岡本太郎の見た日本
『岡本太郎の見た日本』は、赤坂憲雄が岡本太郎の日本論を手がかりに、縄文、民俗、東北、近代を横断して日本文化を問い直す評論です。岡本の眼差しを通して、制度化された美術史とは異なる日本像を探ります。
作品情報
岡本太郎の眼差しを借りて、日本文化の底にある野性と近代への抵抗を探ります。
岩波書店刊。岡本太郎の思想と行動を読み直し、近代日本が見落としてきた感性や土地の力を掘り起こす著作です。
レビュー要約
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岡本太郎を通じて日本文化を読み替える射程の広さが評価され、民俗学と芸術論を横断する読み応えがあります。
書籍情報
- 出版社
- 岩波書店
- 発売日
- 2007-06-26
- ページ数
- 375ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784000223911
- ISBN-10
- 4000223917
- 価格
- 1000 JPY
- カテゴリ
- 本/アート・建築・デザイン/芸術一般/美術史/東洋・日本美術史
第17回(2007年) Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞
レビュー
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本物と本物
岡本太郎と赤坂憲雄。本物が本物を誘う。良書。本物を知りたい方へ。
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岡本太郎は身をやつした民族学者だった。
芸術は爆発だ!という岡本太郎のイメージを覆す内容、最終章「世界とはなにか」は必読だと思います。
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民族学と芸術が隣り合っていることとは?
岡本太郎という方に関しては 2003年頃の東北新幹線の車内誌で 彼が撮った白黒の東北の写真を見て以来 興味があった。今思うと その記事も 赤坂が書いていたような気がする。そんなわけで本書を読む機会となった。 まず 岡本が パリで得た「視点」で日本を見るに際し 初めに京都・奈良を否定した点に感銘を受けた。 和辻哲郎の「古寺巡礼」や 亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」に親しんできた僕として 日本の独自の文化を考える際には まず奈良を考えてきた。但し 考えてみると 奈良の文化はその当時のほんの一握りのエリートたちが享受していた「上澄み」であることに今 思い当たる。そんな「上澄み」だけで日本を理解することはできないという指摘を 岡本から受けた思いだ。 次に岡本が 芸術家にして民族学者でありえたという点に驚いた。 岡本というと「爆発芸術家」というイメージしか無かっただけに 本書で描かれる岡本のもう一つの顔に驚いたのである。 本書を読んだ後で 例えば「太陽の塔」を想ってみると 確かに あの不思議で強烈な姿には縄文時代が香り立つ。 逆に言うと 民族学者が扱っている様々な素材は 既に「芸術」と紙一重なのではないかとも考えられるのかもしれない。少なくとも 岡本は パリでモースやバタイユから学んだことが 彼のその後の芸術に「見えている」点に 凄味があるとすら思う。 こういう岡本を「発掘」した点が 著者の手柄であることは言うまでもない。赤坂の 幾分情緒的な文章は相変わらずだが 対象への思い入れを感じさせる好著だ。
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心が揺さぶられたことを、私はあえて隠そうとはしない。
「網野善彦を継ぐ。」で赤坂さんを知り、読みましたが。岡本太郎さんファンはもちろんのこと、文化人類学、民俗学あたりに興味がある人も読んだら面白く感じるのではないかと。私は中沢新一さんの本を読むことが多かったのですが、また「少し」違う視座から「東北」的なものごとを解釈されており、するめを噛むようにじわじわと面白みが伝わってきました。岡本さんとバタイユとの絡み「秘密結社 アセフェル」、モースの下での学び、縄文土器との出会い、東北、沖縄、韓国紀行と、ひとつひとつのエピソードが劇的で、岡本さんの感動は実は的確に文章化されているのに、昔CMで見た人の元気のよいおじいさんといった面影からは失礼ながら想像できませんでした。変なたとえですが、このエピソードを換骨奪胎して深夜用の「萌え」アニメをつくったら結構売れるのではないかと。岡本太郎さんの著書から引用していて、注目してほしいところに傍点がふられています。その傍点の密度の濃さが尋常ではなく「ここをぜひ読んでくれ!」と訴えているようで、著者の熱い思いが伝わってきました。赤坂さんは、中沢さんと異なり柳田国男ファンなのではと勝手に感じました。とにかくこの本を読んで岡本太郎さんへの見方が120度くらい変わりました。あのどぎつさ、過激さ、奔放さがどこから来るのか?その衝動は?「今日の芸術は世界性を持ちながらも、同時に身近な現実との対決で泥だらけになっていなければならぬ」「向こうの泥だけが意味深く、日本の泥より優れていると考えるのは卑怯だ」そんな目線でまずは渋谷に行って「明日の神話」を見てこようかと。
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「いくつもの日本」への透徹なまなざし
驚くことに、「あとがき」で著者は、「岡本太郎という人にたいして興味がなかった」と述べているが、著者自身がこれまで『東西/南北考』などで主張してきた、日本に対する視点は、本書での岡本太郎のまなざしと実に奇妙なほどに一致している。それはもちろん、本書自体が、著者の民俗学的知識を背景とした岡本太郎の民族学的思想のダイジェストとその解説になっていることにもよるが、何よりも、いくつもの文化的な源流の交差上に浮かぶ、「日本」に備わった強烈な「パティキュラリティー」(固有性)を、両者が正面から透徹に見据えていたことによるのだろう。「日本」という「いま・ここ」に生活することの意味を、豊かに開いていくための啓示に富んだ書である。