何日か知らないが)会話で、結論めいたことになることは、本 書刊行の意味を著しく減じる。 こんな皮相な分析ならば、冒頭の差別者=中野の判決文を読むだけで十分だ。 インタビューでも、関西の人間が妙に東京弁を使っている(街頭)のも興を削ぐ。 「エピローグ」での、「現在の日本において共産主義に対する憎悪はバランスを欠い ていてはいないだろうか。そしてその歪みこそが、今回の事件(安倍元首相へのテ ロ)に一因となったのではないか」。 意味不明の文章で、「バランスを欠かない憎悪」がどこぞにあるらしい。売らんか なの姿勢で耳目を引くテロ(元首相狙撃)を持ち出したが、それをわざわざ書く意味 は全くない。その思想的地盤(どちらが優れているというのではなく)の違いをな くして論ずることに意味はない。 以上のような欠点を持ちつつも、やはり出版すべき本だとは思う。今までは「当事 者」や「当事者に近い人」によって語られてきた、この「同志殺し」を今の時点で全く 新しく解釈を下そうとする姿勢は必要だと思う。何か「その当時の党派党争」のこ とを詳しく知っている人(玄人とでも言おうか)でなければ意見表明ができなかっ たことを、まっさらの目で見ることは大事だろう。 もはや50年を過ぎた「事件」の現在的再構築だろう。 最後にレビューアーについて。 イラストのヘルメットの色が違うことで評価を下す。 「チュチェ思想」を「チェチェ思想」と間違えて悦に入って分析をしてみせる。 こんな人が多い。 また「暴力」についての頓珍漢な論もあった。「暴力」が国家に独占されている ことを認める「革命」などは存在しない。「支配階級の交替」が平和裡に行われ ると考えている「革命家」も存在しない。これは革命を語る上での初歩の初歩。 反社勢力との違いも分からないのだろうか。組織された国家権力の暴力に対する 「前衛党派による暴力の行使」は「革命」をめざす者にとっては当然の権利。 これは何も「革命」だけの問題ではなく、アメリカ合衆国憲法では、「人民の抵抗 権」として明文化されている(これが「銃規制」の困難さに繋がる)。 多分、「連合赤軍問題」だけでなく、「革命運動」についてほとんど知らない人が 多いのだろう。 これほどレベルの低いレビューはあまり見たことがない。 もう少し調べて、本書の内容について書いたらどうですか。

  • 兎も角、若い著者がこういうものを書いたことが評価出来ます。

    連合赤軍リンチ事件に関して、まだ30代の著者がこういう物を書いたということに、あの時代を直に経験した世代の一人として賛辞を贈りたいと思うのは、自分だけでしょうか?永田洋子氏の「十六の墓標」坂口弘氏の「あさま山荘1967」等を読んでも、なんだかあのリンチ事件に関しては、どうにも理解出来ませんでした。理論を突き詰めてそれが論理的に合致してさえいれば良いという「純粋」ということが、あの愚かな行為を生みました。「なんちゅうことをしてくれたのか!」というのが、同世代の感想の大半だったでしょう。暴力革命の論理に関しては、そういう考えもあるか、と認めても、ハイジャックやテルアビブ空港での乱射も、その行動の行きつく果てと百歩譲っても、あのリンチだけは「子供のいじめ」の行きつく果てとしか思えませんし、一切認められません。 問題を不明にしているのはその中心人物の森恒夫氏が自殺したことです。(永田氏の場合は、瀬戸内寂聴氏との書簡などで、その性格と行動の経過が少しは分かるのですが)その森氏を追って中学・高校時代の同窓生を訪ねて話を聞くという著者の姿勢に感心しました。森氏の性格をこれほど報告したものを読んだのは初めてです。それだけでも著者の試みに賞賛を贈りたい気持ちですし、加えてリンチの現場となった山奥の山岳アジトの後を訪ねるという、ノンフイクション作家としての行動にも賛辞を贈りたいものです。 植垣康博氏を訪問しインタビューしたのも、この本のまとめとして効果があると思われます。ただ、最後に現在の中核派のメンバーに「暴力論」を中心にインタビューをしたのは、どういう意図なのか、関連がある様で無い様な、ここはこの本のテーマとして評価が分かれるところでしょう。革マル派とのゲバルトとテロを取り上げることによって、そこに暴力からのリンチを含んだ「総括」に関連を付けようと試みたのか?読んでいて自分にはよくわかりませんでした。 ただ、繰り返すようですが、若い著者がこの著作を書き上げたことは見事で、出来れば著者に当時の他の人物に関して、例えば岡本公平氏や重信房子氏に関しての作品を書いて欲しいと願っています。

