作品情報
一枚の絵はがきから、存在の痕跡と詩の余白をたどる。
新潮社刊。公式ページで単行本の ISBN、ページ数、受賞情報が確認できる。詩をめぐる小説であり、散文の静けさと探索の緊張を併せ持つ。
レビュー要約
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古い絵はがきと詩をめぐる探索が、ミステリー的な興味と散文の余韻を生んでいる点が評価されている。派手な筋よりも、文章の呼吸や空白を味わう読者に向く。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 2016-01-29
- ページ数
- 174ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 13.3 x 1.7 x 19.6 cm
- ISBN-13
- 9784104471058
- ISBN-10
- 4104471054
- 価格
- 1650 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
古い絵はがきに綴られた十行の詩。細くながく結ばれてゆく幻の「詩人」との縁を描く待望の長篇。留学生時代、古物市で見つけた一九三八年の消印のある古い絵はがき。廃屋としか見えない建物と朽ち果てた四輪馬車の写真の裏には、流麗な筆記体による一篇の詩が記されていた。やがて、一枚また一枚と、この会計検査官にして「詩人」であった人物の絵はがきが手元に舞い込んでくる――。二十数年にわたる縁を描く待望の長篇。
レビュー
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文体がとても好き。
堀江敏幸さんの文体が好きになった一冊です。以来、堀江敏幸ワールドにすっかり魅了されています。
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この作者らしく知が先走ったエッセイ風小説
留学先のパリでたまたま入手した昔の絵葉書の差出人にまつわる記録を探し続ける物語。この著者らしく、小説なのかエッセイなのかよくわからない。 物語の出発点は興味深いし、そこからゆっくりと展開する物語の章のそれぞれで、特徴ある人々が登場する。 それを描く文章はいつでも落ち着いた調子を保っていて、急ぎもしなければ停滞もしない。あちらこちらに色々なたくらみが仕掛けられているので、読者は急いで読み進めようとすると躓いて混乱して、結局のところじっくりと噛み締めながら先に進んでいかざるを得ない。そんな作品である。 この作品を好きか嫌いかと問われれば、好きだと答えるのだが、そう答えるときに少し躊躇する。フランスの香り、知が先ばしるインテリ臭さ、些細なものをあれこれと弄り回して楽しむ風情が、魅力であるとともにこの作者の限界でもあると思うのだ。自分のおもちゃ箱で遊んでいる感じ、鉄道模型に熱中している感じ、あるいは箱庭に見とれている感じ、そんな感じがした。
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意味不明ゆえの魅力
『読むという行為は、これはと思った言葉の周囲に領海や領空のような文字を置いて、誰のものでもない空間を自分のものにするための線引きなのかもしれない』 先の一文は、小説の中の主人公の私のつぶやきです。フランスでの留学中、古物市で偶然手にした古い絵葉書に書かれた、不可思議な1編の詩に惹かれ、20年以上の歳月をかけて詩の意味を探っていく物語です。 『幾度読み返しても難解な言葉、ほんのわずかな読みの角度を変えるだけで、全体の表情がくるくる変わってしまう』 詩は難解ゆえに私の心に留まり、長い年月をかけ、詩が書かれた時代や、詩人その人の背景を探ってゆくうち、詩人の書いた5編の詩とポートレートを入手し、そして詩人の家族や友人たちとの交流が生まれ、20数年という時間の中で主人公の経験が加わり、徐々に詩の解釈が変わってゆきます。 『意味不明というその最大の美質で、心の地平線を引き伸ばす』 僕も個人的には意味不明なものが好きで、すぐわかってしまうものは、記憶に残らないのですが、すぐには意味が分からないものが心に残ります。 またその時ピンとこなくても、言葉に出会う年齢や環境や心境で異なる印象を受けるということもありますし、真に言葉に意味を持たせるのは自分自身の経験のように思います。 「意味不明」と性急に片付けることなく、分かったつもりでスルーすることも避けて、僕も僕なりの世界を時間をかけて広げていきたいと思えた小説でした。
