作品情報
昼の明るさにも夜の沈黙にも、詩の呼吸がひそんでいる。
静かな語りの中に残る違和感や、日常を別の角度から見せる言葉遣いが評価されている。強い物語性よりも、詩行の感触を読む作品として受け止められている。
レビュー要約
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静かな語りの中に残る違和感や、日常を別の角度から見せる言葉遣いが評価されている。強い物語性よりも、詩行の感触を読む作品として受け止められている。
書籍情報
- 出版社
- 思潮社
- 発売日
- 2006-02-01
- ページ数
- 284ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784783716303
- ISBN-10
- 4783716307
- 価格
- 2420 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/詩歌/詩論
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レビュー
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時に詩論、時に詩史論、時に詩人論、いずれも中途半端
評者は82歳の引退町医者である。高校時代に「海潮音」を読んで詩にかぶれ、一時詩人として暮らそうと決めた事があるが、両親による家業の継承の懇望もだしがたく歯学部を卒業した。さて、そうして医の現場にたつようになってからも詩から離れることができず、悶々として苦しんだが、詩を書くことと医学・歯科医療の実践とはどうしても両立することができず、医の修行がいい加減では人間として患者に顔向けができないと決心して大方の詩集や詩書を売り払って詩を棄てた。だが、最低限の詩や詩論を「読み物」として読むことだけはどうしてもやめられなかった。だから、長い年月詩や詩論に親しんできたとはいえ、評者はいまだに一介のヒラの読者にすぎない。 さて吉本氏のこの著書、外見では書き下ろしの堂々たる長編詩論のようにみえるが、そのじつ、各種の雑誌に掲載した所論を寄せ集めて一書に仕立てあげたものようで、よく読むと文体の統一はなく、論の精粗もバラバラである。そうなったのも、各章句が、章末毎にバラバラに異なった載誌に掲載されたからなのであろう。 詩史論として大長編の名著には、日夏耿之介の「明治大正詩史」がある。その論旨の妥当性の適否とその文体の偏癖への好き嫌いは読者の自由だが、論の対象とする詩作品を広範に渉猟した点及びその鑑賞の徹底ぶりは依然名著の名に恥じない。また詩論としては萩原朔太郎の「詩の原理」が著名である。これも名著といえる。 この吉本本はその日夏の論に真っ向から喧嘩を売るような所がある。蒲原有明や薄田泣菫の詩に対する評価がその一つである。このあたりを詳しく論じてもらえたら、詩の読者にとっては空前の読み物となったであろうが、残念ながら吉本氏はイタチの最後っ屁のような決めつけ言葉を投げつけただけで終ってしまった。本書にはついに日夏のヒの字も出てこない。このあたりが鮎川信夫の書くものとの違いで、鮎川は日夏と西脇順三郎には「先生」の敬称を奉っている。 吉本にもそうしろと言っているわけではない。しかし、否定するにせよ、批判するにせよ、先行する者の業績は無視するべきではない。 本書の文体にも注文がある。漢字で書くべきところ仮名がきが多いものだから読みにくいこと甚だしい。作家の司馬遼太郎などもよくこの手を使うが、彼の場合はちゃんとした思惑が見て取れる。吉本の場合は漢字を書くのはメンドクサイといった杜撰さが感じられる。その反面、ビクッとするような鋭敏な分析があるのだから、精読しているうちになんだか精神障害者と面接しているような不気味な思いにとらわれる事がある。本来ならここで原文を引用して詳しく議論すべきなのだがこんなレビューではそれはできない。 吉本さんよ、アンタは詩人というより、詩を棄てて「思想」にはしった人ではないかね。評者は思想というヤツは大嫌いで、世に日本の思想家くらいタチの悪い人種はいないとすら思っている者だが、詩論という文章には、日本語の詩を一段といいものにしたいという情熱があってこそ存在価値があるというものではないかね。その点で、三好達治の分析など見事な所があるが、それにしても精緻と疎漏が交互に入りまじる文体はなんとかならなかったものかな。それとも、おぬし、歳をとってからこの文章を書いたのかな。そこが遺憾なので、星ひとつ減らした。
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驚異の表現方法
言葉では言い尽くせないものがあることは誰でもが知っている。 この言いつくせないものを言いつくそうとするのが、この本だ。 その方法とは、言語を<意味>ではなく<価値>で表現するのだ。 この試行錯誤の面白さは、驚異と言っていい。
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詩の原理論をやる人は詩が読めるひとである
本書(2006年刊)は、第Ⅰ部と第Ⅱ部に分かれ、第Ⅰ部では2000年代に雑誌に発表された日本近代詩をめぐる新しめのエッセー2篇、第Ⅱ部ではすでに勁草書房の『著作集』などにも入っていた著者(1924-2012)の初期の詩論エッセー8篇(「新体詩まで」、「日本近代詩の源流」、「表現転移論」ⅠとⅡ、「現代詩の問題」、「『四季』派の本質」、「戦争中の現代詩」、「近代精神の詩的展開」)が再収録されています。 こうして著者初期の古いエッセーが本書5分の4ほどを占めているので本の作りとしてはかなり安易な感じがしなくもありません。 評者は、第Ⅱ部は既読のものがほとんどということもあり、第Ⅰ部のみにまず目を通しました。 第Ⅰ部は、「七・五調の喪失と日本近代詩の百年」と「初期象徴詩の問題」の二篇のエッセーで成り立っています。著者が晩年になってもなお日本の近代詩のありように関心をいだいていたことに少しばかり驚きがありましたが、こちらとしては、読みながらところどころで異論や疑問をもちながらも、しかし大きなところではむしろ同意することのほうが多く、吉本隆明は詩が読めるひとだなあということもあらためて感じたしだい。 最初のエッセーではベンヤミンの翻訳論に示唆された視角から近代詩の詩言語がとらえられているところがあるように思えたことと二番目のエッセーでは富永太郎と関連させて三木露風の再評価がなされていることを自分の備忘のため書きとめておきます。
関連する文学賞
- 中原中也賞 第9回(2004年) ・受賞