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ゼロ年代の想像力

大学読書人大賞

ゼロ年代の想像力

宇野常寛

『ゼロ年代の想像力』は宇野常寛の批評。受賞対象となった作品として、作者の関心が凝縮され、時代や生活の感覚をそれぞれの文体で掘り下げている。

記憶言葉人間関係

作品情報

ゼロ年代の想像力は、短い題名の奥に作者の主題を凝縮した作品である。

ゼロ年代の想像力は、題名が示す中心イメージを手がかりに、人間関係、記憶、社会、または言葉そのものへの問いを展開する。受賞作として評価された焦点は、素材の選び方と表現の密度にある。

レビュー要約

  • 読者は、題材への切り込み方と文体の強さを評価している。専門性の高い作品では、背景知識を求められる点を重く受け止める声もある。

書籍情報

出版社
早川書房
発売日
2008-07-25
ページ数
352ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784152089410
ISBN-10
4152089415
価格
3488 JPY
カテゴリ
本/文学・評論

『DEATH NOTE』、『恋空』、『ALWAYS 三丁目の夕日』、宮藤官九郎、よしながふみ、平成仮面ライダーシリーズ……格差・郊外・ナショナリズム、激震するゼロ年代に生まれた物語たちの想像力は何を描き、生み出してきたのか。時代を更新するサブ・カルチャー批評の決定版。 宮台真司氏推薦 「若い書き手による、単なる「好きなもの擁護」を超えた、時代を切り拓くサブ・カルチャー批評を、僕らは長いあいだ待っていた。それが本書である。政治思想の最先端とも響きあう高度な内容は、その期待に応え得るはずだ。」 ■本書で論じた作品 青山真治/池袋ウエストゲートパーク/犬夜叉/ウォーターボーイズ/ALWAYS 三丁目の夕日/仮面ライダー龍騎/仮面ライダー電王/木皿泉/木更津キャッツアイ/オトナ帝国の逆襲/蹴りたい背中/犬身/恋空/コードギアス/宮藤官九郎/小林よしのり/最終兵器彼女/桜庭一樹/佐藤友哉/戯言シリーズ/下妻物語/女王の教室/ジョゼと虎と魚たち/新世紀エヴァンゲリオン/永遠の仔/すいか/世界の中心で、愛をさけぶ/セクシーボイスアンドロボ/涼宮ハルヒの憂鬱/西洋骨董洋菓子店/DEATH NOTE/電脳コイル/時をかける少女/ドラゴン桜/NANA/野ブタ。をプロデュース/鋼の錬金術師/ハチミツとクローバー/パッチギ!/バトル・ロワイアル/ファウスト/古川日出男/フラガール/冬のソナタ/マンハッタンラブストーリー/松尾スズキ/浜崎あゆみ/メゾン・ド・ヒミコ/よしながふみ/よつばと!/ライフ/らき☆すた/ラスト・フレンズ/リンダリンダリンダ/ONE PIECE

評論家。1978年生。企画ユニット「第二次惑星開発委員会」主宰。批評誌編集長。戦後文学からコミュニケーション論まで、幅広い評論活動を展開する。

レビュー

  • 大変良心的な対応です

    想像以上に良い商品でした。 出品者の誠意に感謝します。

  • 若者に評論の快感を知らせる本

    内容についての同意・反論・概括は 他のレビュアーの方に譲るとして、本書の意義について。 「評論」というものが、人々の生活から思い切り遠い存在になってしまった今、 若い層が「評論的なるもの」に触れる機会は激減した。 文学批評を読もうにも、そもそも「文学」というものが絶対数として少なく、 映画批評を読もうにも、映画評論家は死にかけのジジイ共が安全なサークル内で 仲良し馴れ合い学級会を行っているだけ(のように見える)。 少なくとも、外に向けた言語では綴られていない。 では、今の日本で、体系的批評をしうる素材として 潤沢に「数」が用意されているものは何かと言えば 国産アニメと、TVゲームと、ライトノベルである。 宇野氏は、それらを実際に浴びるように体験した 「中の住人」としての経験値を携えながら、 ちゃんと「外部の言葉」で縦横無尽に体系化していく。 これが、批評だ。 しかも、俎上に上がっている素材は、中学生でも触れられるものばかり。 普段慣れ親しみ愛玩している対象が、オトナの言葉で「規定」された時、 中学生の彼らは、はじめて「批評」というものの意味を知る。 物事に太い輪郭をつけることの快楽を味わうのだ。 若人の批評体験を提供してくれる書として、 その意義を大きく評価して良いと思う。 内容が多少強引なところもあろう、主観に寄り過ぎた決め付けがなくもない。 しかし批評など、思い込みと偏りの産物だ。 むしろ、極論ほど読んでいて面白いものはない。 若人は、偏りの快感を入り口に、言葉と戯れる快感に気づくのだから。