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野間文芸賞受賞作品
何か文学的で評価が高いが…好みではないです。(個人的な感想です。)
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読了後にじわじわと面白さを噛み締めました。
大きな事件が起こるわけでもなく、淡々としているのに、何だか続きが気になる、そんな1冊でした。 終わり方も予想外というか、そこで終わるんだ…となり、かと言って物足りない感じもないのが、流石だなと思います。 穏やかに本を読みたい方におすすめしたいです。
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詩、存在のたゆたい
不在が際立たせる存在のコア。たゆたう言葉が過剰な読みを誘引する。その果てに現れる世界の破片。ある種の、とても好きな映画の時間の流れを思い出させるような久しぶりの小説。装丁はおフランスなテイスト。
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交差する夢想と現実
もの静かで繊細、そのうえ美しくも知的な時間の流れを感じさせる独特の文体。 まさしく堀江文学のエスプリが随所に感じとれる短編集で、巻末の初出一覧をみると主に「新潮」「yomyom」「文學界」などに2010年から5年間かけて発表したものらしい。 フランス留学時代、古物市で手に入れた、1938年の消印のある古い絵はがき。廃屋と朽ちた四輪馬車の写真の裏に書かれた謎めいた十行の詩。 引き揚げられた木箱の夢 想は千尋の底海の底蒼と 闇の交わる蔀。二五〇年 前のきみがきみの瞳に似 せて吹いた色硝子の錘を 一杯に詰めて、箱は箱で なく臓器として群青色の 血をめぐらせながら、波 打つ格子の裏で影を生ま ない緑の光を捕らえる口 あるいは、また・・・ 遠い隣人に差しだす穫れ たての林檎。の芯に宿る シードルのコルク栓。固 く身をよじる円筒の縞に 流れる息、吐く吐かない 吐く息を吸わない吸う息 を吐かないきみの、太古 の風。巨大草食獣の浴び た風がいまも吹く丘の麓 にいまもなお吹き過ぎる 戦乱の20世紀前半を生きたアンドレ・ルーシェなる会計検査官の詩と交差するように現在を生きる「私」。本著はこの「詩人」の影を追うように展開される仕組みとなっている。 消えた町、消えた人物、消えた言葉は、…(略)永遠に欠けたままではなく、継続的に感じとれる他の人々の気配によって補完できるのではないかといまは思いはじめている。視覚がとらえた一枚の画像の色の濃淡、光の強弱が、不在をむしろ「そこにあった存在」として際立たせる。(本文p121) したがって、人の記憶や思惑は様々な新しいドラマを生成することになる。まさしく、堀江敏幸ならではの独特の文体とスタイルといえるだろう。読んでいて本当に不思議な時間体験をしているようで心地いいのだ。著者は『回送電車』で自らの文学にふれ、その立脚点について主義とも宣言ともいえる次のようなおもしろい発言(回送電車宣言)をされている。 ・・・特急でも準急でも各駅でもない幻の電車。そんな回送電車の位置取りは、じつは私が漠然と夢見ている文学の理想としての、《居候》的な身分にほど近い。評論や小説やエッセイ等の諸領域を横断する散文の呼吸。複数のジャンルのなかを単独で生き抜くなどという傲慢な態度からははるかに遠く、それぞれに定められた役割のあいだを縫って、なんとなく余裕のありそうなそぶりを見せるこの間の抜けたダンディズムこそ《居候》の本質であり、回送電車の特質なのだ・・・と。 ところで、本著において堀江さんははじめて「夢想」という表現をされていますが、とても新鮮な気がしました。たしかに、これまでにもふと知り合った人物や偶然手にしたもの、実在する写真家や作家のエピソードと著者自身の記憶を辿るようにパラノチックな展開が不思議な地平に誘ってくれていますが「夢想」と規定される言葉ではなかったように思います。 本著ではまさしく「夢想」するように、ふとしたことから古物市で手にした一枚の“絵はがき”がきっかけとなって、記憶を引きずるようにパラノチックな思惑と現実が錯綜する独特の世界が広がっています。 どうぞ、この不思議な読書体験、心地いい時間体験をお楽しみください。
