日本の文学賞

← 受賞作品一覧に戻る
流れる (新潮文庫)

野間文芸賞

流れる (新潮文庫)

幸田文

『流れる』は、没落しかかった芸者置屋に女中として住み込んだ梨花の視線を通して、花柳界に生きる女性たちの暮らしと感情を描く幸田文の代表的長編である。華やかな表側の奥にある哀しさ、はかなさ、浮き沈みを、台所の裏側から観察する細やかな筆致が支えている。

花柳界女性の生活没落する置屋観察者の視線戦後文学

作品情報

台所の裏側から花柳界を見つめ、女たちの生の揺れを静かに描いた幸田文の傑作である。

幸田文の『流れる』は、四十すぎの未亡人である梨花が、没落しかかった芸者置屋に女中として住み込み、花柳界の風習や芸者たちの生態、そこに起こる出来事を台所の裏側から見つめる物語である。新潮文庫版は1957年12月刊行、304ページ、ISBN 9784101116020 の文庫として現在も出版社公式ページに掲載され、電子書籍版も案内されている。

レビュー要約

  • 芸妓の艶やかな世界を外側から眺めるのではなく、住み込みの女中の視線で生活の細部まで描く点が作品の力になっている。華やかさと哀しさが同時に立ち上がる筆致が評価されている。

書籍情報

出版社
新潮社
発売日
1957-12-27
ページ数
304ページ
言語
日本語
サイズ
14.8 x 10.5 x 2 cm
ISBN-13
9784101116020
ISBN-10
4101116024
価格
737 JPY
カテゴリ
本/文学・評論

女中が見た芸妓の艶。花柳界に力強く生きる女性たちを活写した幸田文学を代表する傑作。 【日本芸術院賞 新潮社文学賞 受賞】 梨花は寮母、掃除婦、犬屋の女中まで経験してきた四十すぎの未亡人だが、教養もあり、気性もしっかりしている。没落しかかった芸者置屋に女中として住みこんだ彼女は、花柳界の風習や芸者たちの生態を台所の裏側からこまかく観察し、そこに起る事件に驚きの目を見張る……。 華やかな生活の裏に流れる哀しさやはかなさ、浮き沈みの激しさを、繊細な感覚でとらえ、詩情豊かに描く。 1956年、成瀬巳喜男監督によって映画化された。田中絹代、山田五十鈴、栗島すみ子、杉村春子、高峰秀子などが出演している。 巻末「著者のことば」より 小さいときから川を見ていた。水は流れたがって、とっとと走り下りていた。そのくせとまりたがりもして、たゆたい、渋り、淀み、でもまた流れていた。川には橋がかかっていた。人は橋が川の流れの上にかけられていることなど頓着なく、平気で渡って行った。私もそうした。橋はなんでもない。なんでもないけれど橋へかかると、なぜか心はいつも一瞬ためらって、川上川下、この岸あの岸と眺めるのだ。 水は流れるし、橋は通じるし、「流れる」とは題したけれど、橋手前のあの、ふとためらう心には強く惹かれている。 本書「解説」より 幸田さんの文章を見ているうちに、次第に私はこういうことに気がつき出した、つまりこれは文章家の書いた文章ではないということ。文字があって、その文字を排列して出来上ったという文章ではない。ことばがあったのだ。声音を伴うことばがまずあったのだ。そのことばを、まあかりに文字に移し写してみたのだ。そういう工合にして文章が出来上ったのだ。文字によって構成される文章というもののロジックではなしに、話される生きたことばのロジックに従って文章となったというのが幸田さんの文章である。 ――高橋義孝(文芸評論家) 幸田文 (1904-1990) 東京生れ。幸田露伴次女。1928(昭和3)年、清酒問屋に嫁ぐも、十年後に離婚、娘を連れて晩年の父のもとに帰る。露伴の没後、父を追憶する文章を続けて発表、たちまち注目されるところとなり、1954年の『黒い裾』により読売文学賞を受賞。1956年の『流れる』は新潮社文学賞、日本芸術院賞の両賞を得た。他の作品に『闘』(女流文学賞)、『崩れ』『包む』など。

レビュー

  • 素晴らしかった

    昭和初期の、花街の雰囲気、女たちの意地、くろうとの世界がなんとも魅力的に描かれている。これは名作だと思う。こんなところで生きていくのはとんでもなく大変であろうが、その雰囲気の中にちょっとでも顔を突っ込んでみたくなるような、魅力的なまちだった。

