作品情報
富と追憶が人を動かす長編と、老いをめぐる血縁の痛みを描く短編が、井上靖の心理描写の幅を示している。
『黒い蝶』は一九五五年に新潮社から長編小説として刊行され、のちに新潮文庫でも読まれた。死んだ娘の願いをかなえようとする富豪、そこに近づく三田村、そして真意を見抜く女性の関係を通じて、戦後社会の打算と夢想を皮肉まじりに描く。 『姨捨』は一九五五年に発表され、一九五六年に新潮社の短編集へ収められた作品で、現在は新潮文庫電子版でも紙版 ISBN が確認できる。古典の姨捨伝説を現代の家族関係に引き寄せ、老いをめぐる愛情、拒絶、後ろめたさを抑制された筆致で描き出す。
レビュー要約
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『黒い蝶』は、金銭的な打算から始まる行動が、死者への思いと音楽への執着に巻き込まれていく過程に読みどころがある。諷刺性を帯びた構図の中で、人物の弱さと奇妙な誠実さが浮かび上がる。
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『姨捨』は、古い説話を借りながら、近代の家庭が抱える老親への感情を正面から扱う作品として読める。愛情と負担、記憶と罪責が重なり、短編ながら重い余韻を残す。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 1967-09-01
- ページ数
- 276ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784101063164
- ISBN-10
- 4101063168
- 価格
- 10 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
Amazon.co.jp: 姨捨 (新潮文庫 い 7-16) : 井上 靖: 本
レビュー
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満足
有難うございます
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予想以上に
古書ですからある程度の汚れ、破損は当然想定していますが本当に想定以上に奇麗な本でした。
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30年間、たいせつに読んでいます。
表題作の「姨捨」もよいですが、「胡桃林」「グウドル氏の手套」「大洗の月」「川の話」が私のおすすめです。とくに「胡桃林」は、人の業を描いているように見えて、じつは生涯を懸けた、素朴で純粋な愛を表現するというたいへん手の込んだ構成になっており、何度読んでも胸に迫ります。読後感はドロシー・パーカーの「ビッグ・ブロンド」に似ています。 30年ほどまえに手に入れた文庫が古くなり新しい本を探していたのですが、書籍版が見当たらずkindle版を再購入しました。iphoneで読んでいます。
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著者らしく中身の濃い、読みごたえのある短編集
わずか250頁に12編もの小説を載せた短編集だが、著者の他の短編集同様、中身の濃い、読みごたえのある読書体験であった。 本書に掲載されたのはすべて現代小説である。個々の短編はいずれも小説の舞台や背景が細部まで描かれていて、主題以外についても著者が執筆前に入念に下調べを行ったであろうことがよく分かる。著者が良心的な作家であることを改めて認識させられた。 小説の効用とはいったい何であろう。いろいろな考え方があるだろうが、私は、その小説世界の中に没入することでしばし現実世界から退避し、もってカタルシスを覚えることが大きな効用であると思う。そういう観点から、本書を含めて著者の小説はいずれもその効用を得られる格好の読みものである。現実「逃避」ではなく、現実「退避」は精神衛生上も必要な日常習慣であるとの思いをますます強くしたというのが読後の感想である。
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運命は、定まったものではなく、切り拓くもの!
若い頃は、運命への囚われに共感頻りであった。努力を如何に積み上げても、どうにも成らないことは、あるし、慫慂として受け入れてこそ、と思っていた。其処にも出発点はあるし、決して豊かとは言えないにしても、実りも生まれよう、そう思っていた。しかし最近は、それで良いのか、それだけなのか、という気持ちになっている。同じく背負って生きて行かなければならないとすれば、いっそ切り拓くことに舵を切っても良いではないか、寧ろ其処にこそ、価値を求めるべきではないか、という思いである。 この本の12篇どれにも、井上靖がいっぱいに詰まっている、育ちや血に向けられた眼差し、山川、湖、樹木など自然に託す感慨、更にはそれらから引き出された、人が生きることへの哀切、そのどれもこれもである。井上の作品は、この小篇を含めて何れもが、清新であり、実直で、濁りがない。そうしたところに魅かれて、今迄数多くの作品に接して来たが、件の思いが生じるに連れ、共感が薄まりつゝあって、これも「井上靖」流に言えば、「突き放し」たい感情が、芽生え始めている。
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