  • 一度読めば十分

    50年以上も経ち、新事実を期待したが。 話を聞くメンバーは他でも登場する人達ばかり。 一度読めば十分。

  • 余りにも幼稚で自分自身の考えがない

    浅間山荘に立てこもった赤軍派と警察の攻防を大学受験帰りに街頭テレビで見た世代として、あの「総括」は不可解でなぜ?という疑問をずっと持っていた。連合赤軍事件から50年が過ぎ振り返る気になった。何冊もの当事者達の著書を読みたどり着いたのがこの本。まず著者が若いのにびっくり。大学院で連合赤軍事件を調査したという。今30歳前後なら明治でも早稲田でも構内をヘルメットにゲバ棒持って練り歩く集団は見たことがないかもしれない。 森恒夫の同級生達へのインタビューはこれが最初かな? 剣道部の主将にならされてしまったが真面目に黙々と主将の仕事をしていたという。大阪市大で田宮にオルグされたのが活動に入るきっかけとか。 既出文献を読み込み何とか「総括」の原因を探ろうとする意欲は買うが、いかんせん本人が自死しているので残された自己批判書と周りの永田、坂口、植垣、吉野らの著書や証言を元にするしかない。 どうやら「共産主義化」という森の造語?( 塩見の造語か?)は、これからの殲滅戦を戦うために強い精神と肉体を勝ち取り脱落したり日和ったりしないスーパーマンのような戦士を作ることらしい。銃を発射することに躊躇せず、一人で数人の警官を殺し爆弾を投げアメリカ軍基地や首相官邸を破壊する兵士養成マニュアルのようだ。 ところが永田や坂口の記述を読むと実に小さな、どうでも良いようなことで因縁をつけ総括し集団で暴力に訴える。共産主義理論の些末な違いで当時は論争したものだがそんな高尚なことは丸で無い。やれ指輪をつけているだとか髪をカットしたとか物言いが総括される者の態度でないとか・・・・・・・・。 実に下らないことで仲間殺しをやっている。 彼らは現実を見る能力がない。自分の頭で考え批判する力が無い。必ずマルクス、レーニン、毛沢東の著作を持ち出しその一部を自分達の都合のいいように引用する。考えてみればロシア革命も中国革命もまるで日本とは違う歴史、経済、社会条件で起きている。マルクス・レーニン、毛沢東をそのまま日本に適用し彼らの真似をしたら日本に革命を起こせると夢想したなら全くの教条主義だろう。 彼らには戦略が全くない。交番を襲って武器を手に入れ首相官邸を襲うという。これには笑ってしまう。 大まじめにこんなことを考え交番偵察に行ったというのだから森、板東、坂口、永田などは歴史を知らないことは明らかだ。2.26事件は兵士何人で決起したのか? 完全武装で機関銃もあった。それでも天皇の説諭と戒厳軍の包囲で降伏している。たった十数人の連合赤軍で何が出来るというのか? 革命へのロマンに殉じたのか、ただの現実を把握できないお花畑集団なのか・・・・要するに先のことを考えられないお○○さん達の集まりだったのだ。ニクソン訪中を聞きながら永田や森は何を思ったのか? 国際政治の非情さ、リアリズムには目のくらむ思いだったろう。 その後のベトナムのカンボジア侵攻、中越戦争、東欧諸国の雪崩を打っての共産主義からの決別、極めつきはソ連の崩壊。 社会主義、共産主義にロマンを感じ運動をやった彼らが今こそ何を考えているのかを著者には続編として出して欲しい。 若者が自民党を支持し憲法改正に賛成しているという。こちらのほうが50年前より遙かに現実を見つめられる地に足をつけた青年達だろう。 著者の問題意識をさらに深め是非転向、脱落者がその後どうやって今まで生きてきたかインタビューして欲しい。桐野夏生はあくまで想像で書いているので、是非ノンフィクションで「連合赤軍兵士のその後」を書いて貰いたいものだ。

  • まず隗より始めよ

    著者は学部は明治、院は早稲田とのこと。 著者の問題認識が、帯の姜尚中の「賛辞」の通り若者と政治的イシューを共有できないとか政治について考えないこと、と捉えるならば、まず自分の学んだ大学を見てみたのか、と問いたい。 明治は90年代末期にセクト排除に乗り出して、学生証の無いものは入れないなどしていたが、その過程である教授は帰宅中に襲われて重症を負っているが著者はどう考えるか聞いてみたい。 また、明大雄弁部や早稲田雄弁会が歴史あるサークルとして現存しているが、その学生達についてどう考えるのか。それに両大学には政治経済学部があるのだが。彼らが政治的イシューに露ほども意識が無いとは言えまい。 共産主義を標榜した(している)国家がどんなことになったか、また現在どのような国家なのか。ソ連、ルーマニア、ポーランド、ハンガリー、チェコ、北朝鮮、中国。これらの国で多様な政治的イシューを議論する風土はそもそもない(なかった)ではないか。あるなら教えて欲しい。(これについては姜尚中にも問いたいが!) 末尾に蛇足のような安倍晋三への言及、自民党が統一教会とタッグを組んで、異論を封じ込めたなど、統一教会のチートキャラ認定も度が過ぎよう。確かに勝共連合を自民党が利用はしたが、田中角栄以降の自民党は、親中路線が小泉政権まで強かったのであって、むしろ「反共産主義の度合い」は弱かったといえよう。勝共連合は反北朝鮮の韓国政府の政策であって、当時の政治リアリズムとしても韓国を後押しした方が日本に利があったであろう。 日本共産党の党首、指導層がいつまでも同じ顔ぶれなのに代表されるまでもなく、共産主義は、異論に不寛容な体制だ。セクト化し、カルト化し、内ゲバで自滅したのは彼ら自身の業であろう。

  • つまらない

    内容が少ない 50年以上前の事であたらしさがない 森くんの当時精神状態が わからない

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