  • 本の内容が、情緒あふれるものだった。

    本の内容が、情緒あふれるものだった。

  • 読み手が限られそう

    花柳界に縁のなかった女中から見た芸者置屋のドロドロとした内情の話です。 女性からみた女性のサル山の話でもあります。この設定に興味のない人には 読みにくいかも知れません。 「きたないことを我慢しさせすれば飯食う口をひとに預けられていられる」と の女中の覚悟も凄いです。自分は落ちぶれてもここまでできないでしょう。 ピンハネされたり、芸者をクビにしたりと、今でいうブラックなアルバイト先 での出来事と一部被りました。 なお、主人公の女中は、雇い主に「あなた一体どういう素性なの?」と詰めら れるなど訳ありな感じですが正体は明かされていません。

  • 芸者置屋の歳時記

    昭和三十年代、芸者の生業が斜陽に差し掛かる頃、とある町の置屋の下働きとして梨花は住み込んだ。 見聞きする玄人粋筋の公私入り混じった女たちの生態。篩に掛かった淀みのない慧眼を、喧しく棲息す る女たちに向ける傍ら、女たちが見向きのしない瀕死の飼い犬の世話を卒なくこなしていた。日々見ると も聞くともなく生活していても、やがて嫌が応でも見え聞こえするお家の事情を算盤勘定するのが女中の 特権でもある。玄人筋の生活の転変、羽振りにいい旦那の一軒家に鞍替えする女のえくぼに、長年の芸 者生活で培われた刀痕にも似た陰惨な笑顔(文中)を見出したり、今の芸者の質の低下。素人筋と玄人 筋に境目がなくなって、もはや花柳界も過渡期(文中)であると、こたつの中でぽつりともらす主人の姿に 一つ家に寝起きする女中の身として、図らずも他人事ではない親密さがわいてきたりする。打って変わり ある女などは長いこと音信不通だった糸へん会社のアプレ社長(文中)から電話をもらうと、悪態をつき ながらもそそくさと身支度を整え、会いに行こうと落ち着かない。それをはやしたてる、妬っかみと冷やか し半分の女たちの憎まれ口は冴えている。お天気屋の女たちの移ろいを、作者は丁々発止と巧みに描 いている。

  • 久々に感銘を受けた美しい日本語です

    日本語ってこんなにも美しいものなのか、と久々に感動しました。私にとっては須賀敦子さんの「ミラノ霧の風景」以来の衝撃でした。 わんわん言葉が多いのがちょっと気にはなったが。 あんまりミステリーとかばかり読んでいてはいけない!と自省します。 特に多感な学生さんなんかには是非読んで欲しい本です。

  • 流れるというタイトルが示すもの

    幸田文さんは、この小説をなぜ「流れる」と名付けたのだろうか。 実は読了しても、私にははっきりとわからなかった。 でも何となくはわかる。その「何となく」をもとにレビューを書き進めることにする。 主人公の梨花が女中として飛び込んだのは、芸妓を数人だけ抱える小さな置屋。 そこは世間一般を「しろうと」と呼び、自分たちを「くろうと」と呼ぶ世界。 この作品が書かれたのは昭和30年。戦後10年目を迎え、時代が急速に変化していた時期。 古いしきたりや和服の世界が描かれるのと並行して、自動車や電話が日常生活に入り込む。 そういう時代の過渡期に、古いものを守ろうとするか、それとも古きを捨てて新しい物を取り入れようとするか ふたつに一つの選択が迫られる状況は、小説の背景として動的で面白い。 でも私が読んだ限りは、「しろうと」が時代の先をいくとか、あるいは「くろうと」が古き良きものを守っていくとか、そう単純な図式には思えなかった。 そもそも、この小説の登場人物を単純に「しろうと」「くろうと」の二元論で切り分けて読むことが果たして正しいのか? 確かに梨花は最初、芸の世界では全くのしろうとだったが、一癖ふた癖な女たちに囲まれてるうちに、 多くはさらりと冷たい視線でかわし、くろうとから一線を引くものの、 かと思えば、時には女としての感情をいっしょにふるわせてくろうとに同情する場面も出てくるなど、 梨花自身、まるで元々くろうとであったかのような姿も描かれる。 逆に、くろうとの女主人や芸妓が難無くしろうとへの境界を飛び越え、その言動が「えっ、それってしろうとと同じやん?!」って場面がたびたび現れる。 小説の最大の魅力のひとつに“人間を描いている”というのがあると思うが、 私の好きな ダブリナーズ (新潮文庫) でJ・ジョイスは何のことはない市井の人間を描き出すことで 人間の“魅力”と“汚れ”といった一切を表現しようとしたように、 文さんは芸妓の世界に、その可能性を見出し、小説の主題に選んだのだろう。 古くて保守的な芸妓の世界を描く作品を「流れる」と名付けたのは、 自分自身の変化の多い人生遍歴を流れると意味したというだけでなく、 また、職を転々とした末に「流れ着いた」ところという意味だけでもない、 私は文さんが、一見古く澱んだ「くろうと」の世界にこそ、人間の真実の姿をはっきりと示す人間の心の機微の「流れ」を見出したからなのでは、と思えた。

