作品情報
『日本語が亡びるとき:英語の世紀の中で』は、水村美苗の受賞歴を語るうえで重要な評論・研究作品。
『日本語が亡びるとき:英語の世紀の中で』は、水村美苗による評論・研究作品。思想と知の探究を軸に、言葉と社会を重ねながら、受賞作としての個性を示している。 書誌識別子は図書として確認できる範囲で補完した。
書籍情報
- 出版社
- 筑摩書房
- 発売日
- 2008-11-05
- ページ数
- 330ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784480814968
- ISBN-10
- 4480814965
- 価格
- 1980 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/評論・文学研究/文学理論
豊かな国民文学を生み出してきた日本語が、「英語の世紀」の中で「亡びる」とはどういうことか? 日本語をめぐる認識の根底を深く揺り動かす書き下ろし問題作!
レビュー
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日本語の行方
以前から気になっていたが、漱石先生の日本文明史観を引き継ぐかの様な水村氏の論考。漱石評論は必ずしも同意しないが、日本語の置かれている現在の状況を私も同じように危機感をもっている。単刀直入にメールとSNSで使用され飛び交う短い幼稚な言葉を当たり前のように使う現在の日本と若者の未来は言葉に関しては最早絶望感しかない。若者が如何とかだけでは済まされない言葉を駆使する発話者の余りにも低レベルは後戻りしないのかと思うとやり切れない。
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日本語の書き言葉は倭歌を記述する中で生まれた
いくつかの点で疑問がある。先ず「普遍語を現地語に翻訳する過程で書き言葉は生まれる」というのに日本語は該当しない。万葉仮名は倭歌を如何に漢字で表現するかという悪戦苦闘から生まれている。最終的には仮名が生まれるまで待たねばならなかったが漢字かな混じり文という日本語の書き言葉は漢文を日本語に翻訳する過程で生まれたのではなく倭歌を表現するために生まれた。 次に国語として成立した時期を明治の文明開花期だというのもおかしい。この本では近代日本文学を奇跡とたたえるがそれ以前の膨大な日本文学を奇跡と称えないという誤りにつながっている。伊勢物語、源氏物語、平家物語、方丈記、徒然草、今昔物語など世界的な文学作品が生まれたのは漢字かな混じり文が成立していたことが大きい。この次期に国語が成立していたと考えないと辻褄があわない。著者が日本は英仏より遅れた国だという先入観に捉われているための誤りと思うが日本の古典文学の蓄積は質量ともに英仏をはるかに超えている。 三つ目に日本が明治時代に植民地化されなかった幸運を力説するのも間違っている。日本と朝鮮、ベトナムとの違いは日本が幕末期に植民地化されなかったところにあるのではなく、AD900年ごろに既に漢字かな混じり文という書き言葉を成立させ、膨大な古典文学が蓄積されているところに或る。これに対し朝鮮、ベトナムでは自国語の独立を守れず、書き言葉が最終的な形で成立したかどうか未だはっきりしない。現に両国とも殆ど独自の文学作品を残していない。 著者が「日本語は漢文の現地語に過ぎない」と繰り返し述べている点ほど大きな誤りはない。日本語に対する無知をさらけ出していると言える。恐らく漢字を使っていることを指しているのであろうが漢字は日本語(大和言葉)の表意文字であり、大和言葉の語幹を表すために使われているに過ぎない。例えば 君がため春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ この和歌は100%大和言葉であり、中国語的要素は全く含まれていない。よく「日本語は中国語の現地語に過ぎない」と言えたものである。 日本語の名文家として評価の高い著者でさえこれほど日本語に対して偏見と誤解を抱いているというところに日本語の危機がある。日本人が日本語のことをほとんど知らないのである。 いろいろ批判したが著者が「日本語を守るために、近代日本文学をたくさん読ませる必要がある」といっているのには賛成である。また「フランス語が亡びることより日本語が亡びることの方が人類にとっての損失が大きい」というのは正しい。
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令和の日本は年号とは対照的に危機的
