やちまた(上) (中公文庫 あ 17-2)
本居春庭を軸に、国学と近世日本語研究の世界をたどる評伝的作品。失われがちな学問の営みを人物の生き方として描き、文学と研究史の間に橋をかけた大作である。
作品情報
『やちまた』は、足立巻一の表現を受賞作として伝える作品です。
本居春庭を軸に、国学と近世日本語研究の世界をたどる評伝的作品。失われがちな学問の営みを人物の生き方として描き、文学と研究史の間に橋をかけた大作である。
書籍情報
- 出版社
- 中央公論新社
- 発売日
- 2015-03-20
- ページ数
- 509ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784122060975
- ISBN-10
- 4122060974
- 価格
- 1320 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
宣長の長男で、日本語の動詞活用を研究、『詞八衢』を著し国語学史上に不滅の業績を残した本居春庭。盲目の文法学者の生涯を辿る傑作評伝。芸術選奨文部大臣賞受賞作。
レビュー
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良品、早い
早い配送、良品
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春庭に対する著者の執念を感じます!
著者足立巻一の執念は、春庭に向けられていますが、鈴門の全体像も浮き彫りにされています。読めば圧倒的な充足感に満たされます。
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労作ではある。取り留めのないところが難点か
〇 次の3つの物語が同時並行で進む。 1)本居宣長・春庭父子を中心としたファミリー・ヒストリー 2)著者の専門学校入学以降の半生記 3)春庭の著書である「詞のやちまた」の成立経緯の探究 〇 上巻を読み終えた時点での感想である。この本を読んで良かったと思うことは幾つかある。第一に、江戸時代に言葉の働き(文法)に魅せられてこれを考究した人が全国各地に存在したという事実は意外であり新鮮だった。江戸時代の人々の知的活動の幅広さと奥の深さを思い知る。第二に、本居宣長とその家族について身近に感じるようになった、第三に、著者が学生時代を過ごした戦前の雰囲気と松阪という町の様子を知り得たことも悪くない。いつか松阪を訪ねてみようと思った。 〇 他方、不満もある。第一に、「詞のやちまた」の成立経緯の探究がどこまで進んでいるのか読んでいてもよくわからない。いつも同じような話を繰り返しているようで進みもしないし深まりもしないように感じた。第二に、春庭の時代の国語学(文法)研究の内容について詳細に説明されているようなのだが、実はあまり具体的説明がなく、当時の国学者列伝のようになっていること、である。 〇 総じて言えば、著者の情熱が感じられてなおかつ客観的かつ冷静な記述に終始する評伝で、品格すら感じる。そうした意味でとても良心的なのだが、国学と国語学が好きな人が読めばそれでよいとも思う。上巻を終えて少々読み疲れた。このようにあまり万人に勧められるものではないという理由でとりあえず星は3つ。気を取り直して下巻に進もう。
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遅々として進まない中身
文体がどうにも体に合わず。中身も遅々として進まない。作者と絡ませて書いているが、お前のことより、本居息子のことが知りたいんだよ~! 途中で挫折。上下共に売っぱらいます。すまぬ。
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国語学史を学ぶ上で必読、読み物としてもスリリングで楽しい
小説的自伝パートと現代的な調査パートとが入り乱れて、ふわふわとした高揚感の中で国語学史をめぐる戦前戦後のスリリングな展開を楽しむことができます。本居宣長に触れているにも拘わらず谷川士清に関する言及が脆弱など、もちろん拡充してしかるべき点もあるが、学術的にも多くの知見にあふれている。一般向けの読み物としても大変面白い。(上下巻含むレビューです。)
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素晴らしい本です
評伝と批評と自叙伝に加えて推理小説的要素が混然一体となった、国学と国語学の歴史を学べる素晴らしい本です。 もっと早く出会っていればと思います。 上巻は、平田篤胤の人物論評が秀逸だと思います。 もともと本居宣長の思想に多大な興味をもっていたので、この書をきっかけに詞のやちまたの世界に踏み入ろうと決意しました。
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一生に一度だけ書ける作品
