作品情報
虚人たちは、筒井康隆の受賞歴を代表する作品の一つ。
虚人たちは筒井康隆の受賞作。単行本または作品集として確認できた識別子のみを記録し、確認できない場合は未確認のまま扱う。
書籍情報
- 出版社
- 中央公論新社
- 発売日
- 1998-02-18
- ページ数
- 293ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 10.5 x 1.7 x 14.8 cm
- ISBN-13
- 9784122030596
- ISBN-10
- 4122030595
- 価格
- 134 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
第9回(1981年) 泉鏡花文学賞受賞
レビュー
-
4時間30位の時間つぶしの一冊を探す誰かへ
"今のところまだ何でもない彼は何もしていない。何もしていないことをしているという言いまわしを除いて何もしていない"虚構の存在である事を自覚する主人公により、1ページ1分としてリアルタイムで時間が進んでゆく本書は表現手法が何層にもわたって実験されていて驚かされる。 個人的には、従来の起承転結的な物語に慣れている読者ほど、理解不可能ではないか?と心配にすらなったが【あくまで虚構である】と著者視点を意識して眺めると、突然割り込んでくるようなギャグ風のキャラ、そして物語としては後味の悪い結末も受け止められるのではないか。とも思った。 幻想的、実験的な小説を読みたい誰か、あるいは4時間30位の時間つぶしの一冊を探す誰かにオススメ。
-
発想の勝利
さすが筒井先生。 発想が凡人の斜め上。 それを読ませる筆力。 オススメです。
-
"虚構性"と人間心理の"不確かさ"を究極まで追求した独創的な傑作
常に小説の"虚構性"を強調し、表現技巧に工夫を凝らす筒井が新しい挑戦を試みた意欲作。小説の"お約束"を全て放棄してしまうと言う破天荒な実験作だ。 一応、妻と娘を誘拐され、誘拐犯に昏倒させられた主人公が目を醒ます所から物語が始まるのだが、物語の進行が尋常ではない。「不確定性至上主義」を標榜する主人公の意識の絶え間ない流れの描写だけで話が進むのだ。まるでビデオカメラで主人公の頭の中を映し出しているよう。そして、その像は恐らく虚像なのだ。登場人物どうしの確かな関係や会話で意志を疎通し合うとか、リアルな風景描写をするとかの通常の小説作法は主人公(=作者)の頭にはない。「小説の登場人物やその言動はその物語の中では"現実"である」と言う前提を端から否定する。主人公が構築する虚空の世界が全てで、その中で主人公にとっては時間・空間的制約はなく、しかも主人公の思考・視点は「不確定」なのだ。冒頭の誘拐劇も真実か否か不明である。本作の内容は主人公が昏倒している間の無意識の世界かも知れない。そして、筒井の実験小説で良く見られる読点を使用しない計算された文体。ここまで通常の小説の"お約束"を破れるのかと感心する。誘拐事件を放っておいて、主人公が時と場所を越えて、取引先の会社を訪れたり、行きずりの男の妻の家を訪れたり、自身の会社を訪れたりするのも違和感がない。他の登場人物も各々の世界を持っているらしいが、主人公の世界では飽くまで虚像である。小説における"現実性"を徹底的に排除した"(虚像としての)自我の世界"である。実験作でありながらスリルやある種の怖さを味あわせる展開も見事。いつもの言葉遊びも健在である。 小説中の"現実性"を無謬に信じる一般の小説の"お約束"を嘲笑い、小説における"虚構性"と人間心理の"不確かさ"を究極まで追求した独創性溢れる傑作。
-
最も成功したメタフィクションの一つ
僕は筒井康隆氏の愛読者ではないのだが、氏の果敢なチャレンジ精神には驚かされる事が多い。『読者罵倒』という短編は最高だったし、『大いなる助走』で唇の厚い大作家!(無論M氏ですなW)の揶揄を中心としたドタバタ劇も楽しい。そして筒井氏がチャレンジした純文学はこのメタフィクションだった。メタフィクションは下手すると自己言及と虚構性だけを強調して結局はなにも表現できずに終わってしまう事が散見されるが、この本はモノクロームのトーンの中で筒井氏の緻密かつ豊富な語彙によって最後まで枯れる事なく描かれる。この設定でいくと大抵は途中で失速するものだが筒井氏の類まれな文章力は見事なものだ。そしてこの不穏な世界は存在の虚無と不安が見事に表現されている。最近は本当に筒井氏の小説を読まなくなってしまっているのだが、過去作を色々と読んでみたい。蛇足:この小説を読んで久々にカート・ヴォネガットの『チャンピオンたちの朝食』を読み返したくなった。
-
設定をよ~く理解すれば面白さ10000倍増!
