作品情報
年の残りは、丸谷才一の表現が受賞時の評価と結びついた作品である。
戦後の時間感覚を背景に、人生の残り時間を意識する人物の内面と日常の陰影を描く小説。丸谷才一の知的で端正な文体が、私的な記憶と時代の空気を重ね合わせる。 賞の文脈では、題材だけでなく、語りの密度や時代への向き合い方が注目される。
レビュー要約
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読者の反応は、同時代性と作者固有の語り口を評価する声を軸にしている。作品の背景を知るほど、受賞作としての位置づけが読み取りやすい。
書籍情報
- 出版社
- 文藝春秋
- 発売日
- 1968-09-15
- ページ数
- 267ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784163011806
- ISBN-10
- 4163011803
- 価格
- 1907 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
六十九歳の病院長が、患者の少年との関係から回想する若き日々の情景――老い病い死という人生不可知の世界を巧みに結実させた芥川賞受賞作「年の残り」「川のない街で」「男ざかり」「思想と無思想の間」の四篇収録人生のひだを感じさせる六〇年代の作品。解説野呂邦暢
レビュー
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面白かった。予想以上に
かなり前に読んで人に貸していますので手元になく、詳しくかけません。丸谷才一はまた読んで居ます。
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記憶や歴史がテーマの作品集
記憶や歴史がテーマの作品集。表題作は色彩や存在感を抑えた描写で、齢を重ねてから昔を思い出すとこんな色合いでイメージされるのかもなと思った。現在と過去の描写が区切られずに連続するのも、ふとした拍子に思い出される記憶の特徴が感じられる。
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密度が高い作品集
老境に入った男たちの生と性に対する悲哀が描かれたタイトル作「年の名残り」は、時制を前後させた濃密なお話に仕立てられている。世間的な成功をつかみながらも、これから人生に諦めがつくかつかないかの境界で戸惑う瞬間ということになるだろうか。文章に取り消し線を用いるといった手法は、行間をチラ見せさせられているような不思議な感覚を味わう。 夫婦の倦怠から主婦のよろめき「川のない街で」、疎んじていた旧友との邂逅「男ざかり」、ある男の思想史「思想と無思想の間」、ともにページ数の割に結末の予想がつかないほどに密度が高い作品だ。【芥川賞】
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とてもいい作品でした
丸谷さんの作品は絶版のなっているものが多い。文庫でもっと積極的に取入れてもらえないか。
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読み応え十分の芥川賞受賞作
丸谷才一は三島由紀夫と同じ大正14年(1925年)生まれで、平成24年(2012年)に没した。享年87歳である。 三島と同い年というのは興味深い。三島が早熟の天才だったのに比べて、丸谷はどういうことになるのか? 丸谷を十分に知りもせずに何も言えるわけがないが、私の知る限り彼の才能もなかなかのものだと一応は感心している。 作品集「年の残り」は昭和43年に芥川賞を受賞した表題作を含む全4編の中短編集である。 率直な感想を一言で言えば、甚だ読み応えがあるというところか。 表題作以外の3編「川のない街で」「男ざかり」「思想と無思想の間」いずれもなかなか面白いし、技量的にも高いものを感じる。 この作者は芥川賞受賞時点ですでに作家として十分に一家をなしていたと言えるだろう。 だが最も秀逸なのは表題作「年の残り」であろう。 ジョイスの影響を色濃く受けた「意識の流れ」の手法をふんだんに駆使して、40数年間の年月を自由自在に行き来するのは面白くもあり同時に 大いに戸惑うのだが、更にもっと特徴的な点は、わずか80ページ程度の中編小説の中に盛られた内容の多様性である。 主人公の病院長上原、学生時代の友人の英文学者魚崎と、同じく友人の、銀座で菓子屋を営む多比良、主に60代後半のこの3人を中心に、それぞれの過去40数年間の生の営みの中での印象的な出来事をめぐって話は展開する。特に度々出てくる話題が、登場人物たちの死である。 本作はつまり「死」をテーマとしながら人生を見つめ直す仕掛けになっている。 43歳の作家が、死を意識する年齢でもある69歳の病院長とその友人たちを中心人物に据えて話を紡ぐことは、思えば奇異なことであるが、人生を死から見つめ直すのは、実は人生の意味を考えるに際しての最も正統的なアプローチでもあるはずだ。 