こうした作品に出会えた幸運を喜びました。 国語学史から見た場合、素人風に見えるかもしれませんが、そのような議論は吹き飛ばせるだけの自伝風評論であり、学問に憧れる人間の真実に触れた思いは、貴重な読書経験でした。作者の周囲に現れる方々も著者と同様誠実な性格の方々で穏やかな良き日本人ばかりで、羨ましい限りです。すでに二回連続して読了しました。 そうした誠実で実直な生活をそのまま生きられず時代の変動に翻弄され、不幸に遭遇し、それでも真っ当に生きようとする群像への温かい眼差しは、学問に対する真摯さの表れですね。下巻になるのですが、恩師上田万年教授の「国語学史」の講義ノートを自分の著作として出版して、恥じるところを知らない保科孝一教授についてサラリと触れていて、告発臭がまったくなく人生模様の一コマとして書き流している箇所はさすがでした。 保科は、文部省国語課主任として、あの悪名高い国語審議会に君臨して、時枝誠記博士が「文化破壊」と呼んだ国語破壊を主導した「かな文字論者」です。戦後のドサクサに紛れて、「当用漢字」を作り、今にも続く漢字制限、漢字表記の破壊を強行し、論理的だったかつての仮名遣いを「現代仮名遣い」としてメチャクチャにした張本人です。福田恆存氏が「私の国語教室」を書いて国語審議会を批判し、丸谷才一氏も「日本語の世界16」で”国語改革を批判する”として、この保科孝一の悪行を後世に伝えています。足立氏はこうした忌まわしい官僚学者に敢えて触れず、善意で信頼できる人々の群像だけをを描きたかったのでしょう。(これを書き始めると現代に通じる文部官僚のゲス加減・品性下劣さに触れないといけないので筆が汚れると思ったのかもしれませんね) 本題の本居宣長の長男/春庭が本書のテーマですが、その学問の成果自体の詳細に踏み込むことないため、物足りないとする所謂識者の評価もあるようですが、本書は、盲目になった春庭を支える父・義兄・弟・妹・嫁・門弟たちの周囲の献身と誠意を描き、著者自身の人生航路を重ね合わせて描いた極めてユニークな、つまり評伝とも記録とも随筆とも分類できない(分類する必要もない)特異な文学作品です。
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本居春庭の学問的業績と、その周辺の人々への深い共感
本書の内容は「商品の説明」のとおりです。著者・足立は本居春庭(はるにわ)の『詞の八衢(ことばのやちまた)』成立の過程を、当時の通説にとらわれずに独自の観点から実証しようとします。そして四十年を費やし、春庭たちの手になる単語カードなどの元資料を基に、ついには納得のいく結論を見いだすその過程が本書上・下二巻全体の流れです。上巻は第一章から第十章まで、すなわち著者学生時代の『詞の八衢』との出会いから、国学者・平田篤胤についてまでです。宣長の葬儀の様子から始まり、春庭の眼疾悪化を巡る宣長の懊悩、宣長自身の国学研究、そして鈴木、富士谷ら当時の語学者たちの文法研究などが取り上げられています。なお、以下のレビューは本書の上・下巻を通じてのものです。 この評伝の真の主人公は、あるいは、過ぎゆく時の流れなのかもしれないーこれが読後の正直な第一印象でした。もちろん本居宣長の長男、盲目の文法(とくに日本語の動詞活用)研究者であった春庭がこの評伝の主人公であり、彼の学問的業績の依ってきたる源を、著者の足立が徹底して追究していく様子が本書の眼目であることは言うまでもありません。その書きぶりですが、春庭の真摯な学究姿勢とあたかも並行しているようにさえ感じられます。 同時に、この評伝に生き生きとした彩りを添えているのは、宣長や春庭など本居家の人々の生活ぶりなどを描きながら、それと並行しつつ、足立自身の青春時代(神宮皇學館時代での生活ぶり)における師友の交わりから、第二次世界対戦時の応召(中国大陸)を経て後、新聞社勤務やテレビ局での仕事に携わった中年以後も春庭の文法研究の独自性を粘り強く追究していく己の姿も描きだしていることです。その結果、本書はいわば「重なり合った評伝」になったともいえます。 加えて、読む者の心を打つのは、盲目の春庭の研究をあたかも共同執筆者のごとくに支えた周辺の人物、とくに妹の美濃や妻の壱岐に向けられた著者の温かいまなざしです。一例を挙げます。足立は、下巻の第二十章(河出書房新社刊では371ページ以降)で、こう記しています。「追悼歌集のうちで、もっとも深くわたしの心に沁んだのは、妻壱岐の詠である。 飛鳥河あすのわが身も知らでたゞかへらぬ浪をしのぶはかなさ 最初の追悼歌であるが、かえらぬ亡夫を慕うさびしさはやさしく波打っている。(中略)結婚の直前には舅宣長から物書きが十分ではないと不満をもらされた壱岐ではあったけれど、三十年におよぶ春庭との結婚生活のなかでいつしか一個の歌人として成長し、(中略)それには美濃、ことに夫の指導が大きかったであろう。それだけに夫をしのぶ歌は、ことに胸を打つものとなっている。」 単に春庭一個人の評伝に止まることなく、春庭没後の本居一族や、さらには学問上の弟子たちの様子にもこまかい目配りをしています。また、思いもかけず突然出現した『詞の八衢』に関する新資料を前にしたおりの著者の驚き、そして酷暑の中での資料確認の苦労から本居宣長記念館(松阪市)の設立までと、その筆は広範囲に及んでいます。その結果、著者学生時代の講義がきっかけとなった春庭との邂逅から始まり、まさに四十年近くに及ぶ年月がこの大冊を覆うこととなりました。その間の師友との出会いと別れも、読む者の心に染み入ります。 天明から文化文政時代にかけての国語学の研究状況にも目配りを怠ることなく、学問というものの有り様に思いをはせるものであれば、読者はたとえ国語学専攻でなくても興趣は尽きないことと思われます。今回の(再)復刊を慶賀とする所以です。