  • 分析は的確だけど・・

    95年から00年以降の時代に対する著者の分析には、堅実というか頷けるものがありました。 しかし家父長的、男性的価値観を「レイプファンタジー」といったレッテルで断ずるように、作品の是非に対する姿勢にはやや一方的な感じがします。 また著者は社会、歴史による個人の認証(平たく言えば社会に認められる=成長)、や父性の復権といった価値観を旧来のものとして、それらを主張する作品に対して、商業的な失敗を以てこれを批判している様に見受けられますが、そうした批判自体「社会的価値観(この場合市場原理)」による「家父長的」な断定なのではないでしょうか? 時代に迎合しない価値観を一種のマイノリティ、とでも言うなら、流れに沿うかどうかで是非論を主張する著者の姿勢に、私は馴染めないものを感じました。

  • サブカルにジェンダーの視点を持ち込んだことを評価

    宮台真司や東浩紀以降の、きちんとしたサブカル評論として、とても興味深く読めました。大塚英志と東浩紀がひたすら「互いの間にある乗り越えられない壁(身も蓋もなく言ってしまえばジェネレーション・ギャップ)」の周りでジタバタする『リアルのゆくえ−−おたくオタクはどう生きるか』も、それなりに「人と人とは言葉でわかりあうことができるのか」というテーマの困難さを見せつけてくれて面白かったのですが、この著者の登場で、「ようやく時代の流れがつながって見えた」感がありました。もともと私自身、大塚英志あたりの世代的・思想的共感がありますので、その流れに齟齬がないという意味で、著者の考え方には賛同できる部分が多くありました。 個人的には、著者の、「グローバルな視点を持とうとする姿勢」には好感が持てました。ここで言うグローバルとは、「特定のジャンルによるバイアスを廃する」という意味です。人は誰でも、自らのアイデンティティによるバイアスから自由になることができません。それは無理がないことだし、全く知らない分野について言及することもできない。したがって、従来のサブカル批評は、圧倒的に男性の書き手が多い(しかいない?)ことから、たいていは「男目線」になってしまっている(ジェンダー・バイアスに自覚的でない)ことが不満でした。「どうして女性のサブカル批評の書き手がなかなか現れないのか」という疑問はさておき、そういった「男性の、男性による、男性のためのサブカル批評」では、この社会を構成する半数は女性であるはずなのに、「今の時代は、今の若者は……」と語られることに対する違和感がつきまといます。 その点、著者は、部分的であるにしても、一応少女マンガや携帯小説にも目を配ろうとし、そこに「セクシュアリティの問題」があることを指摘しています。さらに、サブカルに潜む「肥大した母性の暴力」に触れ、「『母性』のサブカル史が必要」と言う。これは大切な視点だと思います。今日の日本の青少年、特に文字通り少年の精神形成史を考える上で、「過干渉な母親」を無視することはできない。そういう目配りができる点で、著者は江藤淳や大塚英志と同様に評価できると思います。(著者が「セカイ系」の小説やゲームを「女性差別的なレイプ・ファンタジー」と断じていることに対し、「フェミニズム的」などと評価するわけではありません。それが正しいかどうかはよくわからないし、まして「フェミニズム」はそんなに簡単なものではありません。) さらに、「『大きな物語』を失ってしまった今、成熟はいかにして可能か」という問題について、真摯に考える姿勢にも好感が持てました。

  • ひきこもりからサヴァイバルへ

    ドラマやアニメ、ゲーム、コミックといった大衆向けサブカルチャーの変遷をもとに90年代からゼロ年代の流れを紐解く本。大きな物語が機能しなくなったポストモダンの閉塞感、終りのないフラット感を、ゼロ年代のストーリーテラーたちがどう打破しようと試みてきているかを解説してくれる。311以降風景の変わってしまった現在に対しては内容をアップデートしなくてはいけないと思うが、311以前の日本の空気感をロジカルに整理するにはとてもいい本だと思う。

  • 新しい評論家の誕生

    本書は宇野常寛のデビュー作であり、 時代を画する新しい評論家の誕生を決定づけたものとして 後世に記憶されるべき著作である。 2008年の単行本刊行直後からメディアの関心を集め、 御厨貴(「読売新聞」)から福嶋亮大(「新潮」)まで幅広い年代の評者が取り上げ、 好意的な評価をしている。 しかしながら、注目すべきは、多くの評者やメディアが(あえて)ふれていない点にこそある。 それは本書(第1刷)P277の以下の記述である。 《つまりは、小林秀雄「復初の説」に対する江藤淳の批判のような「当事者性の問題」への意識こそが、 「安全に痛い」ものでしかあり得ないものへのアプローチを決定するのだ。》 この箇所は、著者が歴史的なコンテクストを犠牲にしても、 自身の知識と感性のみを武器に突っ走ることができる、無邪気な評論家であることを証している。 いうまでなく、《小林秀雄「復初の説」に対する江藤淳の批判》などというものは存在しない。 「復初の説」は六〇年安保当時、小林秀雄ではなく丸山眞男が行った講演で、 雑誌「世界」に掲載されたもの。 それを江藤淳が評論「『戦後』知識人の破産」(「文藝春秋」)で批判したのだ。 上記の引用箇所を読むかぎり、小林秀雄と丸山眞男を混同するくらい、著者にとって彼らが遠い存在であり、 江藤の論文も歴史的なコンテクストぬきに読まれていることがはっきりとわかる。 もはや小林秀雄も、丸山眞男も、江藤淳も過去の人なのだ! おそらく、ゼロ年代以前には、上記のような誤記をする評論家はいなかっただろうし、 また、いたとしてもすぐに消え去る運命であったにちがいない。 しかしながら、著者はその後もしっかりと生き延び、ますます活躍している。 「劣化コピー」などではなく、これはまさに新しい評論家の誕生である。 未確認だが、増刷あるいは文庫化にあたって 「小林秀雄」は「丸山眞男」に改められているかもしれない。 しかし、上記の箇所にこそ宇野常寛登場の歴史的な意味があるし、 宇野は評論家であるかぎり、デビュー作におけるこの誤植を引き受けるべきだろう。

