日本の文学賞

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魯肉飯のさえずり (単行本)

織田作之助賞 大賞・旧新人賞

魯肉飯のさえずり (単行本)

温又柔

台湾と日本のあいだで揺れる家族の記憶と、結婚生活の痛みを通して、押し込められてきた声が立ち上がる長編小説。

台湾家族結婚母娘記憶アイデンティティ

作品情報

母の記憶と結婚の痛みが重なり、押し殺してきた声が少しずつかたちを持つ。

中央公論新社から刊行された長編小説。台湾にルーツを持つ主人公が、結婚生活の違和感と家族の記憶をたどりながら、自分の輪郭を取り戻していく。

書籍情報

出版社
中央公論新社
発売日
2020-08-20
ページ数
267ページ
言語
日本語
サイズ
13.9 x 2.2 x 19.7 cm
ISBN-13
9784120053276
ISBN-10
412005327X
価格
1680 JPY
カテゴリ
本/文学・評論

母は、わたしの恥部だった―― 申し分のない夫・聖司と結婚し、〈ふつう〉の幸せになじもうとするも、にわかに体と心は夫を拒み、性の繋がりも歪になっていく――密かに声を殺して生きた子ども時代の〈傷〉に気づくとき、台湾の祖母、叔母、そして異国に渡った母の一生が心を揺らす。 夫と妻、親と子それぞれの〈過ち〉を見つめる心温まる長編小説

温又柔 1980年、台湾・台北市生まれ。3歳の時に家族と東京に引っ越し、台湾語混じりの中国語を話す両親のもとで育つ。2009年「好去好来歌」ですばる文学賞佳作を受賞。15年『台湾生まれ 日本語育ち』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞、17年『真ん中の子どもたち』で芥川賞候補となった。その他の著書に『来福の家』『空港時光』、エッセイ集『「国語」から旅立って』などがある。

レビュー

  • 名作!

    マイノリティーとしての視点から書かれた小説なのだが、台湾人の作家が原語で書いて日本語に翻訳されたものとは違う、日本に長く暮らした台湾人作家の作品。柏木に対する視点は、多くのマイノリティーが日本人に対して持つものだと思う。また、その家族の圧も日本古来のものだ。ただ、それは台湾も同じで、一族繁栄を重視するアジアでは一般的なことかもしれない。家族のかかわり方が薄くなる一方の現代にあって、旧習と戦う主人公は、仮に日本人であっても、現代日本ではよくある話で、可哀想というより困ったものだと思う。最終盤に次の恋が描かれるが、人間としての場数を踏んでいない桃香にとっては、結婚はまだ先にすべきだと多くの読者は思うだろう。

  • 母娘の物語であり、かつ鋭い社会批評でもある。

    日本人と結婚し日本で長く暮らす母・秀雪(台湾名)/雪穂(日本名)と、その娘・桃嘉の葛藤と相互理解が、章ごとに視点を変えて描かれる。 桃嘉が夫との関係に悩むところは、他の夫婦でもありうるように思ったけれど、雪穂の母親としての体験や思いは固有性が高く、雪穂の物語の方に心ひかれた。 私は読んでいる間、母と娘の物語としか受けとめなかったけれど、渡邊英理の解説の 「ふたりが傷つき、娘が母を、母が娘を思わず傷つけあってしまうのは、日本社会が及ぼす同化と排除の圧力ゆえである。(p.289)」 「秀雪/雪穂と桃嘉の苦境は、ふたりが暮らす当の社会がはらみもつ排他性、それと表裏の同質的な傾向から生じているものだ。(p.290)」 という箇所に愕然とする。そうなのである。もし日本社会がより多様性の高い社会であったならば、中国語/台湾語まじりの雪穂の日本語も周囲から奇異の目で見られることがそもそも無く、桃嘉もそれを恥ずかしいと感じることはなかっただろう。 そうか、本書は家族の物語のように見えながら鋭い社会批評でもあったのかと思う。それでもなお、桃嘉の中学入試の面接やその後の母娘のやり取りは胸を打つ。 桃嘉の夫の描写を読んで「あ、これは一歩間違えれば、(別の本にプロトタイプが出ていた)ストーカー夫/前夫になるなー」と思う。「どんなに立派そうにしていても、あなたのことを大きな声で脅したり、叩いたり殴ったりすることで従わせようとする男のひとを好きになったらだめよ(p.233)」という秀雪の母のことばはまったくと思う。

