日本の文学賞

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ヤマトシジミの食卓

日本児童文学者協会賞

ヤマトシジミの食卓

吉田道子

ひとりぼっちのかんこは、空き地の平たい石を「ヤマトシジミの食卓」と呼ぶ風助さんと出会う。血のつながりを越えた温かい関係のなかで、子どもの孤独と支え合いが描かれる。

孤独家族のような絆子どもの居場所励まし児童文学

作品情報

小さな食卓の名が、ひとりぼっちの子に居場所をくれる。

くもん出版から 2010 年に刊行された吉田道子の児童文学。大野八生が画を担当。電子版も配信されている。

レビュー要約

  • 血縁に限られない家族的なつながりと、弱い立場の子どもを包む温かさが印象に残る作品として受け止められている。やさしい語り口の奥に、孤独へのまなざしがある。

書籍情報

出版社
くもん出版
発売日
2010-06-01
ページ数
121ページ
言語
日本語
サイズ
13.6 x 1.6 x 19.5 cm
ISBN-13
9784774317489
ISBN-10
4774317489
価格
1 JPY
カテゴリ
本/文学・評論

Amazon.co.jp: ヤマトシジミの食卓 : 吉田 道子, 大野 八生: 本

レビュー

  • オススメ

    第57回(平成23年)青少年読書感想文全国コンクール課題図書(小学3〜4年向け)です。 「感動させよう」「泣かせよう」を前面に押し出してくる本が多い昨今 さりげない内容で読者を爽やかにジーンとさせる 作者の高い述力が感じられる質の高い作品です。 短く平易に書かれていますので 小学3〜4年生ならあっという間に読めてしまいますが 緻密に内容を展開させれば 大人でも読める作品になりえる、よく出来たストーリーとなっています。 掛け値なしにオススメ!

  • ありがとうございました。

    大野八生さんのイラストがとてもかわいいでした。今後の出版物も楽しみにしたいと思います。

  • 生まれ育った場所って大切

    私の実家は田舎で過疎化がすすんでいて、うちも一人っ子だった私は嫁ででて。今は父母祖父母が住んでいるけれど、その後はどうなるんだろうという思いがあります。 同級生7人山を駆け巡って遊んだり、蛍をみたり。 うちの庭も家の柱も一つ一つ小さい頃から思い入れがあります。 そんな思いがふうすけさんと重なります。 そして今御一人の老人が多いこと、最期を老人ホームで迎えること、なんだかさみしくなりました。 便利さばかりを求めず、もっといいあったかい社会がつくれないものかと思うばかりです。

  • おじいちゃんを拾ってきたかんこちゃん

    小学3年生のかんこちゃんという女の子と風助さんというおじいさんの世代を超えたやりとりがほのぼのとしているお話です。ヤマトシジミがいっぱいの川原の情景が浮かび上がるようなイラストもほのぼのしていていいのですが、犬を拾ってきたお兄ちゃんのまねをしておじいさんを拾ってきたり、亡くした父親と重ね合わせてその人と暮らしてしまう両親というのは、子どもにとってどうなのかな〜?という感じもしました。

