日本の文学賞

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熱源

直木三十五賞

熱源

川越宗一

樺太に生まれたアイヌの山辺安之助と、流刑地に送られたポーランド人ブロニスワフ・ピウスツキらを軸に、民族と国家、記憶と生の熱を描く歴史小説。

樺太アイヌ歴史小説民族

作品情報

奪われた故郷の先で、人は生きるための熱を探す。

文藝春秋刊。第162回直木賞受賞作として単行本を確認。

レビュー要約

  • 壮大な歴史背景と人間同士の結びつきが強く評価されている。知られにくい近代史を物語として読ませる力がある。

書籍情報

出版社
文藝春秋
発売日
2019-08-28
ページ数
426ページ
言語
日本語
サイズ
13.7 x 2.9 x 19.5 cm
ISBN-13
9784163910413
ISBN-10
4163910417
価格
1000 JPY
カテゴリ
本/文学・評論

樺太(サハリン)で生まれたアイヌ、ヤヨマネクフ。開拓使たちに故郷を奪われ、集団移住を強いられたのち、天然痘やコレラの流行で妻や多くの友人たちを亡くした彼は、やがて山辺安之助と名前を変え、ふたたび樺太に戻ることを志す。 一方、ブロニスワフ・ピウスツキは、リトアニアに生まれた。ロシアの強烈な同化政策により母語であるポーランド語を話すことも許されなかった彼は、皇帝の暗殺計画に巻き込まれ、苦役囚として樺太に送られる。 日本人にされそうになったアイヌと、ロシア人にされそうになったポーランド人。 文明を押し付けられ、それによってアイデンティティを揺るがされた経験を持つ二人が、樺太で出会い、自らが守り継ぎたいものの正体に辿り着く。 樺太の厳しい風土やアイヌの風俗が鮮やかに描き出され、 国家や民族、思想を超え、人と人が共に生きる姿が示される。 金田一京助がその半生を「あいぬ物語」としてまとめた山辺安之助の生涯を軸に描かれた、 読者の心に「熱」を残さずにはおかない書き下ろし歴史大作。

レビュー

  • 迅速でした。

    届きました。良品です。

  • あまり知られていないカラフトアイヌにスポットを当てた物語であることが素晴らしい。

    先住民や少数民のアイデンティティー、権利は日本で長らく剥奪され、無視されてきた。そうした厳しい環境の中で生きてきた人々にスボットを当て、その足跡を史実に基づいて辿り、さらに読みやすいエンタテイメントに仕上げた点が評価される。「北方領土」返還のための交渉でも、当事者として政府が認めているのは、日本から移住した元島民のみ。本来の住民であったアイヌやニブフなどは話し合いの席にもつけない。彼らこそが当事者なのに。この本は、こうした日本の原住民・少数民観、政策の歪みを見直すために少しでも風穴を開ける契機になったのではないかと思う。

  • 生々しいいのち

    第162回直木賞受賞作品(2019年下期) 生きるということはなまなましいことであるというのを最初から最後まで感じながら歴史を横から眺めているような物語。 これがまた横から眺めていると見せかけて、読んでいるものの心の内にも熱いものが湧き上がってくる。お涙ちょうだいではなく、淡々と描写される生きていくうちに遭遇した理不尽や悲しみを乗り越えるでもなく打ちひしがれるでもなく、それでも生きていく人間の物語なのだ。そしてそれはいま生きている自分もそうなのだ。 というのを読み進めていくうちに感じる。 登場人物はたくさん出てくる。そして生きて死んでいく。 アイヌを低く見る和人たちもまた、その和人の中において勝った負けたがあり、西洋の中のロシア、ロシアの中のポーランド、いくらでも人間は自分たちが線を引いた集団の中で区別し差別していく。人間社会の根源的悪というのはこれなのかもしれない。どこまでいってもそれが終わらない。 とにかく最後まで熱い。読んでよかったと思える一冊。

  • 歴史的な空気は伝わる

    この平和ボケした日本に住んでいて、外の真実の世界の空気は充分に伝わる。 そう言う点では、読んで良かった本。 やはり、世界みんな仲良くなんてかなり危険な考えということがよくわかる。 対等な力を持つものだけが、平和という言葉を使うことができる。 外国を決して性善説で見てはいけない。 まあ、色々考えらされる小説ではあるが、小説自体はあまり面白くない。

