作品情報
去りゆく大正の時間を、文士たちの青春とともに書き留める。
芥川龍之介、菊池寛、小島政二郎を思わせる作家たちをモデルに、大正期の文壇と青春の終わりを日録の形式でたどる長篇。華やぎと翳りが同居する時代の空気を、久世光彦らしい哀惜と美意識で描く。 去りゆく大正の時間を、文士たちの青春とともに書き留める。
レビュー要約
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文壇小説としての端正さと、時代の終わりを惜しむ情感が読まれている。人物造形の典雅さを好む声がある一方、ゆっくりした語りを味わう読書を求める作品でもある。
書籍情報
- 出版社
- 中央公論新社
- 発売日
- 2001-05-01
- ページ数
- 379ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784120031441
- ISBN-10
- 4120031446
- 価格
- 3150 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
第29回(2001年) 泉鏡花文学賞受賞
レビュー
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大正昭和文学好きにはたまらない
誰の家でも昔にはあるだろうけど、ぶっとい文学全集。うちにもあり、誰が読むんだろう的な飾りに近かった。誰がこんなの読むの?読みにくいし、あ、俺か、と無理して読む。ようになった、中学生くらいから。思えばそんときは苦手な数学独習中で、やりたくなかっただけかも。全集はたいてい年代順で昭和中期くらいにくればかなり読みやすくなっております。坪内逍遥など明治の頃の最初辺りのものは漢文調なので、眺めているだけでしたが、素読、というものはそう言うやり方のようです。前置きが長くなりましたが、親戚のでかい寺でも、昭和文学とか並んでいて、自分が読むので珍しがられましたが、学校の成績はさしてよくないコだったので尊敬されませんでした。しかし当然国語だけは鬼強い子供でした。数学が時折零点追試で国語だけは全国模試にランクインする、(ちょっと最近の学生だったら高校卒業できんかったかも) あんまりそう言う子居ないから、人より国語だけはできたのですが、 だから話す相手居ない。昭和文学全集なんか読んでる人居なかった。(居たとしても、そんな人は人にそんなこと言わない、秘密の愉しみなのだ)この本は、けして一人でなくて、そういう人はちゃんと居て しかもかなり細かいニュアンスまで分かって、昭和文学の世界を分析、換骨奪胎して甘い蜜を楽しんでいる。この本の秘密な愉しさは、 まるで古株のとても面白い初老の国語の先生や、(彦摩呂?)先生、言ってることわかります。ヒダまで味わえます。やりたいことも解ります。解釈をしつつ、去りゆく世界の哀悼の連続のような なんか、美しいです。と、故久世光彦先生に心で話しかけたいです。
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愉快!
何とも個性的でユーモラスな作家たちの群像が、少女の目を通して語られますね!愉快です
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題材はいいのに…
「大人の男たちは九鬼さんの〈アトモスフェア〉を、知性だとか教養だとか、兎角難しく意味ありげに考えたがるが、女には一目でわかる。何のことはない、それは〈色気〉なのだ。――この世でいちばん上座に座るのは、文学よりもマルキシズムよりも、〈色気〉だとあたしは思う。」 この「あたし」なる本書の語り手の「女」はいったい何歳か?――なんとわずか5歳である。「アトモスフェア」という英単語どころか「マルキシズム」すら識っており、「色気」の何たるかも心得ている5歳の「女」。かかる著しくリアリティを欠いた馬鹿馬鹿しい設定に興醒めすることのない神経の持ち主だけが本書を読み通すことができる。 著者はどうやら、『吾輩は猫である』では「猫」が語り手であるくらいなのだから、5歳の少女が大人の女同然に語っても構うまい、と極めて短絡的に考えてしまったようだが、それでは近代小説におけるリアリズムに関して何にも考えていないことを露呈しただけである。
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『一九三四年冬―乱歩』と並ぶ傑作
久世さんは本当に芥川が好きだったんですね。 『一九三四年冬・・・・乱歩』と並ぶ、久世さんの傑作だと思います。 悲劇の予感に内心怯えながら、あえておどけたように振る舞う登場人物たちの悲しみ。愛しさ。 三島由紀夫少年の存在が微笑を誘います。 未読の久世ファンは必読でしょう。
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小島政二郎の『芥川龍之介』も合わせてクリックして買ってしまいましょう!
私は今、このレヴューを書いているわけですが、紹介者がアマゾンで本をレヴューする、その程度を問われてしまう本がこれです。 講談社より出版されている文芸文庫に『芥川龍之介』(著者:小島政二郎、(島田清次郎じゃありませんよ!))という本があります。今このレヴューをご覧になられているあなたは、『蕭々館日録』にご興味をお持ちなのでしょう、が、でしたらその小島政二郎の本とこの『蕭々館日録』を合わせてクリックして買ってしまいましょう! よいしょで言うわけではありませんが、それこそアマゾンで本を購入する、ネットで検索して本を購入する醍醐味です。 この『蕭々館日録』で展開されるのは、小島政二郎の娘の視線にたくされた、著者:久世光彦の芥川への興味と情熱です。それがすごすぎて内容は知識の洪水となっていて、展開が整理されてません。 私はいまだにこの本の半ばまでしか読んだことがなく、結末をいまだに知らないのですが、それで十分です。美しい部分を引用しなさい、あるいはあるいは…、美しかろうが、素晴らしかろうが、とにかく引用すべき部分が多すぎて、逆にどこでも引用すべき部分となってしまうので提示が不可能です。 あえて言えばp34の“あたしにはわかる。九鬼さんを好きになる女の気持ちが、よくわかる。父さまの言う通り、あの憂い顔と、暗い目と、女の子みたいな長い睫毛と、細くてしなやかな指があの冷たい文章を書くと思うと、お腹のそこからゾクッとするのだ…” 女が男の指を見つめ、その指先から筆跡を創造しているような箇所です。ここを理解するための副読本としては、新潮日本文学アルバムの『芥川龍之介』がいいと思います。 どうせなので、アマゾンにていっぺんに三冊クリックしてはいかがでしょうか? 楽しみは三倍ではなく、三乗となるのですから!
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甘い甘い風が吹く
ねっとりと甘い香りが漂ってくる。五歳の女の子の清らかさと淫猥な匂いが交じり合う、清らかでエロティックな世界、小説でなければこの世にありえない世界がここにあるのです。そして読者は、芥川さんに恋をする。恋をせずにはいられない。清らかで切なくて、甘い香りにひたされる、そんな幸福を味わいたい人は、この本を手にとって見てください。
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気持ちいい
麗子の口を借りて、「久世さんならでは」の文章が気持ちの良い作品です。私がこの作品に一番感じるものは、当時の気だるくふわふわとした空気です。だから、読むたびに心地良い。毎度のことながら、出てくる小物も奥ゆかしく匂い立つようです。久世さんの作品は、扱う素材自体に美があるので、大好きです。 芥川、菊池、三島などが登場人物なので、彼等が好きな人達は、妙に懐かしく、身近に感じられます。私は芥川や菊池はあまり好きではないのですが、この作品のなかでは、みんな色っぽく見えます。
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夢見るような懐かしさ
すでに投稿されているレビューが短いながらもすばらしいのでこれ以上書くことがないくらいですが、さらに本郷・上野あたりになじみのある人が読めば、懐古趣味的な演出でなんともいえない懐かしさに胸が鳴ります。
関連する文学賞
- 泉鏡花文学賞 第29回(2001年) ・受賞