書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 2020-05-27
- ページ数
- 304ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 12.8 x 2.1 x 19.1 cm
- ISBN-13
- 9784106038556
- ISBN-10
- 4106038552
- 価格
- 1850 JPY
- カテゴリ
- 本/人文・思想/哲学・思想/人生論
「生きづらさ」を解きほぐす9つのヒント! 「ひきこもり」を専門とする精神科医と、「重度のうつ」をくぐり抜けた歴史学者が、心が楽になる人間関係とコミュニケーションのあり方を提案する。 (目次) はじめに――與那覇潤 第一章 友達っていないといけないの? ――ヤンキー論争その後 第二章 家族ってそんなに大事なの? ――毒親ブームの副作用 第三章 お金で買えないものってあるの? ――SNSと承認ビジネス 第四章 夢をあきらめたら負け組なの? ――自己啓発本にだまされない 第五章 話でスベるのはイタいことなの? ――発達障害バブルの功罪 第六章 人間はAIに追い抜かれるの? ――ダメな未来像と教育の失敗 第七章 不快にさせたらセクハラなの? ――息苦しくない公正さを 第八章 辞めたら人生終わりなの? ――働きすぎの治し方 最終章 結局、他人は他人なの? ――オープンダイアローグとコミュニズム おわりに――斎藤環 読書案内 「対話」によって人間関係と自分自身を変えるための10冊――斎藤環 重い病気のあとで新しい人生をはじめるのに役立った10冊――與那覇潤 斎藤環 (さいとう・たまき) 1961年、岩手県生まれ。精神科医。筑波大学医学研究科博士課程修了。爽風会佐々木病院等を経て、筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」の治療・支援ならびに啓蒙活動。著書に『社会的ひきこもり』、『中高年ひきこもり』、『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)、『オープンダイアローグとは何か』、『「社会的うつ病」の治し方』ほか多数。 與那覇潤 (よなは・じゅん) 1979年、神奈川県生まれ。歴史学者。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となる。著書に『中国化する日本』、『日本人はなぜ存在するか』、『歴史がおわるまえに』、『荒れ野の六十年』ほか多数。
斎藤環 (さいとう・たまき) 1961年、岩手県生まれ。精神科医。筑波大学医学研究科博士課程修了。爽風会佐々木病院等を経て、筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」の治療・支援ならびに啓蒙活動。著書に『社会的ひきこもり』、『中高年ひきこもり』、『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)、『オープンダイアローグとは何か』、『「社会的うつ病」の治し方』ほか多数。 與那覇潤 (よなは・じゅん) 1979年、神奈川県生まれ。歴史学者。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となる。著書に『中国化する日本』、『日本人はなぜ存在するか』、『歴史がおわるまえに』、『荒れ野の六十年』ほか多数。
レビュー
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選書という贈り物
きれいに届きました。 中身 言葉(人の想い)が送り送られる世界に、心底浸れました。参りました。
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現代社会におけるうつ病の問題を鋭く切り取っている
本書は、現代社会におけるうつ病の問題を鋭く切り取っています。著者は、うつ病が単なる個人の問題ではなく、社会全体の構造や価値観に起因することを明らかにしています。特に、過度な競争や成果主義が人々の心に大きな負担をかけている点に共感しました。著者の提案する解決策は、個人の努力だけでなく、社会全体での意識改革が必要であると感じました。 しかしながら、一部の具体例や解決策についてはやや現実味に欠ける部分もありました。そのため、個人的には4点と評価しました。それでも、うつ病に対する理解を深めるための一冊として、非常に有益であると感じました。特に、うつ病を抱える方やその家族、そして医療従事者にとっては重要な示唆が多く含まれています。 全体を通して、うつ病に対する社会の認識を改める必要性を強く感じさせる一冊でした。
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オープンダイアローグを通じて空白と偶然という管理不能な自由さが参加者を共進化へ導く。福音書かも。
