作品情報
人間の尊厳と八〇〇メートルは、深水黎一郎の受賞作として刊行形態でも確認できる作品です。
人間の尊厳と八〇〇メートルは、東京創元社から刊行が確認できる深水黎一郎の作品。受賞歴と書誌情報を合わせて読むことで、同時代の文学賞が評価した題材や語り口を追える。
書籍情報
- 出版社
- 東京創元社
- 発売日
- 2011-09-29
- ページ数
- 206ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784488024826
- ISBN-10
- 4488024823
- 価格
- 2483 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
こじんまりとしたバーで、「わたし」が初対面の男から持ちかけられた、謎めいた“賭け”の行方は――表題の推理作家協会賞受賞作を含む、本格の新鋭が技巧を尽す初の短編集。
レビュー
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人間性の深淵へのまなざしと、語り口のぶれない端正さ
ミステリ短編が二つ、奇妙な話が二つ、そしてあとひとつは洒落た紆余曲折をもった恋愛小説といったところでしょうか。 ミステリらしいミステリを期待すると、どれも少し違うかもしれません。 表題作は、日本推理作家協会賞受賞作。深夜のバーでいきなり、八百メートル走をしないか、と賭けを持ちかけられる発端から、意表をつきます。男は、ハイゼンベルクの不確定性理論から量子力学理論を滔々とまとめ、すべては偶然だなんて人間の尊厳にかかわるから、もっともありえなそうなことをやってみようじゃないか、と話をもってゆくのですが、このあたりの蘊蓄が実に迫力があり、説得されます。大風呂敷なのに、饒舌なところがなく、明快にポイントをまとめており、もしも推理小説の特質のひとつが「明察神のごとき」探偵にあるのだとしたら、この男の語り口こそ究極の探偵のわざかもしれません。 著者の作風は、物語の三分の二くらいにわたって、ひじょうに刺激的な知識や理論をふくらませておき、後半一気に別の方角へひねるものですが、そこで前半の蘊蓄が犯罪の動機や意味に深いうらづけと心理的説得性を与える、という二段構えであることが多いです。さらにもう一度ひねりわざが入ることも。 この短編でも、二度ひねられますが、前半の量子力学と人間の運命の話が実に壮大に決まっていただけに、ひねったわざ自体はちょっとぎくりとするようなものですが、前半との合わせわざで物語としての衝撃ポイントが高いです。少なくとも忘れられない作品です。従来型ミステリというよりも、不可思議な味の前衛小説と言えるかもしれません。 他の作品はやや軽めですが、「北欧二題」や「蜜月旅行」は作者のヨーロッパ体験を活かして、語り口にぶれない確かさがあり、ミステリの謎というより、洒落た短編を読むようでした。 フェイクではない、真正な文学の足取りで、文章が進みます。 著者の長編はすべて読んできて、短編は今回が初めてでしたが、蘊蓄に託して人間性の深淵や業(ごう)を鮮やかに語り、それが一見奇矯な犯罪にも真実の動機を与えている、この作風に強く惹かれます。 〈追記〉 一日おいてもう一度読み返してみましたら、表題作のオチは、それまでの議論(偶然性の深淵)を意外な方向からすくいあげたものになって、ねじれつつも照応していることに気づきました。方法論としての計算が、きちんとこの短編でも機能していたと思います。見事です。
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趣向を凝らした全五篇
11年09月の単行本 からの文庫化.既発の四篇に書き下ろしを加えた全五篇の短篇集で, 文庫化にあたり『あとがきにかえて』には加筆が,また新たに解説も収録されています. 収録作は『旅』を扱ったものが多く,ストレートに旅先での小さな謎解きはもちろん, 中でも「旅に行きたくない」という設定の篇では,テーマを逆手に取ったおもしろさや, 事件の真相に大きな驚きはないものの,フーとホワイの二段オチといった巧さが光ります. ただ,カタカナ語をすべて漢字表記で描いた篇では,演出とはいえ読みづらさは否めず, いささか堅苦しさのある言い回しや,250ページにも満たないボリュームも物足りません. とはいえ,小難しい話をしておきながら,まるで関係のないオチとなる表題作をはじめ, 全体的にミステリの要素は薄めですが,趣向を凝らした篇がそろっているという印象です.