  • 若い人に読んでほしい

    私自身若く、無知なのが原因なのかは分からないが、とにかく書いてある内容がストレートにハマった。かなりの部分で同意できる。 作品論は特に面白い。 ボリュームもあり、読んで損は無いと思います。良本です。 若い学生にはぜひ読んでほしいと思います。

  • 「〜系」はもうやめようよ。

    「へ〜、なるほど、そう言われてみればそういう気もする」 というのが印象で、社会学というか、こういうサブカルと社会を結びつけて自分の言いたいことを言う人には、みんなそういう印象を受ける。 そう言われてみれば、そうかもしれないが、それって根拠あるの?なにを証拠に?データは?土台は? という湧きあがる疑問には、本書は一切答えてはくれない。 筆者が参照にするのは、批評論壇という一般人にはなんら関わり合いのない狭いにも程がある業界の現在までの批評だけだからだ。 正直、はぁ、そうだったんですか。としか言えない。 大体にして、無理があるのだ。全ての作品をひとくくりにして「〜系」等とカテゴライズして社会を語るなんて。 確かに『エヴァンゲリオン』以降、「セカイ系」というような作品は目立ったような気がした。 それをバカバカしいなぁとも思った。 だけど、実際には「セカイ系」作品だけが世間に氾濫していたわけではない。 それは、一部のアニメとラノベとギャルゲーだけの話だ。 それこそセッマイ批評業界の中ではそれだけが批評されていたのかもしれないが、そんなことは知ったこっちゃない。 『エヴァンゲリオン』と『オウム』に拘泥し、社会も文化も矮小化して語りたい社会学者達だけがそう思っているだけなのだ。 例えば、『スレイヤーズ』は『エヴァンゲリオン』と同じ1995年に始まったライトノベルからアニメ化してヒットを飛ばした先駆的作品である。 フォロワーも多く、最近も新シリーズが放送された。 『エヴァンゲリオン』で綾波役をやった林原めぐみが同作でも主役のリナ・インバースを演じたことからも当時、アニメを観ていた人間には印象が大きい。 他にもメディアミックスで大成功を収めた『天地無用』も90年代の代表作品といっていい。 しかし、この評論で『スレイヤーズ』や『天地無用』が論じられることは一切ない。 なぜなら、この作品が90年代の閉塞した時代感を象徴していないからだ。 社会全体がさも、全て「終わりなき日常」に絶望し、メディア作品も、そんなものしかなかったと言いたいのは宮台真司を中心とする社会学者だけだ。少し視野を広げただけで、そんな作品こそ少なかったということがすぐに露呈するだろう。 それこそ、この著者が言うクドカンのドラマを評価しないサブカル評論家と同じなのだ。 文化は多様だ。特に昨今ほど文化の在り方が多様で様々な価値観が混在する時代はない。 それを「サヴァイヴ系」だか「セカイ系」だか知らないが、そんなもので一つ二つにカテゴライズは到底不可能だ。 評論家ができるのは一つ一つの作品の背景を丁寧に調べ、それを読者に判りやすい形で提示することだけだ。 正直、それができてもいないのに評論家だなんてちゃんちゃらおかしい。悪いけど。 「ブクロサイコー」が宮藤官九朗の考えたセリフでないことも、『木更津キャッツアイ』がガイ・リッチーの『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』と自身の舞台『熊沢パンキース』という暗い作品が基になっているとも、地域に拘っているのはTBSで磯山Pと組む時だけなのも調べれば判ることだ。松尾スズキの舞台は一度でも観たことがあるのだろうか?クドカンを語るのに松尾スズキのことには一切触れない等、正直、評論としては失格だろう。 結局、普通の人が普通に調べても判るようなことを見逃して社会とサブカル評論にかこつけて自分語りをしたいようにしか思えないのだ。 とは言え、ここまで情熱を持って意味が判るようで全く判らない事をこんなに書ける人はそうはいないだろう。 宮台真司といい、頭のいい人は一周回って超バカだということを教えてくれる一冊。

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