掲題の前提は、参加者間が平等であり、友愛的な共感があること。要点は以下。 対話においては、議論や説得、あるいは助言はタブーとされる。それは相手の存在の統合性を否定し、自分と同一であることを強いる行為になりかねないから。同じように、正しいことや客観的事実を巡る対話は、しばしばどちらかの、あるいは双方の統合性を傷つける。では何を話題にするべきか? それはそれぞれの主観である。それが傍目にはどれほど歪に見えようとも、対話の出発点は常に主観であるべき。要は、対話とは主観と主観の交換である。相手の主観に同意する必要はないが、共感してあげることが望ましい。自分もその立場にあれば、そう感じるかもしれないと。同意の無さが密着を防ぎ、間隔と距離がSpaceを作り、その空白に何を放り込んでもいいんだというコンセンサスが自由な発想と自発的な意見発信を引き出し、発言した実績が発言者自身を変える。 血縁という必然を求めるより、絆なんて偶然でよいと割り切った方が連帯が容易になる。同一の過去の共有という必然化によって共同体めいた意識を作り出すより、たまたま出会った人とでも、それなりに関係性を作り出して一緒にいられる技法の方が可能性があるのではないか。最初は偶然の出会いでも、それを飼い慣らして豊かな関係に変えていけることに、これからの人間のPotentialityがある。 能力は、本人の所有物というより、周囲との関係性 = 天才は小集団現象。また、責任と同様に能力も、これはあの人が優秀だったことにしようと帰属先を決める、筋書きを合理化する虚構にすぎない。 2005年以降は、日本でもハイパーメトクラシー(業績・成果+人間力・コミュ力)。でも人間力・コミュ力って具体的には何? これも「責任」と同じで、功績(責任)を特定の人間に帰属させることが先に決定されており、その決定を合理化するための虚構に、新たな要素が加わっただけに過ぎない。 環境管理型権力(自動詞)? 規律訓練型権力(受動詞)? XYZ包摂?(中動詞=受動詞+自動詞+再帰)? 論理や合理性だけでは分かり易いが、違う論理を掲げるひとと必ず衝突する。人間社会を成立させるためにはニュアンスという媒体を噛ませないといけない。正式決定ではなく、仮決定でもなく、仮々決定として、いつでも柔軟に状況に応じて変更するとのスタンスであれば、合意形成を行うことができる。 人文教育は、コースアウトしても生き抜く力を養うためにある。≒ 少数派になっても、考え抜いて新しい価値観を呈示できる人間を育てること(=あいつ学校(会社)をやめちゃったけれど、結構楽しくやっているな)。多様性を本当に考えるならば(≒本当に少数派・弱者救済を考えるならば)、感覚的に「痛い」「醜悪な」「厄介な」「面倒臭い」までカバレッジを広げる必要がある。キラキラNPO・おしゃれNPOはなんちゃってにすぎない。例えば、誰が心の病気かと呼ばれるかは、しばしば当人の気質以上に、社会で置かれている環境で決まるもの。何が病気と見做されるかは、何が普通と見做されるかの裏返し。 Open-Dialogue ≠ PDCA-Cycle。どのように回復していくかは、治療者には予測が不可能。偶然に頼る。もし予想や想定を超えた突然変異が発生すれば、大きな飛躍が起きる可能性が高まる。その意味で、非常に部分的な小さい過程ではあるが、参加者は共進化に貢献していることになるのではないか。
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奥深い
まず対談形式なのでとても分かり易いです。これだけで個人的には非常にポイントが高いです。非常に専門的な内容を口語体で読めるのはそれだけで時間の節約になります。 精神医学と社会学・サブカルチャーの融合が本書の主なテーマ(と個人的には考えて居る)であり、本書で紹介された映画・書籍などを1つ1つ現時点で読んだり観たりしています。そしてそのどれもが素晴らしいですが特に映画「ジョーカー」の記載に深く感銘を受けました(詳細は是非読んで下さい)
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タイトルや表紙に救いを求めてるのであればおすすめしない