  • なんてこと無いが、ふんわりと暖かくなる

    でも不思議に引き込まれてしまう。 それは多分、書き手の一途さが伝わってくるからだろう。 ストーリーは、日本人の父と台湾人の母の子である桃嘉が、出自のことを含め悩みながら成長していく物語。 展開は、桃嘉と母である雪穂で交互に章立てて一人称形式で進んでいく。 桃嘉の日本語をうまく話せない母への疎ましさ、特に多感な少女期にそんな母を世間へ恥ずかしく思う気持ちは身につまされる。 例え母が外国人でなくとも、親を恥ずかしく思う時期は誰しも経験あるのではなかろうか。 その母親が欧米人(白人)でなく台湾人というのであればなおさらであろう。 「なぜ、ママは普通の人ではないの?」、残酷な言葉だ。 一方、雪穂は盲目的に桃嘉を愛する。 桃嘉は夫との離婚を前に親友と台湾へ行き叔母たちと楽しいひとときを過ごし、そして母の母国の台湾を見つめる。 離婚を決意したのも母の愛あふれる言葉だ。日本語が不自由なゆえに響くものがある。 表題の魯肉飯というのは、よくわからないが、その料理を囲みながら台湾の叔母たちと食事をする風景が良い。 台湾をこよなく愛している筆者の気持ちが伝わって、読むものの心を暖かくしてくれる。 作者が何を言わんとしているか、などはどうでも良いような気になってきた。 今の鬱屈している世情では一服の清涼剤かもしれない。

  • 両親でも夫婦でも、さりげない言動が他人を傷つける

    たどたどしい日本語を話す台湾人・母と、日本育ちの娘の物語。母が自分の思いを日本語でうまく説明できず、もどかしい思いをするシーンが印象的。言葉は足りなくても、母と娘のお互いが歩み寄っていく姿勢が素敵でした。 ただ、はっきり心の内を言い出さない主人公の娘にモヤモヤする。

  • 日本文学の枠に抵抗する軽快な文学

    『魯肉飯のさえずり』には、読む喜びがある。フェミニズム文学と読むこともできるが、それ以上に私が惹かれたのは、一人の女性の自立の過程に、日本語、台湾語、中国語の重なりが、日本と台湾の近代史を背景として迫ってくる点だ。これ文学の自立そのものの問題提起だ。 台湾人である桃嘉の母雪穂は、桃嘉に伝えたいことばを日本語で必死に探す。こうした行為こそ文学的だ。なぜならことばはそのままは伝わらないからだ。 韓国の作家キム・ヨンスの文学観の中心にある、投げかける言葉は、相手との間に横たわる深淵に落ちていく、という観点こそ真実だと思う。深淵に落ちて落ちて積み重なる言葉の束が文学なのだと。 雪穂が感じたように、発音も、文法も、不正確な中国語を話す茂吉の声に、言葉になる以前のかれの気持ちが伝わってくるということもある。 桃嘉はことばの通じる優しい男を選んでしまったが、わかりやすさは難敵だ。だから雪穂の母が言うように、ことばがつうじるからといって、なにもかもわかりあえるわけではない。 桃嘉が、台湾語混じりに中国語で語らう伯母たちに安らぎを感じ、そのことばを理解しようと努力するようになる方向性が、彼女を自立へと向かわせたに違いない。 温又柔の良さは政治的に民族主義が頭を持ち上げないところだ。あくまでも文学で立ち向かっている。宮本さんにはわからないだろう

  • 気持ちに寄り添う大切さ

    気持ちに寄り添って支えていくのは大変な事です。「プイプイになっちゃう」「ローバプン!ローバプン!」なって素敵な言葉でしょうと涙が出ました。

  • 最後はほっこりしました。

    切なくて、なかなか読みすすめられず、読み終えるのに時間がかかってしまいました。購入して良かったです。

  • こんな女の子もいますねえ

    本当に普通の女の子が、なんとなく結婚してしまって、いざその現実に悩んでしまう、こんなことは本当によくあるんでしょうね。みんな、そんな時代をなんとか乗り越えてきたんでしょうが、今は我慢するよりも離婚してやり直そうという方が早いのかもしれない。それはそれで悪くはないと思います。桃嘉のような女の子、というか若者もそれなりの人生を生きていくだろうし、やがて時が経てば雪穂のように強くなれるかもしれない。そう、雪穂さんの強さが印象的です。そして茂吉さんの描かれ方は、理想的な夫であり父親です。シチュエーションに甘さがたっぷりですが、ちょっとホロリとさせられるところが気に入りました。多国籍の人々が入り混じる現代、読んでおいたら、ちょっと自分の生き方にも変化があるかも。

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