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短篇ミステリーとして秀逸
とあるカウンターしかないバーに一人で入ったら、同じく一人で飲んでいた先客の初対面の男が「今から八〇〇メートル競走をしないか?」と誘いかけてくる。当然「なぜ?」と問うが、それに対して男が展開する論理が量子力学の不確定性原理まで持ち出して面白い。そして、最後は鮮やかなどんでん返しという短篇ミステリーとして秀逸。 他には完全犯罪をテーマにして、その犯罪者が一人称で語る作品があって、最後まで読めば「なるほど」と思うのだが、これも引き込まれた。 またヨーロッパを旅する話がいくつかあって、この辺りは作者の実体験に基づいたものもあるようだ(巻末に解題として各作品について作者自身の簡単な解説がある、こういうのは珍しい)。 そのヨーロッパの話なのに、作者のある信念からカタカナを一切使っていない作品があって、これはちょっとだけ読みにくかった(笑)。 こういうネタバレ系のミステリーについては多くは語るまい。すなおに面白かった。
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北欧二題
表題作も面白く読みましたが、それよりも私は「北欧二題」の「老城の朝」の方に感銘を受けました。意外でありながらあり得そうな話です。実際に作者の経験を基にしているそうで、日常系の本格ミステリとして非常にレベルが高い。これがなぜこの年のベスト本格ミステリ・アンソロジーに選出されてないのか疑問に思うくらい。たぶん漢字を多用した読みにくさがネックになってあまり評判にならなかったのではと邪推しています。
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ラストシーンを読んで暗然となった。
表題の作品は日本推理作家協会賞受賞作だそうで、新聞の書評でも取り上げられていた。こうした推理小説(?)のレビューはネタバレになってはいけないということで、書く方も気を使ってしまうということを先に申し上げておく。 実はこの作品を最後まで読んだところで、暗然となってしまった。 小さなバーで見知らぬ男から妙な賭けを申し込まれた主人公は、その男から不確定性原理だの、サルトルの実存主義だのといった長広舌の講釈を延々と聞かされる。しかし、こうした展開は150年前にドストエフスキーが『罪と罰』ですでにやっている。もちろんこの短編に出てくる男にはラスコーリニコフのような魅力はないし、男の言う「人間の尊厳」についての論理展開も、その長広舌に比べてあまりに稚拙過ぎる。 しかし私が暗然となった原因はそんなことではない。この作品の結末部分を読んだ時だ。 ここで話はガラリと変わるが、以前、テレビで盲目の少女が津軽海峡を泳いで渡るという企画があった。無事、泳ぎ切った後、その少女はインタビューに答えて次のようなことを話していた。 「人なら誰でも得意な分野、不得意な分野があります。勉強は得意だけどスポーツは苦手とか、数学は得意だけど英語は苦手とか…。それと同じで、たまたま私は「見ること」が不得意なだけ。目が見えないのにスゴイねとか言われることについて、正直、違和感、抵抗感があります」と。 再び本作のレビューに戻る。 純粋に推理小説を楽しみたいと思って読んだにもかかわらず、最後の最後に、いきなり自分が出てきて戸惑ってしまう人もいることを想像しただろうか。多くの読者を喜ばせるために、ある人たちの最も大切な部分を道具に使っているという感覚はあるだろうか。 もちろん反論もあると思う。たとえば放送禁止用語は逆差別を助長するといった考え方がある。それと同じで、このような批判的なレビューを書く方が意識し過ぎだという逆批判もあるだろう。それはそれで正論だと思うが、その考え方にはある種の想像力が欠如しているように思えてならない。 「人間の尊厳」という言葉をもてあそんではいないか。その言葉の意味を履き違えてはいないか。もしこの小説を、津軽海峡を泳ぎ切った少女が読んだとしたら、ラストの部分でどんな思いをするだろうか。
関連する文学賞
- 日本推理作家協会賞 第64回(2011年) ・受賞