「心を病んだらいけないの?うつ病社会の処方箋」というタイトルと優しげな表紙に救いを求めてこの本を読もうとするのであればおすすめはしないです。 「〜してはいけないの?」と銘打たれると『いいえ、本当はそんなことはないんですよ』という救いや承認を求める人が手に取ると思うんですが、それを求める人には刺激が強すぎる本だと感じました。 まえがきにある通り、この本は治療ではないです。でも、私にとっては対話に期待が見出せる本でもなかったです。 著者らの来歴や思想を知らずに手に取ったので、冒頭から特定の思想が強すぎる対談で面食らいました。また特定の個人の批判があまりに強すぎる事、ヤンキー・ネトウヨ等属性で人を語りすぎる事が気になりました。 納得できることも多く、著者らが指摘する内容に心当たりがあって内省するのにいい機会でもありました。ただ攻撃性が強すぎて今の私には辛かったし、こんな切り口で話す人たちに対話が大切と言われても…という感じでした。 疲れてくたくただからコンビニで甘いチョコを買ったつもりだったのに、開けたら「カカオマスの生産は搾取によって成り立っている云々…搾取されている側はその瞬間が気持ちの良いものであれば良しとしているから搾取に気付きもしない云々…だから改めよ。」とか能書きがビッチリ書かれていたら面食らうでしょう。そんな印象でした。 このようなタイトル・装丁に救いや承認を求める層をターゲットに気づきを与えるという狙いならばある意味大成功ですが、本文とのギャップが乱暴すぎておすすめしにくいです。 著者のファンや社会と精神病の関わりの変遷を知りたい人には面白い本かもしれません。
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タイトルのイメージとは少し違う内容の好著
精神科医と歴史学者の対話集。 題名から予想される内容とは少し趣が異なるところはあるものの、今の時代背景と、それにつながる時代の息苦しさや閉塞感が様々な観点から解きほぐされていて、非常に興味深く読ませてもらった。万人に受けるかどうかは別として、私的にはかなりの好著だと思います。
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お門違い
引きこもりとゆう現代日本の底辺にどっかり居座る社会現象に積極的に取組み 発信している精神科医の斎藤環の発言のなかで 日本社会でダイアローグの確立を目指すとの言葉が気になりその方法論の一端が見られるかなと思い購入した。またうつ病体験者の少壮の人文系研究者との対談で小林秀雄賞の作品とゆう触れ込みもあり 内容もそれなりにあるはずとの思いも少なからずあった。 が・・さら読みした読後感はわずかな期待も裏切る内容の著作としか言いようもないものでした。 うつ病社会の処方箋も心を病んだらいけないの?も小林秀雄賞受賞も全て的外れでお門違い 週刊誌の誇大広告の類の業界自作自演の賞ではないかと思うほどの薄ーい小林秀雄賞受賞作品に 小林さんの「いい加減にしろ」が聞こえてくるようでした。 この本がつまらないクズ本になった問題の大半は一方の対話者の与那覇氏の大学教育の中で身についた ステレオタイプな知識習得量の膨大な解釈リンクの提示にある事に間違いはない。 一方の斎藤氏は見当違いをあからさまに否定しない態度にあえて終始し、優れた反証事例を示すレベルまでにも至らなかったのは結果的にどっちもどっちの無責任仕業と言えるだろう。 特に与那覇氏には知識の鎧を捨ててもっと素直な心でまず自己を見つめ次に社会を見つめる 事を切にお勧めする。
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人間に心があると思うのがそもそもの勘違いです、でもたとえ勘違いでも、その苦しさだけは否定しようのないリアルな錯覚なのであきらめましょう
いい本だとは思う。 特に與那覇氏は、かなり真摯に思考する人なのだな、という印象を持った。 ただ、どうにも引っかかってしまったのがお二方の「AI」に対する態度だろうか。 「シンギュラリティを信じる」とか「AIの限界」とか、どうにもAIの進歩に対して楽観主義的過ぎて、これで大丈夫なのだろうか。 彼らは大規模言語モデルが「本質的にはことばの意味を理解していない」ことを、AIが人間を凌駕できない決定的な理由のように捉えておられる様子だが、むしろ話は全く逆である。 AI研究が、「ことばの意味を理解する」という目標を放棄した結果、逆に今のChatGPTのような高性能なAIが誕生していることが人間存在に対する本質的な脅威なのである。 なぜなら、もしそんな「表層を真似ているだけ」のAIが人間と見分けのつかない会話を生成できるようになったら、それは「対話に意味は要らない」ということの傍証になってしまうからだ。 というより、人間は「言葉で思考している」とはいうが、それが「厖大なコーパスから、それらしい自然な会話になるように、確率論的に尤もな言葉の羅列を並べること」と同じということになってしまうのだ。 こんな残酷な現実を見せつけられて、「諦めない」でいられる知的存在がいるだろうか。 本書ではあの数学の天才、イアン・チューリングが話題として登場するが、そのチューリングが考案した「チューリング・テスト」が、おそらく人間とAIを弁別しうる最初にして最後の「牙城」なのである。 その牙城が崩れつつあるのがこの2025年なのであって、本書の対話がなされた2019年当時とて、AIをそんな小馬鹿にしていられるほど性能が低かったかどうか、非常に気になる次第である。
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