作品情報
近代文学の黎明期を、文豪たちの筆合戦から読み解く。
新潮社の単行本として刊行された評論。後にちくま文庫化され、鴎外・逍遥・樗牛を軸に近代文学論争の人間臭さを描く。
レビュー要約
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文学史を穏当な通史ではなく、論争家たちの攻防として読む面白さがある。文豪の権威をほどき、言葉の争いから近代文学の素顔を見せる。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 2003-05-01
- ページ数
- 316ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784103845041
- ISBN-10
- 410384504X
- 価格
- 2603 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
Amazon.co.jp: 文豪たちの大喧嘩: 鴎外・逍遥・樗牛 : 谷沢 永一: 本
レビュー
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鷗外にだけは気をつけよ
開高健(1930-1989)は 『ピカソはほんまに天才か』 (中公文庫 1991)において ニューヨーク近代美術館で ピカソの現物を見たけれど 「放射能を何ひとつとして 感じさせてもらえなかった」(p.246) と述べています。「放射能」とは 開高が好んで使用した比喩であり 磁石の磁力のように目に見えないが 人に感動やインパクトを与えるもの ‥を意味します。つまり ピカソ(1881-1973)は天才ではないと 開高は結論します(詳細は上掲書)。 そのアナロジーで私は 「鷗外こと森林太郎(1862-1922)は ほんまに天才か?」と 疑念をいだき続けています。 「天才」は「文豪」と言い換えてよいし 明治-大正期を象徴する 「高級文化人」「代表的知識人」 などと換言することもできます。 私はいずれについても否定的です。 本書は 谷沢永一(1929-2011)が ①森 ②坪内逍遥(1859-1935) ③高山樗牛(1871-1902) ‥の3人による3対の論争を通じて それぞれの文学を論じた書です。 ④北村透谷(1868-1894)に関する 「『透谷全集』書き入れ」 ‥が付加されていますがいわば附録で 鷗外・逍遥・樗牛の論争とは 直接には関係ありません。 森に関する谷沢の結論は 1)明治20(1887)年代 森は文壇における審美学の最高権威であり 超越的な美学査問官の座にあった。 2)しかし森の用語と文脈は 常に生硬で説明不足であり 理解不能な箇所が甚だ多く 特に述語と定義に関しては その弊害が顕著であった。 3)つまり審美学者としての森は 誰しも鼻白むほど独善的であった。 4)福沢諭吉(1835-1901)とは 正反対であり、同じく啓蒙を建前としても 森は著しく衒学的であった。 5)森は自分以外の誰かが 外国語を翻訳して新しく「造語」 するのを極端に忌み嫌った。 6)森は学問系統の戸籍が 明確でない者には形而上学者たるの 資格を認めない。 7)森は相手の問題意識や 論理構造の内面に関心を向けない。 ただ相手の片言隻語をとらえて その人物が何派の何主義者であるかを 一方的かつ性急に断定する。 8)その上で森にとって 最新至高の権威であるドイツの ハルトマン(1842-1906)の 哲学書からいかにはずれているか いかに低く評価されているかだけを ぶっきらぼうに宣言する。 ‥上記のステップを踏むことにより 森は後年、日本の論壇を長く支配し 貫流することになる 「論争態度の原型」を作りました。 つまり ・相手の提起した問題を取り上げない。 「論点はずし」。 ・相手の片言隻語をとらえて断定する 「レッテル貼り」。 ・故意の問題の矮小化や問題の位置の転位。 ・最後は自分の信じるところの「権威」 (多くはドイツ哲学・文学・医学)に 「盲従」し「非権威」を切り捨てる。 ‥という悪しきスタイルです。 谷沢は森がこの「原型」を作ったとし 「無茶苦茶な鷗外の論法」(p.133)は 「時代が転じても心性は変わらず」 ただし「権威」である「御本尊」だけは 目まぐるしく交代しした。例えば トルストイをかつぎ あるいはコミンテルンに廃棄し あるいはフローベールを振り回し 論争に決着をつけようとする 「小鷗外」の「華やかな系列」が続いた ‥と述べています(p.133)。 高山樗牛による批判 (ハルトマン論争)を受け 結果として論争に破れた森は 二度と審美学的評論には手を出さず 身上としていた審美学的評論を みずから打ち止めにします。 「世に喧伝された審美評論家」 「隠れもなき論争家」であった森は 1896(明治29)年10月 「35歳をもって事実上の隠退」に入ります。 扱っている問題が文学など 審美上の問題であれば 「実害」はあまり生じません。 しかし森は軍隊における「兵食問題」 具体的には「脚気問題」あるいは 「麦飯を支給する/禁止する問題」でも 全く同様の「論争」スタイルをとります。 ・相手の問題提起を取り上げない。 ・論点をずらす。 ・問題をすり替える。 ・問題を矮小し転位させる。 ・相手の片言隻語をつく。 ・針小棒大に批判する。 ・口汚い表現も用いる。 ・当面の敵にそれで打ち勝つ。 ‥というマキャベリスティックな 論争態度です。 帝国海軍にあって脚気を熄滅させた 高木兼寛(1849-1920)を 「みだりにローストビーフに飽くことを知らぬ イギリス流の偏屈学者」と講演で呼び それを活字化します。 おかげで私たちは今でもそれを 読むことができます。例えば 『鷗外全集』第28巻 (岩波書店 1974 p.84)を ご参照いただけると幸いです。 高木は海軍軍医総監に昇進し 海軍省医務局長を務めた人です。 軍艦「竜驤」と軍艦「筑波」による 「航海実験」によって ビタミンがない時代にビタミンの存在を示した という文脈において「ビタミンの父」と 呼ばれることがあり、また 「ランダム化比較試験」の原型を 世界で初めて行った医師としても 英語圏を中心に高い評価を得ています。 高木は男爵になりましたが 森は死後も叙爵に恵まれませんでした。 類書を読めば読むほど 森は審美学評論家としては失格であった のみならず 権威に盲従する論争スタイルを 文学のみならず医学(を含む科学)でも 貫いた論争家です。 逆説的に定義して行きますと 1.審美学評論家ではない。 2.科学者ではない。 3.医師と呼べない。 ‥などの特徴が見えてきます。 では何だったかというと 1.官僚である。 2.官僚の「一期生」である。 3.現在の官僚の「原型」である。 4.論争家である。 5.現在に至る悪しき論争スタイルを 確立した人である。 ‥という現実が見えてきます。 しかし『舞姫』が高校生向けの 「現代国語」の教科書に掲載されるなど 明治-大正期の「文豪」というイメージが 私たちには刷り込まれています。 今となっては 坪内逍遥や高山樗牛の名前を知らない ましてやその著作を読んだことがない 方々はたくさんいるものと思われます。 谷沢が 「我が文芸評論研究の卒業論文」 (p.9)とみなす本書は 上記のような森の「虚像」を洗い流し 「実像」を知るひとつのよすがとなります。 「引用文の処理」については 谷沢は独特の手法をとりました。 それについては実際にお読みになって いただければ瞬時に分かります。 ちなみに 谷沢に本書の執筆を勧め編集者との 間をとりもったのは開高でした。 【開高健が私のために心を砕き、 舞台を作ってくれてから25年、 約束の一片だけを詫びて捧げたい】 (p.316)と谷沢は書いています。
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鴎外に失望するかも
森鴎外なる文豪の作品を読み、この人の大ファンを任ずる日本人は多いに違いない。 しかし、人間には「おもて」と「うら」がある。 彼の書いた小説や翻訳に対する高い評価は、今後も変わることはあるまい。しかし、この本に出てくる鴎外は「文豪」というには、やや狭量だ。 だれかれ構わずに論争というのもはばかられるような喧嘩を売る人物なのだ。それも、かなりしつこい。相手がいやになり喧嘩から下りるまで続ける。陰湿だ。 それに比べ、彼に論争を仕掛けられた坪内逍遥は、悠然たるもの。泰然自若。こちらの方は(こと論争に関する限りでは)大物だ。 これを読むと、へえ、鴎外って人は、意外に厄介な人物だったんだな、と思い込まされる。 そういえば、鴎外は子供には甘すぎるほど優しいパパで、給料袋を母親に渡すほど母親孝行だったが、奥さんには家出をされるほどの冷たい夫婦関係だったとか。なるほどなぁ、と納得する。
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面白難しい
概説書と内容が違う
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読売文学賞受賞作
引用→論述という人文諸学の定石を破り、只管著者の独話が続くのだが、巷で屡々出没する哲学かぶれのそれとは違って確かな書誌学的見識(実証性)と文芸がいい具合に溶け合っている感じ。こんな書き方もあるのか、と驚嘆した。やはり凄い人だ、学者としては。
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嗚呼、鴎外
ふとしたきっかけがあって本書を久しぶりに書架から取りだし、再読しました。 森鴎外という人は、これまで学校の国語教科書などにも作品が多数採用され、日本人はなんとなく鴎外を文豪と思っているところがあるのでしょう。 たしかにその文業、とりわけ評者にとっては晩年の史伝やゲーテ『ファウスト』などの翻訳はそれだけで傑出した文学者だったと今でも認めることやぶさかではありませんが、教科書などに採られている小説などはたしていま読んですぐれたものといえるかどうか。 それはともかく、本書は鴎外が坪内逍遙、つぎに高山樗牛を相手にして巻き起こした論争を扱っていて、そこでの鴎外のトホホな論陣ぶりを明らかにしています。とにかく権威主義的で、西洋の学者の名前を出しその威を借りて偉そうにしている鴎外の顔だけが本書を読むと浮かんできます。