何か明確なメッセージが語られるわけではないが、人生と死に関するあまりにも多くのことが、淡々とした調子で綴られる。 概して情感溢れる作品ではなく、むしろ知的で何事にも醒めた、やや突き放したような無感情に近い姿勢を感じる。 「人は誰でもやがて死ぬ」という真実の中にある底知れない虚無がこの作品の主調低音となっているからだろうか? うっかりしているとこの小説は一体何だったのかということになるが、私なりに気になる箇所があり、そこに作者の死生観が実は表われているように感じた。 <終わりに近い場面での上原と魚崎の会話> 「じゃあ、自殺は肯定するわけかね?」 「いや、もうすこし複雑だな。肯定できたらどんなにいいだろうと、その状態に憧れている。ぼくの場合はやはり、子供のころのキリスト教が、何か作用してるんじゃないかと思いますよ。笑われるかもしれないが」 「いや。笑わない」 「死後の生というものがあるって感じ、まだするんだよ。ないとは言いきれない・・・・」 丸谷には「エホバの顔をを避けて」という初期の作品もあり、宗教的な志向が彼の文学的出発点だったのかもしれない。 文壇の第一線に登場した後の彼の文学的変遷を考えると、そういう志向は意外な印象も受ける。 裏返せば、日本の文学的風土において宗教的志向は控えめに表現せざるを得ないということ、いや、目立たないところに押し隠して静かに黙り続けるしかない、ということなのかもしれない、私はそんなことを考えさせられる。
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品質
シミ、ヤケがひどい状態でした
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テクニカル
順番としては逆だが、最近芥川賞を取った「きことわ」に似ていると思った。 1968年に受賞なので、40年くらい前か、文章自体には古さを感じない。 それは書き方が、良い意味で外国文学のような三人称で、語る対象と距離のある語り方で(簡単に言えば、客観的な、新聞記事のように的確な描写)、感覚に頼らない文章だからだろう。 内容も、戦前から戦後にかけての中〜上流階級の人間模様という感じで、そんなに古びるようなものでもない。 「きことわ」と似ている、というのは、長さも同程度で、始点から二日間ほどの中に、過去のエピソードが色々とはさまれる、思い起こされる、という構成で、「ストーリー」や「キャラクター」は、わりと凡庸なものだからだ。 精緻に組まれた、文芸作品とは言えるし、こういう「読書」が好きな人は、好きなのだろう。 ただまあ、良く言えば「古びない」作品だが、発表された当時ですら少し「古い」作品だったのだとも言えるか。それは、きことわも同じ。アクチュアリティというか、同時代性というのは希薄なのだ。 別に小説は、そういうものを表現すべきだ、とは限らないが、「きことわ」に対して、「苦役列車」のほうが話題になったように、この「年の残り」に対して、二作同時受賞の大庭みな子「三匹の蟹」のほうが評判になった、というのは、ちょっと因縁めいたものを感じてしまう。 丸谷才一氏が、朝吹真理子氏をやけに誉めるのは、自分もいくらか似たような小説を書いてきていて、それで後続が出てきたのが嬉しい、ということだろうか。しかし、誰も読まないような昔の作品を読んで、なおかつ、誰も読まないだろうレビューを書く、というのは楽しい。 文章の在り方、というのは別に商業的・社会的価値だけで図れるものでもないのだろう。
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主人公と同じ年になって
丸谷才一の「年の残り」をamazonで買って読み返していた。1968年の芥川賞作品。これを初めて読んだ時私は、20歳ぐらいだったのだろう。 老い病い死そして子孫というものを、ストイックであると友人から揶揄される69歳の医師(今の私と同じ年齢)を主人公に、40数年の歳月を行きつ戻りつしつつ、その友人や別の友人の妻の自殺、若い息子の死を織り交ぜながら記述する。情緒過剰にならず淡々とつづられる。 そして引用されるのが、古代ローマの五賢帝の一人マルクス・アウレリウスの言葉。「昨日は一滴の精液、明日はミイラか灰」。20歳のころの私はこの言葉が非常に新鮮だった。人は死ぬんだなというのを若い私に強烈に感じさせてくれた。この言葉はレクラム版の瞑想碌にのっていたのだと言う。後に岩波文庫の瞑想碌を探したのだが出てこなかったように思う。 これをかいた時の丸谷氏は43歳。当時の私よりはずいぶん年上だが、今から思うとずいぶん若く、69歳という「老境」をうまく把握したなと思う。20歳のころの私が強く死と対峙していたにもかかわらず、客観的に死が近くなった今、淡々と死に向かい合っているが、小説はこれをうまく表現している。 最初に読んだ時ほどの感激はないが、やはり面白かった。最後の少年の日記の中に救いを用意している等実によくできた小説であると再実感した。
関連する文学賞
- 芥川龍之介賞 第59回(1968年) ・受賞