作品情報
プレオー8の夜明けは、古山高麗雄の表現が受賞時の評価と結びついた作品である。
戦争体験を背景に、収容所の記憶と生き延びることの重さを描く小説。淡々とした語りのなかに、暴力と人間性の境界がにじむ。 賞の文脈では、題材だけでなく、語りの密度や時代への向き合い方が注目される。
レビュー要約
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読者の反応は、同時代性と作者固有の語り口を評価する声を軸にしている。作品の背景を知るほど、受賞作としての位置づけが読み取りやすい。
書籍情報
- 出版社
- 文藝春秋
- 発売日
- 2004-03-12
- ページ数
- 601ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784167291068
- ISBN-10
- 4167291061
- 価格
- 1047 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
フィリピン、ビルマ、中国雲南、カンボジア、ヴェトナム。五年間の戦争体験から、著者が刻んだ惨苦の果ての燈明と苦いユーモア
レビュー
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良い本
私は戦争を知らない世代だけど、なんとなくその当時に生きた人の悲しさがこうなんだろうと思わせる、はかない気持ちになる。
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古山高麗雄さん
古山高麗雄氏は競馬番組の解説やNHKのドキュメンタリーで何度かお見かけしましたが 小柄ながら眼光炯々、雰囲気も一筋縄でいかない不羈なものを感じさせる方でした。 併合時代の新義州、今話題の従軍慰安婦の生態描写など極めて興味深い
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真吾の恋人
いい作品です。 ニッポン文学に慣れた読み手には、あまりに無造作な身辺雑記に見えもするでしょう。初めてこの作家にふれた私も、冒頭、具体的な時間と空間が措定され、「つづらのタミさん」に言及されるや、以降「タミさん」「タミさん」が連呼されるのを読むと、昭和の作家が高齢で頭が緩んでだらしない書きぶりになってるのではと疑いもしたのです。 ただ、やがて、それが緻密な設計図に基づくようなものではなくとも、この小説を成り立たせるために選んだ書き方にほかならず、粗略な小説とみなされることをおそれもしない作家の姿勢が見えてきたのです (最初期の「墓場で」「プレオー8」「白い田圃」以降はいわゆる文学らしい構成を避けているように思われます。「退散じゃ」には突き放して書こうとするが、そうすると自分がかっこ良くとられることを警戒する旨がかかれています。また「戦友」には「立派という言葉をくちにするたたびに、楽になる……人は哀しみを均し、楽になろうとする」とあって、ことさらにこういう文体をとられているのでしょう。吉田満の『戦艦大和ノ最期』が格調ある文語体で書かれていることの対極)。 そのあまりに卑近な語り口で描かれているのは、いま間違いなく自分とタミさんが共に生きてあるという感慨であり、いまあるということが、わずかな時間しか与えらていない人間の一生の結構に長い時間を別々に、つまり各々が各々の日々の問題に向き合いながら無関係に生きていた、けれど、そのあいだ、お互いが人生の宿題としてお互いの事を心中に抱えて生きていたという感慨ではないかと。 二人が共有したわずかな時間(ローソクのシーンの抒情性!)と不在の長い時間と空間の大きさが、この短い枚数のなかで巧みに構成されていきながら、不在であったため凍結されていた二人の関係から逆照射されて、まさにこの今にある二人のあらたな関係を浮かびあがらせてくるのは感動的です。タイトルの意味が段々と得心されてもくるのです。 最初から順番に読まれることをおすすめします。おなじ話題、素材、テーマがなんども語り直されるのですが、単なる反復にはおわらず、あらたな読みが可能となっています。それは脚色によらない事実がどんどん明かされるということだけではなく、つねに追憶を素材に作品をつくってきたが、その追憶の性質そのものも変質してくる、つまり時間というものを否応なくみることになるという経験です。川端賞受賞の「セミの追憶」がそういうことをよく表し得ているかとおもいます。 こういう視座は、この作品のいたるところにででくる従軍慰安婦が、現在のあまりに極端な二つの捉え方に収斂されていることを示唆するものでしょう。それは「真吾の恋人」のタミさんが従軍慰安婦であったことが「思うだけ」で明かされており、そのタミさんの現在のすかたを見るとき、わたしたちが歴史に背負わされたものから自由になっていく方策とはなんなのかについても思いをめぐらすことになるでしょう。 生きていくためにたくさんのものを引き受けなければならない私たち人間に、たんなる戦争について考える以上のことをあたえてくれる読書経験となると信じます。
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戦争文学の傑作
俺は泣ける。昭和文学です。俺の親父も中国へ戦争に行った。大変でした。
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- 芥川龍之介賞 第63回(1970年) ・受賞