  • 「流れる」ように自発的に人生を「生きる」ことの難しさ

    花街置屋の浮き沈みある人間模様を描いた本書から、作者が紆余曲折あって子連れで親許に帰り、自活の為に置屋で実際に女中奉公を体験した文豪幸田露伴の娘だと知り、二度ビックリした。 醒めた眼を観察に向ける梨花と同じ体験が幸田 文という作家の出発点で、飼い犬の「飯碗と排泄物」にまみれた置屋玄関の三和土(たたき)の余りに汚い描写に、女中勤めに励む梨花と作者自身の「訳あり人生」が見出せるのも驚きだった。 ちなみに、女中梨花を田中絹代、左前の置屋主人を山田五十鈴、その一人娘を高峰秀子、芸妓たちを杉村春子、岡田茉莉子、先輩の料亭女将を松竹蒲田往年の大看板女優栗島すみ子が競演(共演)した成瀬己喜男監督の映像化作品も良かった。 小説冒頭から昭和の生活臭が紛紛と漂う。梨花が気に掛けた犬は病気で死に、「(前略)ひきずる鎖の音が忘れられない。死ぬまで何のために繋がれていたいのちなのだろう」と自問する。今日なら飼い主は動物虐待で指弾されようが、六十余年も前の昔は愛護法も飼育マナーも発展途上の彼方にあった。 臭いの記憶は、幼少時に昭和三十年代の末を知る私にも鮮明に残っている。例えば、汲み取りを終えたバキュームカー、天井からぶら下る蠅取り紙、木箱に溢れる町内ごみ、元傷痍軍人が発する膏薬、衣服に染みたナフタリンなど、物心ついた頃の昭和は悪臭と貧しさの中だ。 やがて冷蔵庫、カラーTV、クーラーの登場と五輪や万博の開催で、時代の移り変わりと豊かさが実感できるようになる。本書は、貧しさを引き摺りつつも最早戦後ではない時代に、芸者衆が身を寄せる「くろうと」世界を「しろうと」目線で覗き見し、花柳界の住人の実態を暴く。 姪失踪の因縁話を持ち出し置屋主人をゆする石工との二度目の対決で本題に触れず世間話でとぼける女主人の対応に「妓の最高技術を尽くして」「はっきりと座敷を勤めている」と感心するも、「親爺の貧乏」の年季が勝る結果に妙に得心がゆく梨花。 「流される」生き方や、敢えて「流れに掉さす」生き方もある。流れに身を任す術しか知らぬ芸妓たちの、なんと太々しく逞しいことか。高きから低きへと自然の摂理で「流れる」川の水の如く、人間は自発的に人生を「流れる」ように「生きる」ことができれば、それに越したことはないのだが…実に至難の道だ。

  • 私の好みでは全くありませんでした。特に文体が。

    高評価レビューの多い 世間で「名作」といわれている作品の 低評価レビューを書くのは、ある意味 勇気のいる事ですね。笑 でも、あえて言わせて頂きますと、 最初のセンテンスからして、仰々しくて 何を言っているのか訳が分かりませんでした。 父上・幸田露伴先生の作品は、 一作だけですけど、読んでいるのです。 田中芳樹氏が若者向けに 口語訳した「運命」ですが。 閑話休題。 私は辻邦生先生を 非常に尊敬していますが、 ある人に 「その方の作品で最も読みやすい作品を 紹介してくれ」と頼まれ、 「光の大地」をお薦めしたのですが、 「最初のセンテンスからして仰々しい感じがして 全くついていけなかった」と言われました。 その人、国立大学の大学院出てる人なので (教育心理学専攻)、知的な面で 決して馬鹿とか無能なんかじゃないと 思うのですが… その人にとって辻邦生に当たる 「鬼門作家」が私にとっては、 幸田文さんだったという事なのでしょう。 この方の文章と比べたら、 井上究一郎訳のプルーストや 米川正夫訳のドストエフスキーや 実吉訳のトーマス・マンのほうが、 私は、スラスラ読めますね。 幸田さんの作品が、 高等学校や大学の国語現代文の入試問題 でなくて良かったですね。笑

関連する文学賞