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無名のまま消えていったものの在り様が、切なく、愛おしく胸に滲みる 不朽の名作となることが約束された一冊
あなたが一番好きな作家は誰ですか。 そう問われて堀江敏幸の名を挙げて、「知らないなぁ」という予想通りの反応を何度聞かされただろう。芥川賞の選考委員であり自身が芥川賞作家でもあるというのに、この人ほど華やかさや押し出しの強さとは正反対の極にある書き手を私は知らない。 謎めいた十行の詩。 主人公の〈私〉はパリの古物市で、使用済みの絵葉書に記された文字にふと目を留める。そこから物語は転がり始める。この始まり方は、一昨年ノーベル文学賞を贈られたパトリック・モディアノの作品とよく似ている。『1941年。パリの尋ね人』の主人公も同様に、何気に目にした数十年前の尋ね人広告をきっかけに、その何行かの文字の陰に隠された真実を突きとめたいと、もがきながら追い求めてゆく。 物語の仕掛けは似通っているが、二つの作品の結末は決定的に違っている。モディアノ作品の行き着く先がホロコーストという世紀の悲劇と作家自身の出自とが数奇に重なり合う頗る劇的な結末であるのに、『その姿の消し方』では、〈私〉が探し求めて辿り着くのは歴史の片隅で世に知られぬまま消えていった詩人の影と、遺された幾つかの謎だけなのだ。 数年前のことだが、私はこの書き手とリアルに言葉を交わしたことが一度だけある。 「堀江さんは、須賀敦子さんの『ユルスナールの靴』の単行本を読んでいて、文芸誌に初出のときの原文が何ヵ所か書き直されていることに気がついたと、須賀さんの追悼特集で書かれていますが、それって新旧の文を見比べて検証されたってことでしょうか」 不躾な私の質問に、返ってきたのはとても穏やかな声だった。 「いいえ。見比べたんじゃありません。原文をはっきり覚えていたんです。元の文も素晴らしかったですから。単行本を読んでいて、あ、ここは直されている、前より更に良くなってると直ぐその場で気づいたんです」 やさしい口調だった。だが、眼鏡の奥でこちらを見据えていたのは、一文字の相違も見逃さない眼だ。一転して、今度は遠くを見遣りなが、「もう十年になるんですねえ。須賀さんが亡くなられてから」と、最後のところは消え入りそうに小さく呟いた。続く何秒かの沈黙を、私も一緒に噛みしめた。 回想風エッセイの名手として名高かった須賀さんの文体は、事実であることが建前のエッセイという体裁を採りながら、巧みに〈創り〉を織り込んで主題を際立たせる、いうなれば「ホントの様な嘘」の物語であった。 この最新長編で堀江さんは、敬愛するエッセイストの精髄は受け継ぎながら、それとは真反対の立ち位置から「嘘の様なホント」を書いている。虚構に形を借りながら、〈私〉は間違いなく書き手自身であり、謎めいた詩行のひと文字一文字に込められた真実を追わずにいられなかった〈私〉のこだわりは、彼自身の想いであるのに違いない。 読む。とはいったいどういう行いだろう。目に映るひと文字、ひと言、綴られた文の真意を、ああだろう、こうかもしれないと手探りしながら辿る。だが読めば読むほど、真意と信じていたものが読み手の勝手な思い込みに過ぎないことを何度も何度も思い知らされる。真意の真はいつも一瞬の幻でしかない。でも、判らないからこそ惹かれてしまう。掴めないからこそ追いかけ続けてしまう。もしあなたが、そういういう読む者の業を背負ってしまった読書人であったなら、これはもう繰り返し読むべき必読の一冊だろう。 執拗なまでに丹念に綴られた〈読む〉営為を追体験した果てに、あなたがようやく辿り着くのは、全然劇的じゃない、結末とはいえない結末である。だがそうであればこそ、無名のまま消えていったなにものかの在り様が、切なく、愛おしく、胸に滲みてくる。 そういうなにものかを描かせて、今、堀江敏幸の右に出る書き手はいない。
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