現代の学者・研究者もいまだに明治の鴎外と同じことをしていると著者はそこで皮肉も忘れません。 また、本書に登場した数多くの文学者や研究者について、巻末にその一覧があり、そこに著者による人物評も添えられています。これが本文と同じくらいに、あるいはそれ以上に面白く、著者の東大嫌いはよく知られていますが、そこでは東大卒でもすぐれた学者・研究者であればきちんと高い評価をあたえていて、著者の学者としての公平・公正な態度を見たしだい。 なお、本書の序で著者が論争の内容を詳細に紹介するにあたって、論争にかかわった明治の文学者たちの文章を一段下げで直接引くのではなく、キーワードなど重要な用語や語句はそのままにした上で、論争者たちの行論をその要点を押さえ噛みくだいたものを著者自身の文章のなかに溶けこませるという独自の引用のしかたをしています。たしかにその点は成功しているかと思います。 ただ、まずは中立的な目で論争を見渡したい読者は、元の文章(まあでも読みづらいものがあるのでしょうが)が引用されているほうが、公平にその内容を判断できたかなという思いも残りましたが。
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虎の威を借る鴎外
明治の文豪たちの論争を、例の谷沢節も高らかに、舌鋒鋭い批評を交え、時には時代を越え現代の研究状況にも触れつつ、紹介したものです。大きな特色として、こういう批評、研究にありがちな、というよりも常套の、原典の引用をさけた点をあげることができます。谷沢さん曰く、 そこで私は、引用なしで論争史を書き、引用なしで批評についての評論や研究を、硬軟いずれの論文に於いても書く方法があることを明示しようと思った。(10頁) 主たる論争を紹介します。 1 森鴎外vs石橋忍月 2 森鴎外vs 坪内逍遥 3 森鴎外vs高山樗牛 4 坪内逍遥vs高山樗牛 1は「舞姫」論争。忍月の批判に対して、鴎外が登場人物の「相沢謙吉」の名を用いて反論をしているのがミソ。 2は、引用されている江藤淳の評言、「虚心に読むと、鴎外のなんとつまらないこと。それにくらべて逍遥の魅力」につきます。ハルトマンを基準にして論じる鴎外は、虎の威を借る狐のごとく、卑怯に見えます。 3は、鴎外が第一人者と自認する美学を主たるテーマとする論争。帝大生高山樗牛が臆せず既に大御所となっている鴎外に挑んだもの。途中、ドイツ審美学のテキスト読解に話が移行しますが、そうなると、「ドイツ学界の最新情報を、どちらが握っているかの競り合いであるから、帝国大学の研究室を兵站部とする、樗牛が絶大の自信を持って当然」(118頁)の戦いとなり、樗牛の圧勝となります。逍遥にはハルトマンを笠に着て難癖をつけていたのに、そのハルトマンを誤読していたことが白日の下に晒され、鴎外は何とも格好悪いことになりました。 4では、老獪な大御所鴎外に勝利した樗牛が、これまた大御所逍遥に挑んだ論争。ところが、鴎外には正攻法で戦った樗牛が、今度は、「鴎外と寸分たがわぬ姑息な目眩まし、相撲で言うなら禁じ手の秘術を尽くす。問題の核心は避け通して論点を摩り替え、相手の主張を無理無体に捩じ曲げ捏ねくり、自分が撃ち易いように見掛け倒しの標的に仕立て上げ、イヤミ皮肉あてこすり嫌がらせを連発した」(175頁)のでした。後半の、樗牛の「美的生活を論ず」に発する論争では、「明治文壇で最も紳士的に万事控えめであった逍遥が、生涯で珍しくただ一度だけ、阿修羅となってなりふり構わず、樗牛を文壇から葬り去ろうと企んだのである。逍遥は必殺の剣をふりかざす。逍遥は今や情け容赦もなく樗牛を火炙りに処すべく立ち上がった」(230頁)というような状況を呈していました。 なお、巻末に「谷沢流「登場人物・事項」コラム」が付いていて、これまた辛口の谷沢節。 一つ挙げますと、 ・日本古典文学大系 第1期66巻。岩波書店の編集者玉井乾介と東大出身若手研究者板坂元とが、学閥に捉われず実力本位で執筆者を選んだところ、東大のボス麻生磯次が、全員東大出身にせよと指示し、もうひとりのボス久松潜一は原案をたくさん抹殺してお気に入りに替えた。そのため釜田喜三郎は底本に参考太平記を用い広辞苑で注をつける始末に更迭せざるを得ず、野田寿雄は原稿進捗中と嘘を吐いて現場を押さえられるなど編集部が苦労した。
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資料をよく読みこんだ労作
とてもとてもとても面白い本!鴎外の日本兵食論だの、審美綱領だのを読み始めてはみたものの、途中で放り出した身としては、それがどういう意味があり、明治時代においてどのように位置付けされるかわからなかったし、テーベ百門の大都と称される鴎外の幅広い教養に圧倒されるのみであったが、著者はその教養の中身を、同時代との論争を通じて明らかにする。今の立場から見れば,まあこんなもんじゃないかねえ、とは思うが,鴎外ってのはとんでもないイヤな奴だったらしい。坂内正という人も書いていたが、エイズ事件の、あのアベタケシと双璧(?)といった感じ。 久しぶりにスリリングな本を読んだ。
関連する文学賞
- 読売文学賞 第55回(2003年) ・受賞