日本の文学賞

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耕治人

こうはると

Koji Hito

ペンネーム: 耕治人創作上の筆名として用いた名前

プロフィール

性別
男性
生誕
1906-08-01 (熊本県八代市)
死没
1988-01-06 81歳
国籍
日本
言語
日本語
居住地歴
熊本県八代市(出生) → 東京都中野区野方(1951年以降)

経歴

職業
小説家, 詩人
活動期間
1930年〜1988年
影響を受けた人物
千家元麿, 川端康成

学歴

明治学院大学
英文科 / 英文科
国: 日本

受賞歴

読売文学賞
1970
対象作品: 一条の光
主催: 読売新聞社
結果: winner
平林たい子文学賞
1972
対象作品: この世に招かれてきた客
主催: 平林たい子文学賞
結果: winner

受賞・候補エディション

読売文学賞 1回登壇
  1. 受賞作: 一條の光

    『一條の光』は耕治人による小説。かすかな光の感覚に託して、老いと孤独、救いへの希求を描く。

    一條の光は、時代の陰影の中で人が抱える痛みと意志を見つめる作品。

    251ページ
    老い家族信仰
  1. 受賞作: この世に招かれてきた客

    『この世に招かれてきた客』は耕治人による文学作品で、平林たい子文学賞の受賞作として位置づけられている。作品は当時の文学的関心や作家の表現上の特色を伝える一冊である。

    平林たい子文学賞が評価した『この世に招かれてきた客』は、耕治人の表現をたどる入口となる作品である。

    文学受賞作表現
  1. 受賞作: 耕治人全詩集

    『耕治人全詩集』は、耕治人が1981年前後に発表し、芸術選奨文部科学大臣賞の対象となった作品である。受賞文脈では、同時代の文学・詩歌・芸術表現のなかで独自の主題や形式が評価された。

    芸術選奨文部科学大臣賞で注目された耕治人の作品。

    受賞作同時代表現文学賞

作品

代表作

耕治人詩集

1930年 詩集

千家元麿に師事して詩作を始めた初期の詩をまとめた詩集。1930年刊。

青春孤独内省

結婚

1948年 小説

1948年刊の小説。戦後の人間関係や社会を扱った作品。

戦後人間関係家族

一条の光

1969年 小説

私小説的な作風で個人の内面と生活の苦悩を細やかに描いた作品。1970年に読売文学賞を受賞した。

私小説内面描写孤独

うずまき

1975年 小説

川端康成没後に発表された作品の一つで、恩人に土地を騙し取られたと暗に非難するような主題を扱い、論争を招いた。

土地問題対人関係妄想と現実

天井から降る哀しい音

1986年 短編集

1986年刊。代表作の一つとされる作品集で、哀切な筆致や老いや孤独をめぐる主題が含まれる。

老い孤独哀惜

そうかもしれない

1988年 短編

晩年の短編。認知症になった妻が夫を認められなくなり、看護婦に『あなたのご主人ですよ』と繰り返されて『そうかもしれない』と答える場面が表題となる作品で、没後にささやかな再評価をもたらした。

認知症老い夫婦関係記憶

全著作

  • 耕治人詩集
  • 結婚
  • 不良女学生
  • 詩人千家元麿
  • 喪われた祖国
  • 詩人蘿月
  • 懐胎
  • 一条の光
  • 詩人に死が訪れる時
  • うずまき
  • 母の霊
  • 料理
  • 耕治人全詩集
  • 天井から降る哀しい音
  • 耕治人全集(全7巻)
  • そうかもしれない
  • 一条の光・天井から降る哀しい音(講談社文芸文庫)

翻案

  • NHK特集「どんなご縁で〜ある老作家夫婦の愛と死〜」(1988年)

作風・主題

文体
私小説的な筆致抒情的で哀切な語り
頻出モチーフ
老い孤独土地・権利の争い記憶の喪失

健康

  • 不眠症(睡眠薬常用)
    1960年代以降
    睡眠薬常用による健康悪化、心臓障害の発症や通院を招いた。
  • 心臓障害
    1960年代以降
    通院や入院を要し、執筆と生活に影響を与えた。1967年に睡眠薬による自殺未遂があった。

評価・遺産

戦後の私小説系作家として長く不遇であったが、1970年の読売文学賞受賞などを経て評価が高まった。没後、短編『そうかもしれない』の哀切さにより小規模な再評価が起こり、全集刊行により研究・再刊が行われた。川端康成との関係や土地を巡る論争も遺された。

大衆文化への影響

  • NHK特集『どんなご縁で〜ある老作家夫婦の愛と死〜』(1988年)

引用

  • そうかもしれない。
    出典: 短編『そうかもしれない』, 講談社 1988年 (1988年)

豆知識

  • 本名の姓は「たがやす」と読むとされる。
  • 1951年に借地に屋を建て中野区野方で居住を始めた。
  • 1960年頃から不眠症となり睡眠薬を常用した。
  • 1967年に睡眠薬による自殺未遂を起こし入院した記録がある。