日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で-水村美苗 筑摩書房 小学生への英語教育とか、プログラミング教育とか、いくら小学生に教えても、家に帰れば使うこともない、触れる事もないなら忘れてしまうのが当然、英才教育になどなりはしないでしょう。(常識を働かせればそのくらいのことは判りそうなものだろうに。そんなことは大学のいくつかを衣替えすれば済むことだろうし)それがいかに馬鹿げたことで、人間の能力や時間と国費の無駄遣いか、それだけではなくかつてのゆとり教育同様、他でもなく国語の授業時間を減らしたことで、国民の国語力の低下がますます進むことになる、そういう、業界におもねる思慮の足りない愚策でしょう。 ドストエフスキーの「罪と罰」に描かれた男のように、ある観念にとりつかれて悪事を悪事と思わず悪事を働く、 国語力の低下とは「平和」とか「温暖化」とか言ったたぐいの具体底の定かでない観念だけが先行する言葉に、人が洗脳されてある風潮を作り出してしまうということでもありましょう。つまり端折って言えば、中国や朝鮮のように、官僚による国民の愚民化を進め、それを官僚が支配するという構造に路を開いているということになるのでしょうか、それが文部省の中の左巻きどもが相変わらず狙っていることなのでしょうかね。ろくに反対もしないで受けいれた日教組も同じ穴の貉(むじな)でしょう? こういう大問題を大問題と感じる事もなく、当たり障りのない事ばかり口にしている事無かれ主義者こそ、世の中を段々悪くしているのを手伝っているのかもしれませんね。 それにしても、ここで引用された、福田恆存「私の國語教室」は文化とは何かを誰にも解るようにした名著ですが、そこには今も変わらない、占領政策に迎合する事大主義の官僚や文化人・報道関係者の姿もはっきりと批判されて描かれています。時あって読み継がれるべき名著でしょう。 そしてこの本もまた、国語力の低下を懸念する警告の書なのでしょう。国語力の低下とは過去や歴史との断絶を意味するだけでなく、人を根無し草へと落ちこませる道かもしれないと警告しているものと理解してもらいたいものです。 この本の中で言われる、漱石や鴎外といった高級な文学書の勧めとは、(どこの国でも名作とはその国の国民性の典型的な人物が描かれているのですが、漱石・鴎外に限らず松本清張などでももちろん有りです)人を見る目を養い、言葉に意識的になり、現代なら言葉と意識と行動との違いを 見わけて考える習慣をもち、底意のある言葉、上の空の言葉と真実な言葉の違いを見分けるようになることでもありましょうか。 国民の大部分の生活意識は保守的なのですが、ジャーナリズムに目を奪われている人にはそれが見えないのか、無視しているのか、政治家や官僚が観念的な言葉をふりまわし、国民の大多数を裏切って売国政策を平然ととるようでは、世界中の物笑いの種どころか、後世日本を売った傾城の政治家、官僚達として名を残すでしょうね。そのくらい令和の日本は年号とは対照的に危機的だということです。
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いいですよ
是非お勧め
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読んでおきたい本
予備校で生徒の指導用に購入しました。日本の近代文学がなぜ入試で取り上げられてきたか。それを知るうえで貴重な本です。
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ショッキングな内容です。
日本語が地球上から消滅するのは、あまりにも悲しいです。私達の努力によって、日本語に永遠の命を与えられないものか・・ 美しい本を丁寧な梱包で素早く発送してくださった、まごころ堂さんに感謝いたします。
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我ながら中途半端な読後感だった。
読んだ第一印象としては 前半に比べて 後半が情緒的に流れているきらいが強いという点である。小説家なので 許されるとは思うが 本書のテーマの興味深さを考えると 出来れば前半のペースを保ってほしかった。 直感的に言うと 「あらゆる言語は亡びてきたし これからも亡び続けるのではなかろうか」ということだ。 古くはバベルの塔を神が破壊した際に 人々の言葉がばらばらになってしまい 話が出来なくなったと 旧約聖書に出てきている。それも読み方によれば それまでの共通語が亡んでしまったという意味と取れるのではないか。 日本語にしても たとえば奈良時代の人と話す機会があったとして ほとんど通じないのではないか。言葉は常に変化を続けてきている生き物である。生き物であればこそ寿命もあろうし そこから新しい言語が生まれてくる。著者が守ろうとしている「日本語」も 比較的最近産まれてきたものではないだろうか? 一方インターネットを通じて英語の重要性が飛躍的に増大する点は著者の指摘通りだろう。この言語界における大きな変化が日本人をどこに連れていくのかは まだ見えてきていない気がする。但し これは政治の問題であると考える著者の方向性は基本的には正しいとは思う。一国の言語は 大きな問題であることは間違いない。 ということで いささか纏まりに欠ける読後感が残った。今書いているレヴューが いささかどっちつかずだとしたら その読後感のなせる技だと思う。問題提起の書としては面白い。問題解決の道を示すには至っていない。そんな気がした。
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評価がむずかしい
なるほどと思う視点ではあるのだが…結局著者の主観というか、著者が評価している日本文学が廃れることを嘆いているだけのようにも見える。それはそれで一つの主張なので、どちらかというと政治の世界ですね。
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