  • 人生最期の旅で

    かんこと風助爺さんとの関わりの話である。 かんこは小学校3年生。 京都で父、母、小学高6年生の兄と一緒に暮らしている。 かんこと風助爺さんは2年前知り合った。 夏休み近くのある日、かんこは、兄が拾ってきた犬を独り占めすることや友達が転校したこともあって、面白くなかった。 そんなとき、小川の近くの空き地で、かんこは風助爺さんと知り合った。 空き地の大きな平たい石の上に、おじいさんが座っていた。 おじいさんは「風助」と名乗った。 お兄さんの拾ってきた犬に、どこか似ていることもあり、かんこはそのおじいさんを「拾って」帰った。 足をくじいていたこと、前の年、実のお爺さんが遠くの岩手で亡くなったこともあり、風助爺さんはかんこの家で3週間余り過ごした。 その後、風助爺さんは2週間程一緒に暮らして、どこかに行くということを繰り返した。 風助爺さんは「あしたは、いつだって、かんこの味方だ」とかんこを励ましてくれたり、色々なことを教えてくれた。 「このかわにはカワウソがいた」「ここももっと大きかった」「フナもドジョウもいたし、シジミもたくさんとれた」 等々、このあたりのことも教えてくれた。かんこはそれを神話といった。 そのなかで、「かわらないものは、ここの、この石」と、風助爺さんがいつも座っている平たくて大きな石をさしていった。 そしてそれを「ヤマトシジミの食卓」と呼んだ。 そのとき、なぜそういうのかは教えてくれなかった。 かんこは気になって調べてみた。 ヤマトシジミの幼虫はカタバミの葉を食べるのだ。 石のまわりにはいっぱい、カタバミが生えていた。 「カタバミがいっぱい生えているところだから、ヤマトシジミの食卓なんだ。」ということが分かった。 その石のところで、かんこは、かお、という同じ3年生の女の子とも友達になった。 風助爺さん、かお、かんこの3人で、その石のところで過ごしたり、家族とも一緒に花火をしたりした。 1年近くが過ぎたころ、風助爺さんが姿を現さなくなった。 調べたところ、風助爺さんは、30年前までその石のところで暮らしていた八木千吾という人であることがわかった。 その人が暮らしていた家は何年も前から空き地になっていたことも、「ヤマトシジミの食卓」がその人の家のくつぬぎ石であったことも分かった。 そしてそのひとはシジミチョウが大好きだったことも。 その人は仕事ひとすじで、だれも信用しない、信ずるのは自分だけ、という生き方をしてきたそうだ。 かんこが4年生の3月に、風助爺さんは、住んでいた和歌山の海のそばの老人ホームで亡くなった、という連絡がきた。 亡くなる前に、かんこたちとした花火のことを思い出せるように、棺の中に花火を入れるよう頼んだそうである。 そして風助爺さんは、自分の死んだあと、かんこに自分の住んでいた「ヤマトシジミの食卓」のある土地を譲るよう言い残して亡くなった。 かんこと出会ったことが「人生のなかでいちばんの幸運です」という手紙とともに。 ひとは人生の最後が近づいてくると言いようのない孤独感に襲われるものである。 そしてそのような時、人は過去の思い出をたどり、自分の人生を確認したくなるものである。 風助爺さんもきっとそうであったに違いない。 そのようななかで、風助爺さんはかんこたちと出会った。 風助爺さんは、孤独なその人生の最後に、人と人とのふれあいのある楽しい時を過ごすことができた。 そしてその素晴らしい思い出を大切にして人生を終えることができた。 風助爺さんは、人生で最も素晴らしいひとときを貰ったお礼に、最も大切にしていた「ヤマトシジミの食卓」をかんこに上げたのかもしれない。 人生において何が大切かを考えさせてくれた本だと思う。

  • 和物ファンタジー・風助さんのお気持ち

    表紙のほのぼのとした“和物”のたたずまい、 本文行間からも懐かしくも落ち着いた思いが漂っていて、 小品ではありますが、 日常から少しだけ離れたお話の世界に遊び、 読後は、穏やかな気持ちになれる秀作です。 主人公は小学校3年生のかんこ、6年生の兄が子犬を拾ってきたように、 かんこは、ヤマトシジミの食卓で出会った 足をくじいたおじいさん・風助さんを拾ってきます。 そしてそのまま風助さんは、かんこの家に滞ることになります。 冷静に考えますと、ありえないお話なのですが、 もしかしたらこんなお話がどこかにあるかもしれないと思うのは 風助さんのお人柄と、 時々見られる風助さんのさびしい表情に惹かれるからかもしれません。

  • 読み終わってあたたかい気持ちに

    主人公、かんこは、小学三年生の時に、犬をひろった兄ちゃんと同じように、じっちゃんををひろってきた。風助さんという、じっちゃんに、かんこは、いろいろな話をしてもらった。かんこの生まれる前の昔の話をじっちゃんは、神話と言った。このお話じたいが、現代の神話みたいなファンタジーになっている。簡潔でやわらかな文章は詩的である。行間からお日さまや草の匂いがし、虫の声が聞こえてくる。ほのぼのとした人と人との関係。いいなあと思う。 イラストもすてきで、お話しにぴったりだと思った。 気になったのは、子どもはどのように読むのだろうかということと、かんこの友だちになるかおちゃんの「学校やめて、チョウの番をする」が、学校が嫌いなんだなぁと思えたから。

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