作品情報
『未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命』は、受賞歴と書誌情報を確認できる片山杜秀の作品。
『未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命』は、片山杜秀による受賞・候補対象作。人物の選択や時代背景、事件の推移を通じて、読者を作品世界へ引き込む構成を持つ。 書誌識別子は、Amazon JP、NDL/CiNii、出版社・書店情報で単独書籍または収録書籍として確認できたものだけを記録し、雑誌号や掲載媒体の識別子は流用していません。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 2012-05-25
- ページ数
- 352ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 12.8 x 2.4 x 19.1 cm
- ISBN-13
- 9784106037054
- ISBN-10
- 410603705X
- 価格
- 2090 JPY
- カテゴリ
- 本/ノンフィクション/歴史・地理・旅行記/歴史/日本史
昭和の軍人たちは何を考え、一九四五年の滅亡へと至ったのか。 天皇陛下万歳! 大正から昭和の敗戦へ――時代が下れば下るほど、近代化が進展すればするほど、日本人はなぜ神がかっていったのか? 皇道派 統制派、世界最終戦論、総力戦体制、そして一億玉砕……。第一次世界大戦に衝撃を受けた軍人たちの戦争哲学を読み解き、近代日本のアイロニカルな運命を一気に描き出す。
レビュー
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この視点は知りませんでした。
自分の中の第二次世界大戦までの迷路に新しい燈が灯りました。多田駿大佐の伝記、賊軍の昭和史と合わせて読むと教えられてきた近代史とは別の流れが見えてきます。平和主義の謎を解くにはとても良い参考書だと思います。
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「あれはそれほどでもなかったよ」―司馬遼太郎『大正生れの「故老」』より(「あれ」には傍点)
.博覧強記な上に斬新な視点と大胆な分析、グイグイ読ませる文章で人気の著者だが、時にその断定調が気にならないこともない。「~ではないでしょうか」「~と思われます」「~のようです」、せいぜいが「~に違いありません」「~のはずです」「きっと~でしょう」に抑えるべきところ、「~なのです!」を連発するのに疑問が浮かぶことが屡々。 本書も、着眼点やアプローチには極めて興味深いものがあり、論旨も説得力豊かでうなずけるところ多々なのだが、同時にいささか飛躍気味、実証性に欠けるのではと引っかかる箇所がなきにしもあらず。スタンリー・キューブリック『突撃』などでも描かれた、第一次大戦に於ける「フランス陸軍の超肉弾主義」を招いたのは日露戦争での「日本的攻撃精神に対する憧憬」、「欧州列強は日露戦争の日本軍をモデルに戦っていたらしい」との説は、フランス軍将校の言などが傍証として引用されるため錯覚しがちだが、虚心に読めば、日本云々は我が国陸軍参謀本部刊『欧洲戦争叢書』第5巻『世界大戦ノ戦術的観察』(大正15年3月 偕行社)による総括。オラが国自慢の独り合点・手前ミソに過ぎない可能性は僅かながら排除出来ず、ここはフランス、それにやはり我が軍を手本にしたと著者が主張する当時のドイツやロシアの側がハッキリ名指しで「日本に倣え!」とした文献・史料を―もしあれば―示して欲しかったところ(以上、p.80-87)。先立つ章に於いて、日露戦時の我が軍の「強引な精神主義的戦闘法」「旺盛な精神力と捨て身の突撃」に感嘆しきりのクロパトキン(と、孫引きの形でトルストイ)の記を紹介してはいるものの、こちらは第一次大戦での青島攻略戦で機械化戦術に格段の進捗を見せた我が軍と対照させるため、のはず。上記の日本モデル説を補強するために著者があらかじめ印象操作を狙ったフシがないではないが、もしそうだとしても、ロシア―と云うかソ連―その他各国の近代的軍事思想を再転換させた論拠の一つとしては、やはりちょっと弱いように思う(以上、p.69-70)。個人的には、かの欧州大戦の悲惨な状況は、世界史上嘗てなかった規模の戦争には国民総動員の態勢で臨む他なく、従ってせっかくの近代兵器もとてもじゃないがすぐとは全線に行き亘らずで(1914年に始まった第一次大戦に戦車が初登場したのは’16年、実際に或る程度の戦果を挙げたのは翌’17年)、「差し当たり」「取り敢えず」の人海戦術に頼る仕儀と相成った…と云うことなのではないかと思うのだが。 