  • どれをとっても第一級の娯楽作品であり、心に響く、命を宿した物語

    実在の人物をモデルに、歴史的事実を、あるシンプルなテーマで物語化する。そうした作者の意図がしっかりと焦点を結んだ作品。その意味では会心の作と言っていいのではなかろうか。歴史を題材に取ることによる縛りを敢えて避けず、実在の人物と年代別のエポックと列強諸国の世界地勢図とをさらに抑えている。その意味でも、これはある意味快挙としか言いようのない作品だと思う。 北海道では、初の国立博物館ウポポイが今年白老に生まれる。その意味でも時宜を得た作品であり、虐げられ差別を浴びてきたアイヌ民族の歴史の中に見られる、民族の長所・美点・芸術性を、改めて世に知らしめこの民族に対する愛情を湧出させる力さえ感じ取ることのできる作品である。 作者・川越宗一は、大阪生まれの京都在住という純粋な関西人。夫人の希望で北海道旅行をした際にアイヌ民族博物館(ウポポイの前身)を訪れ、そこでアイヌ民族の研究者であるポーランド人、ブロニスワフ・ピウスツキの銅像に出くわしたことが本作創作の契機になったという。ブロニスワフはロシアの支配下にあった祖国から遠く樺太へ流され、契機終了後は獄舎からは出られるものの辺境に留め置かれるという条件下、樺太やウラジオストック、北海道などを歩き、アイヌ、ギリヤークなど北方民族の研究者となったらしい。 一方、アイヌ民族を代表する形では、山辺安之助ことヤヨマネクフが本書でのツイン・ヒーローの一角を担う。同時代の白瀬探検隊の一員として南極大陸の地を踏んだこのアイヌ人の生涯は、資料に乏しい分、作者の想像力の十分過ぎるくらいのフィールドとなったようだ。 そもそもどこの領土でもなかった樺太。日本が去りロシアの領土となったのが事の起こりである。アイヌ民族は、日本に移住し日本人として生きるか、樺太に残留しロシア国籍として生きるかを選択した。日本移住を選択したアイヌの移住先として描かれるのは、対雁(ツイシカリ)の地(何と、ぼくの住む石狩当別町内!)であり、さらに鰊漁場として群来が見られていた来札(我家から車で15分の石狩市!)への移住までが描写される。樺太からの移住の末、天然痘その他の流行り病が彼らを襲う。種痘などの治療法を嫌うアイヌ民族の中で感染者が続出し村が消失してゆく中、アイヌたちの一部は日本国籍を得たまま樺太に帰島する。 ポーランド流人ブロニスワフと、同化政策により日本人となったアイヌ民族ヤヨマネクスの人生を、交互に描きながら、その接点、彼らに関わる実在の有名人たちの物語がとても興味深い。政治家・大隈重信、南極探検隊長・白瀬矗、ユーカラ研究者・金田一京助、デカダンな人気作家・二葉亭四迷、ポーランド初代国家元首であるブロニスワフの実弟であるユゼフ・ビウスツキ。さらに、日本人とアイヌ人の混血で少年時代からの仲間であり、かつ本書で重要な役を果たす千徳太郎治は、『樺太アイヌ叢話』という書物を遺している実在の人物(巻末文献参照)。 本書では、アイヌに関わらず他の北方民族オロッコ(ウィルタ)も、ラストシーンで重要な役割を振られている。少数民族が連綿と残してきた命の火の尊さ。劣勢とされた民族の心や芸術の美しさ。作者が執拗に描こうとするこれらの描写こそが、純粋な感動を与えてくれる。主要な女たちの五弦琴(トンコリ)。そのきらきらと輝くような音色。多人種の人々が北方民族伝承の音楽や宴に魅了されてしまう辺りも、小説として重要なポイントであろう。 本書は、北海道での販売数が尋常ではないらしい。それは樺太が地理的に近いというだけではなく、共に生きる地域で、実在のアイヌ民族の血を引く方たちと平等に生きる地平にいながら、差別のあった過去への批評眼を我々も持ってゆかねばならないとする開拓者精神の遺伝子であるのかもしれない。その上、本年ウポポイが新たなアイヌ民族の歴史を伝える重要な拠点として北海道の地に改めて生まれることにより、共有される意識の高まりを示すものであるのかもしれない。 地理的にも時代的にも迎えられるべき作品。その意味で今、世に生まれ立ち、当然の結果としての直木賞受賞等、多くの評価を得たのが本書である。作者の創作に至る試走の十分さ。焦点とすべき事象の確かさ。登場人物たちの魅力。時代の荒々しさと対峙した滾るような生命力。どれをとっても第一級の娯楽作品であり、心に響く、命を宿した物語が完成したということなのだろう。

  • 壮大な大河ドラマ

    民族と国家そして戦争を様々な人物、視点から描いており、壮大な大河ドラマのようでした。。。

  • 新刊本と変わらないクオリティ

    配達はゆっくりしていましたが、届いた本は新刊本と見まがう位の品質でした。お得な買い物をしました。

  • 熱い人びと、熱い心、熱い物語、熱い思想

    少数民族、先住民を踏みにじってはならない。軽蔑してもならない。 この民は劣っているのでもなければ遅れているのでもない。「未開」なのでもない。「人間」(ギリヤークの言葉では「ニグブン」、アイヌの言葉では「アイヌ」)だ。「同じ人間」なのではない。言葉も文化も歴史も状況も「違う」。ただし、生きる存在という意味では「同じ」。 この本は歴史物語であるが、思想書でもある。筋だけが気になり、ただ消費するだけの商品や娯楽ではない。 「俺たちアイヌは子供じゃないし、和人どもの望むようになってやる義理もない」(p.51)。 このセリフを一般化すれば、人は皆、子ども扱いされたり誰かの利益のために利用されてもならない、ということになろうか。けれども、これがアイヌと和人の関係で言われているから、思想になる。「俺たちアングロ系アメリカ人は子供じゃないし、先住民どもの望むようになってやる義理もない」なら、思想ではなく、反思想になってしまう。 「学校について、出てれば偉いとか行けないやつは出来が悪いなどとは、露も思わない。けれど、学校というものに希望を託し、未来を信じ、駆けずり回った大人たちをイペカラは知っている」(p.413)。 現状では、「同じ」はずの人間を「優」と「劣」に細分する教練所になっているが、学校は、在り様によっては、少なく踏み躙られる民の「希望」や「未来」になるはずだ。ここにも熱い思想がある。 ただし、物語は思想の道具でも器でもない。物語そのものが思想なのだ。

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