作品情報
古き花柳界を背景に、母と娘の愛憎と女の哀しみを描く。
新潮社公式ページでは、新潮文庫版『香華』のISBN、ページ数、電子書籍配信が確認できる。母の郁代と娘の朋子を中心に、古風な花柳界の中で肉親の愛憎と女性の哀しさを描いた有吉文学の代表的長編である。
レビュー要約
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母娘の複雑な結びつきと、時代に翻弄される女性の姿を濃密に描く点が読みどころとされる。華やかな世界の裏側にある貧しさ、依存、誇りが長い時間の中で立ち上がる。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 1965-04-01
- ページ数
- 680ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784101132020
- ISBN-10
- 410113202X
- 価格
- 1589 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
女としてのたしなみや慎みを持たず、自分の色情のままに男性遍歴を重ね、淫女とも言えるような奔放な生き方をする母の郁代。そんな母親に悩まされ、憎みさえしながらも、彼女を許し、心の支えとして絶えずかばい続ける娘の朋子。――古風な花柳界の中に生きた母娘の肉親としての愛憎の絆と女体の哀しさを、明治末から第二次大戦後までの四十年の歳月のうちに描く。
レビュー
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「花柳界」での生き方が見事に
紙の書籍も持っていますが、何度も読み返したくなる名著。 時に同じ著者の「芝桜」と比較されたりもしますが、同じ花柳界に生きた女性をテーマにした所だけが共通点です。 時代的背景を理解しないと、読みにくいところはあるかもしれませんが、不変のテーマが描かれており、是非読んでみてほしい一冊です。 お薦めします。
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香華
昔に読んだ記憶があるのですが、今回お芝居を観に行く為にもう一度読むことにしました。年を経てから読み起こす方が理解を深めることができますね。
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母娘の葛藤
紀州旧家三代に渡る母娘間の愛憎劇。自由奔放に生きる郁代とそんな母に翻弄される娘朋子の葛藤を軸に描いています。 疎ましいけれど親子であるがゆえに放っておけない母の存在。朋子の郁代に対する憎しみと愛情が入り混じった複雑な心理が全編巧みに表現されていて、母に甘えられない朋子の苦しさや悲しみが痛いほど伝わってきました。 物語前半では明治期の花街を舞台にしていて遊女や芸者の世界を垣間見ることができます。この辺りの描写は著者でなければ書けないと思います。
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テレビドラマを見ているように読み終えました
細うで繁盛記、どてらい男などテレビドラマを見ているように読み終えました。長編ですが引き込まれればアッという間に完読できます。
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読みたいときにすぐ入る
なかなか、本屋さんへ行くことができない、高齢者施設のご入居者様。読みたい本をすぐに頼めることに、とても喜ばれていました。
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華やかさが胸に沁みる
一気に読んで寝不足になりました。そのくらい内容が濃く、惹き付けられていくのを抑えられなかった。母と娘の愛憎問題は私が天から与えられた宿題かのように付きまとい、今度こそ答えが見つかるかと必死になって血眼になって主人公の運命に共に翻弄されながら読みました。祖母、母、娘。みんな性格が全然違う。私は最初の祖母の飲み込んでしまおうという気迫の異様なまでの娘への執着、狂気とはすぐそばにあるのだと震える思いで読んだ。私にとってはこの祖母のシーンが一番強烈だった。 花柳界のことも、実は祖母がそういう世界にいたと聞いているので、どのような事情で売られていくのかと悲しみや共感、そしてプライドをもつべきだと改めて思いました。でも差別されていたことは知っているし、だからこそ悲しい。深く深く共感しました。 貧富は連鎖することが多いかもしれないが時代にも大きく翻弄される。成功も失敗もある。残念なことに子孫のために残したい財産はうまく受け継がれていかない。与えられるのは生きる力のみ、それは豊かな母性愛に包まれて育つのが一番近道とも思うが行き過ぎは飲み込んでしまう母性愛ではなく狂気の世界なのだ。 宿題の答えはまだ出ない。娘を愛せない母親も当然いる、ということだけ。 着物の世界が鮮やかに、香りを持って華やかに迫ってくる長編小説だった。
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しっかり女一代記
大正から昭和にかけての激動の時代に、ダメ母と運命に翻弄されながらも、幾度もの危機を乗り越えて生きていくしっかり者の娘・朋子の一代記。総じて真剣深刻な話なのですが、本人たちが真剣すぎてか(?)ときどき思わず吹き出してしまうような可笑しさもあり。朋子を応援しつつ一気に読みました。有吉作品に外れなし、です。
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◆花柳界に生きた母娘の愛憎劇
子を持つたいていの母親は、母性によって子を慈しむ。 腹を痛めて産んだ我が子は、しょせん他人である夫とは違い、ほとんど分身に近い存在だからだ。 だがたまにその母性が欠如している母親がいる。それは母というより女だ。 子育てを放棄し、我が身を着飾ることにどこまでも執着する。傍で我が子が泣いて乳を求めようとも、女は鏡に向かって化粧を施し、口紅を注す。 ひとたび外に出れば、子持ちとは思えない美貌に世の男たちの目がくらむのだ。 こういう女は、子に手をあげるわけでもないし、何か身体に危害を加えるわけでもない。面倒くさいのか愛情が足りないのか、とにかく育児を放棄してしまうのだ。だから昨今騒がれている幼児虐待というものとは、若干異なる。 『香華』では、明治末の和歌山の旧家における“つな”“郁代”そして“朋子”の、母娘三代に渡る愛憎劇がくり広げられる。 ストーリーはこうだ。 主人公・朋子は、恋に奔放な母・郁代からは全く相手にされず、ほとんど祖母・つなと共に幼少期を過ごす。 郁代は夫(朋子の父)と死に別れた後、すぐに大地主の息子から言い寄られ、朋子を実家に置いたまま再婚してしまう。 郁代は、他を寄せ付けないほどの美貌に恵まれ、淫らなほどの色気を振り撒いていた。 そのせいで、郁代に思いを寄せる男は数知れず。 郁代の母・つなは、郁代がわがままな娘なので、すぐに嫁ぎ先から逃げ帰って来るに違いないと高をくくっていたが、そこでもすぐに身ごもってしまい、朋子の異父妹が誕生することになる。 つなは、娘・郁代のあまりに自分勝手な素行を嘆き、憎しみ、ついには発狂してしまう。 一方、郁代の方は、夫を連れて東京へと家出同然に嫁ぎ先を出てしまうのだった。 この作品からは、親孝行とか親不孝という言葉が虚しく頭上を飛び交っているような錯覚に陥る。 これほど親子の絆を呪わしく思わせるものはない。 たとえ親子といえども、全くの別人格であることを主張し、読者を翻弄させる。 時折、「昔は良かった」などと呟くお年寄りがいるが、その実、時代は変わろうとも人間のやることなどそう大して変わるものではない。 子育てを放棄し、幾ばくかの金銭の代償として娘を娼妓にする親はいたし、自由を求めて子を捨てる女もいた。駆け落ちもあった。それは明治にも大正にもあったのだ。 有吉佐和子の伝統主義に触れた時、我々は改めて女の生き様を顧みることになるだろう。 こういう骨のある作品は、本当に少なくなってしまった。 ふわふわしたコイバナも結構だが、本格的な色恋をテーマにした有吉佐和子を超える女流作家なんて、果たして平成にいるのだろうか? 戦前の家制度を知りたい人は、これを読めば何となく掴められるはず。
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