30年前、20代後半で挑んだときは最初の1ページで離脱し、 おかげでそれ以後筒井作品とはすっかり縁遠くなってしまっていた。 それが、ちょっとしたきっかけがあってこのたび再挑戦。 なにせ読点はないし描写は執拗だしでヒッジョーに難解。 冒頭の金網製品製造業の親父が出てくる場面で 早々に白旗を上げそうになったが、懸命にがまん?して読み進めるうち、 作者の意図というか、本作の設定がおぼろげながら掴めてきた。 ■主人公は突然本作の主役に抜擢され、何がなんだかわからない状況に放り込まれた。 ■しかもこの主人公は自分が小説という虚構内に存在することを自覚している。 ■物語の展開と現実の時間との同一化は作家の手を離れて主人公に委ねられている。 ■主人公は主人公たる自分がいかに物語を展開させていくかのみに腐心している。 ■虚構ならではの省略をよしとせず、主人公はとにかく考え、描写し、そのすべてを文章化する。 とはいえ1度目はついついストーリーを追うことに終始して読了。 そこで解説を熟読し、上記の設定を踏まえて再度読み始めると、1度目とは段違い平行棒の面白さ。 とても楽しく読み終えた今、主人公役を見事に演じきってくれた「彼」を、お疲れさまと労いたい。 一般の小説とはあまりに異なる分だけ、かなり濃厚な中毒性を含有する作品世界。 3度目の埋没が今から楽しみだ。
-
うーん
筒井康隆、短編はめちゃくちゃ評価しています。 この小説、やりたいことはよくわかる。登場人物が虚構の中にいるという大前提、作家が無視しなければならない大前提を無視した、大胆な作品。 なんだけど、それだったらもっと他にやりようがあったんじゃないのだろうか、と思った。 とにかく、僕は読むことを放棄せざるをえなかった。
-
小説界の現代アートである。
読了:2017年91冊(7月11冊)★3.2 『虚人たち (中公文庫)』1998/2/1、筒井 康隆 (著) なんじゃこりゃ。全く理解できない(多分読者に理解を求めていない?)。筒井康孝と言えば、関西ではよくテレビで見るし、アニメ『パプリカ』は世界的にも評価されていて私も大好きな作品だ。そんな筒井氏の泉鏡花賞受賞作品。評価した側もかなり挑戦的である。これをどのような立ち位置で評価したのであろうか?選考した人たちの意見を聞いてみたい。 本書は、冒頭から意味不明である。笑えばいいのか、高尚過ぎるのかも判断が全くできない。会話内容は意味不明(時空を超えて会話していることもしばしば)、時間軸もコロコロ変わるし、場所も何の前触れもなく変わる。そして、部長は変態すぎる。どの登場人物も虚人過ぎるし、これを読んだ人もきっと虚人になるだろう。1ページですらなんのこっちゃ全く分からないからだ。これは、筒井氏による小説という概念へのアンチテーゼ、挑戦なのだろうか。小説界の現代アートである。 ───今のところまだ何でもない彼は何もしていない。何もしていないことをしているという言い回しをのぞいて何もしていない。(p.7)本書書き出し部分
-
とんがり続ける筒井の超実験作
70を過ぎてライトノベルに進出。ネットがまだ一般的でなかった頃に双方向性小説を執筆。等々過激な創作を続ける小説家筒井康隆が純文学の世界に殴り込みをかけたこの作品。主人公の意識に合わせて1分間=原稿用紙1枚というペースで描写しているから意識がない間はページが真っ白!「ふざけるな」と怒り出す人もいるでしょうね(笑)結構難解なので巻末の解説やエッセイ集『着想の技術』に目を通してから読んだ方がいいと思います。はっきり言って筒井作品初心者にはお勧めできません(笑)でも筒井毒者にはたまらない逸品です。
関連する文学賞
- 泉鏡花文学賞 第9回(1981年) ・受賞