「生きて虜囚の辱を受けず」の『戦陣訓』成立史も確かに興味深いが、あれが軍人一般のメンタリティや思考法をどれほど規定・規制したかについては諸説あり*、評者にはレビュー表題に掲げたエッセイ(新潮文庫『歴史と視点―私の雑記帖―』などに所収)で司馬―旧・帝国陸軍関東軍予備将校(少尉)―が「兵士たちのモラルや意識を拘束してついに横井氏のようなひとを出してしまったというほど重いものだったかどうかは、疑問である」「そういう刊行物とは無関係に軍隊社会は存在していた」「教材につかわれている現場を見たことがない」「幹部候補生試験などでも(中略)テスト材料にもなっていなかった」「ニュースとしてやかましく書き立てたのはむしろ新聞」「マスコミのから騒ぎ」などとニベもなく斬り捨てていたのが印象深く、もちろん本書の趣旨は、「持たざる国」の軍指導者達の苦悩が如何なる形を採って表れたか・何故ファシズムを志向したのか・何故その達成に失敗したかにあるわけだが、「『戦陣訓』ほど(中略)広く日本国民を呪縛したテキストはありますまい」「軍内での『戦陣訓』教育は徹底して行われ、国民一般にもさかんに紹介されました」「戦争末期には『一億玉砕』が全国家的に叫ばれるようになりましたが、その精神的準備は『戦陣訓』によってなされたと言っても大袈裟ではないでしょう」「『戦陣訓』が日米戦争時代の日本人の死生観に決定的影響を及ぼして『玉砕』や『神風』の背中を押したとすれば」(以上、p.261&276)等々、全体にバランスの取れた筆致の本書中この『戦陣訓』のくだりだけは親のカタキに遭ったみたいに熱のこもった糾弾調で、いささか脱線気味と云っていいくらい。それだけに司馬のクールな実見談との極端なズレが気になる。おそらく当時の実態としては、『戦陣訓』そのものはさほどの普及を見ないまま、「生きて虜囚の~」の一句だけが専ら口調の良さからあちこちで繰り返されるうちに独り歩きを始め、戦後の「アンポハンタイ」、もっと云えば「お客様は神様です」などと同じスローガンめいた「流行語」**として機能していたに過ぎず、またその「流行」ぶりも地域や部隊によって濃淡があったのではないか。本書と司馬との矛盾や温度差から戦争と云う巨大な現象の入り組んだ多面性・多元性を語り起こすことも出来そうだが、そのあたりを見過ごしたまま、アッツ島の玉砕を「『戦陣訓』の教えを実行したのです」(p.280)と躊躇なく云い切る本書の論旨に従っていると、『戦陣訓』こそ諸悪の根源、敗戦の最大の原因と短絡的に解する読者も出てきそう(そもそも「玉砕」なる語の我が国初出は西南戦争末期、薩摩私学校党の諸隊順達なのだが、本書にはその説明は見当たらないような…読み落しならご容赦のほどを)。上記のエッセイで司馬が警戒したのが「あのへんぺんたる小冊子がにわかに史的重量を増し、昭和十年代末期を覆っていた巨大な黒雲のように評価され」るが如きイビツな事態を招きがちな「原因と結果を明快にしたがる歴史的記述」―唯物史観に典型的な―なのだが、評者が時に一抹の危うさを感じる本書の著者も、そのテツをところどころで踏んでいるような気がする。 *秦郁彦『日本人捕虜- 白村江からシベリア抑留まで』(原書房、中公文庫)など。 **戦前・戦中の暗黒時代を象徴するかのように飽かず持ち出される「御真影」の過剰「奉護」・英語の使用禁止・竹槍訓練、いずれもやはり単なる「流行」で、国家の指導・主導によるものではなかった。 まあ、著者のみならず最近の物書きに少なくないこの思い切りのいい断言口調、知的抑制力の減退と云うより、外国語、特に英語表現の影響がより強くなってきた、その表れでもあるのか、と。「人間は考える葦である!」「優しくなければ生きる資格がない!」と云い切って「考える葦みたいなものだと思われる」「生きる資格がないのではないかと感じたりする」とは云わないのがアチラの言語文化で、原書、翻訳書を問わず、その独断的な論調に「ホントかね?」と当惑させられることがままある、それと似た感じが本書にもある、と云ってもいいのかも。 以上、いささかトッ散らかったレビューだが、気になったのはそんなところ。選書にしては厚めなので、出来れば索引もあればよかった。ただ、疑問点ばかりを挙げてしまったけれど、全体としては中身の濃い、最後まで興味深く読めた当たり本の一つ。関連して、官製イデオロギーに視点を絞った本書の補足ないし姉妹編として、より広い範囲で「未完のファシズム」国家の諸相を―こちらはより実証的ないしルポルタージュ風に―描いたベン・アミー・シロニー『WARTIME JAPAN ウォータイム ジャパン:ユダヤ人天皇学者が見た独裁なき権力の日本的構造』(五月書房)を紹介しておく。本書が面白かったら、あるいはちょっと物足りなかったら、こっちもオススメ。 なお、本書に『軍人勅諭』『教育勅語』についての論考がないのが気になる向きがあるかもしれないが、あれらは明治時代の産。前者は旧・憲法も公布されていない早い時期、西南戦争の戦後処理がきっかけとなって出されたもの、後者は憲法公布の翌年で、第一次大戦以後を対象とする本書の趣旨からは外れる(そのせいで舌足らずになった部分も本書にはあるのではないか)。前者―「朕󠄂は汝等軍人の大元帥なるぞ」―の成立については、小説では松本清張『象徴の設計』(文春文庫、その他)が面白く読めた。
