作品情報
家族という場にある孤独、依存、痛みを濃密に描く小説です。
家族という場にある孤独、依存、痛みを濃密に描く小説です。
書籍情報
- 出版社
- 文藝春秋
- 発売日
- 1996-06-01
- ページ数
- 189ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784163163109
- ISBN-10
- 4163163107
- 価格
- 27 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
本物になりたいけどなれないニセモノ家族の奮闘描く表題作と、不倫の顛末をコミカルに描く、「もやし」。芥川賞候補作の力作二篇
レビュー
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生々しさ
フルハウス読み終わりました。 柳美里の処女作です。 相当生々しい、においを感じる描写をする。 主人公は劇団上がりの女性だし、おそらくは自分の家族や人間関係をある程度切り取った部分があるのではないかと思われる。 筋よりも、1シーン1シーンが印象深い。 物語というものはカタルシスを追うのが普通だけれどそうではない人間の業みたいなものを表そうとしているのかもしれない。
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タイトルの秀逸さが光る
かつてバラバラに離散した「私」の家族の絆を取り戻そうと、「父」が家を建てた。だがその家には「母」も「妹」も「私」も住みつくことはない。すると「父」はたまたま知り合ったという経済的に破綻しホームレス状態になった別の一家の人間たちを連れてきて・・・というお話の表題作と、イラストレーターと雑誌編集者の不倫を描いた短編「もやし」を収録しています。 両作品に共通して感じるのは、作品全体にあたかもニオイのごとくまとわりつく狂気です。死人が出たりあからさまにおかしい人が出てくるわけではないのですがそこが曲者。実娘である「私」のスクール水着姿の写真を持ち震える「父」、唐突に火事を狂言する一家の「少年」、虐待スレスレの折檻を加えるその父親、そして実際に火をつけ「これで嘘じゃなくなった」と絶叫する「少女」。あるいは大量のもやしカレーを作り(めっちゃマズそう)、不気味な絵を主人公にいくつも見せびらかしながら意味不明な解説を延々繰り広げる不倫相手の妻・・・どうも正常ではない精神状況の、しかし彼(彼女)らが病院に行くべきほどの狂人かと訊かれれば口ごもってしまう、ひょっとしたらわざとか、一時的にそういう面を見せただけで本当は平凡な人間なのでは?というような人々がこれでもかと登場し、かなり体力を削られました。先述した不倫相手の妻とかは特に主人公に対してのあてつけで演技をしているだけかも、という推測も成り立つわけで。 特に印象的だったのは、表題作で勝手に住みついたホームレス一家が勝手にセメントまで用意し庭に池をつくってしまうところと、結果的には、というべきなのか、彼らの存在によって空虚そのものだった新居が賑わうのを見て「父」が呟く言葉です。崩壊からの再生を夢見る「家族」という存在に、どこの馬の骨とも知れない他人が介在し、その領域を好き勝手に踏み荒らしていく。怒鳴り立てて追い出すこともできるはずなのに、そのむごたらしい光景になぜかしら驚くほど冷静な「父」。「私」も「妹」も本当に父が家を建てるなどとは思っていなかったし、家が建っても「母」はその姿すら見せません。結局「父」がやったことは赤の他人を引き入れてまでの上っ面の「家族」の捏造であって、しかも(片一方は共同体として、もう片方は経済的に)崩壊した「家族」同士は決して結びつくことなく、ただ水と油のようにたがいをはじき合い存在しているだけ。読んでいる途中は表題の意味がわかりませんでしたが、読み終えて痛烈な皮肉であることに気づかされました。人によっては絶望的な気分に染まること請け合いの内容ですが、傑作です。ぜひ読んでみてください。 柳さんのほかの作品も読んでみたいなあ・・・。
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得るところは少なかった
小説というものは、社会に何か強く訴えたいことがあって書くものだと思い込んでしまっている私は、二編とも難解で何も得るところはなかったような気がします。 「フルハウス」は2つの賞を取ったということですが、何が評価されているのかよくわかりません。主人公の父親の厚意で新築の家に住み着いたホームレス一家の、言葉を失った長女がキーパーソンになるようですが… 「もやし」では、不倫相手の猟奇的な妻や、精神遅滞の見合い相手が主人公の周辺に配されて、頻繁に奇異な行動をとります。主人公自体もけっこう病んでいます。読み続けるのが苦痛でした。 文学の世界はよくわかりません。
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非現実感
現代文学は、倒錯と非現実的な手法で、心象風景を描写するが、筆者の文学は、筆者自身のやや生々しい生い立ちが揺るぎない現実感となり、さらに性的被虐性(マゾヒズム)が倒錯の世界を醸成している。 どこまでが現実でどこからが倒錯なのか、筆者はもちろん明らかにしていない。それを抽象絵画のように観賞する側が観賞する立場や気分で必要なら区分けすればよい、としている。 柳の他の多くの作品同様、軟体動物のようなストーリーは、執筆の趣旨など捉えようもないだろう。 読み手は。筆者の半ば虚構の世界で、しばし時を過ごすだけである。
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家族の崩壊。希薄な絆。
「フルハウス」も「もやし」も、希薄な家族関係。生活のため仕事に追われる人々と家族生活の擦れ違い。矛盾している。両立しないものか。
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「家族」って?
ばらばらになった家族のメンバーを集めるため、父親が家を建ててしまう、という唐突なはじまりのドタバタ悲喜劇のお話です。「家族」という概念を一気に打ち壊してしまう、その発想にどきりとさせられます。また、筆者・柳美里さんの、ニュートラルでシニカルな視点がなんともいえません。いったい家族とはなんなのでしょう、という柳美里さんからの疑問に答えることができるのか、ぜひ読んでみてください。
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描写と心理
この作品にある不気味さは細部にいたる描写にある。それがなにを意味しているかと言うと、心理描写をせずに、情景描写によって心理の動きを描きだすという高度な技術をこの作家が獲得していることを意味する。 そういう意味で評価に値する作品だと感じた
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フルハウスと言っても中味は空虚
妙な父親が立てた新築の家で起こる破綻しかけた珍妙な親子の物語。父親と娘は決して正面から向き合おうとせず、敢えてすれ違うことでかろうじて現在の関係を保っているようだ。壊れかけた家庭が修復できるものと信じこんでいる父とそれをうっとおしく感じつつも突き離せない娘とのやりとりがしばし続く。そこへ突然現れるホームレスの親子。破綻しながらも他人の家に居座り「家族」であり続けようとするホームレスの親子。自身が叶えられぬものを第三者の参入によって具象化しょうとしたのかなと思いつつ、やや乱暴な小説の展開に戸惑も感じる。 結局、何度読んでも著者の意図する所がよく理解できない。それになによりも小説の終わりが、とうとつであるため読後真っ先に感じるのは中途半端な読後感である。 もう一遍の「もやし」も分裂症的作品。初期のピンク・フロイドのようなやたらと音符を散乱た一見華やかだが旋律は不協和音を奏で決していい読後感はない。 この2作、何れも芥川賞の候補になっているが、短編の達人であったあの世の芥川氏はさぞ苦笑されたと思う。 それとも山のように朱筆を入れられただろうか?
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