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最高コンディション
新品同様の美品でした
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持たざる国の苦悩
第一次世界大戦以降の日本で、次に起こりうる戦争をどのように乗り越えるべきか?について、当時の陸軍軍人を中心に思想、理論、行動の視点から説明している。 陸軍が精神論にのめり込んでいったことに対する説明はなかなか面白かった。 タイトルにある未完、日本人であるが故に、当時の欧州とは異なるものだったという意味が分かる。
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いまいち
本の淵にシミがありました。値段は、高いと思います。
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反戦主義者も、一読することをお勧め
戦後の左側の教師たちにバイアスかけられた世代であり、全体主義と流血自決アレルギーであるはずの、私でさえ、近年の他国の国土を脅かす姿勢に腹を立て、原発事故で、国土が危機状況の事態に、命を捨てても、国を護りぬこうことする気持ちが自分に根羽えることに驚いた。戦中の若者も同じような気だったのではないかと、推察する。しかしながら大昔から、戦を繰返しながら、最終的に 突撃 特攻 玉砕 などという戦術とは言い難い戦士の命を軽んずる 無策の戦法をなぜとったのか? の理由がわかるのではないかと本書を手にとった。 粗く要約すると、近代の第一次世界大戦くらいからの、軍 士官のそれぞれの、「持たざる国」が、「持てる国」との戦う思想が、統一せずに、個人の裁量範囲で、突き進んでしまい、日本国の物量、精神ともに 実態が伴わず、引っ込みがつかないまま、盲進してしまったというような内容であった。船頭多く時代遅れの船は転覆し、一般市民が、犠牲になったという構図。 現代に翻って、戦争ではないが、現場抱える問題も、シビリアンコントロールなんとかいって、政治家 官僚 関係団体等が、統一感なく国の進む方向を見失い、また船は、沈みそうだ!また一般市民が、犠牲とならぬよう、失敗の轍を踏まぬよう、もう一度、いろいろな立場の人も本書を読み、近代の失策戦術史を学び、未来の日本国土のため、世界にどう対峙する戦術が、ベストなのかを、真剣に考える参考書として欲しい。
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片山ワールドを楽しみたい
コロナ下で視聴を始めたとあるオンライン講座。その中に片山氏の講演があった。それまで片山氏のことはまったく存じていなかったのだが、聞き始めて、その語り口に吸い込まれていった。この人はなんと楽しそうに歴史を語るのだろう。語られる内容も目から鱗の連続。これはもう原書を読むしかないと手に取ったのがこの書物である。 第一次世界大戦の総力戦を肌身をもって知るが故に、「持たざる国」日本の進むべき進路を逆説的に考えなければならなかった陸軍皇道派と統制派それぞれの思考を、「本音と建前」という言葉ではあまりに軽すぎるところ、氏はそれを「密教と顕教」という、重厚かつ神秘的な概念で説明しているところにはうならされた。 さらには、明治憲法下における、誰にも権力を持たせない体制的な仕掛けを明らかにし、誰もが負けるとわかりながら「大東亜戦争」に突き進まざるを得なくなっていく政治的構造、そして特攻を生み出した思想の源流まで遡る道程は、読んでいてまことに興奮するものであった。 もはや片山節と言ってもいいだろうか?まだまだ読んでいない氏の著作は多いのだが、しばらくは片山ワールドを楽しめそうである。
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自身で考える
第一次世界大戦での日本の立ち位置、戦勝国に名を連ねることがもたらしたものや、第二次世界大戦への過程から敗戦までの軍人の考え、行動などを詳しく読めた。 自分で考え判断することの重要性はどの時代でも変わらないものなのだと改めて思い知った。
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