作品情報
戦後日本の言葉を、民主主義と愛国の緊張から読み解く。
新曜社から 2002 年に刊行。丸山眞男、大塚久雄、竹内好、吉本隆明、江藤淳、鶴見俊輔らの思想から、憲法、教育、社会運動までを横断し、戦後日本の公共性の成り立ちを問う。
レビュー要約
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戦後史を考える際の根本的な疑問に正面から向き合い、膨大な言説を整理しながら問題の構造を示す点が高く評価されている。読み応えは重いが、戦後認識の土台を問い直す力がある。
書籍情報
- 出版社
- 新曜社
- 発売日
- 2002-11-01
- ページ数
- 966ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 14.8 x 8 x 21 cm
- ISBN-13
- 9784788508194
- ISBN-10
- 4788508192
- 価格
- 6930 JPY
- カテゴリ
- 本/歴史・地理/日本史/一般/日本史一般
私たちは「戦後」を知らない。 これまで語られることのなかった戦争の記憶を掘り起こし、戦後に流通した言葉や思想家たちの言説を丹念にたどることで、「戦後」の姿を生き生きと甦らせ,私たちの現在を照らし出す。 今回は、太平洋戦争に敗れた日本人が、戦後いかに振舞い思想したかを、占領期から70年代の「ベ平連」までたどったものです。 戦争体験・戦死者の記憶の生ま生ましい時代から、日本人が「民主主義」「平和」「民族」「国家」などの概念をめぐってどのように思想し行動してきたか、また、そのねじれと変動の過程があざやかに描かれます。 目次 第1章 モラルの焦土――戦争と社会状況 セクショナリズムと無責任/軍需工場の実態/組織生活と統制経済/知識人たち/学徒兵の経験/「戦後」の始まり 第2章 総力戦と民主主義――丸山眞男・大塚久雄 「愛国」としての「民主主義/総動員の思想/「国民主義」の思想/「超国家主義」と「国民主義」/「近代的人間類型」の創出/「大衆」への嫌悪/屈辱の記憶 第3章 忠誠と反逆――敗戦直後の天皇論 「戦争責任」の追及/ある少年兵の天皇観/天皇退位論の台頭/共産党の「愛国」/「主体性」と天皇制/「武士道」と「天皇の解放」/天皇退位と憲法/退位論の終息 第4章 憲法愛国主義――第九条とナショナリズム ナショナリズムとしての「平和」/歓迎された第9条/順応としての平和主義/共産党の反対論/「国際貢献」の問題 第5章 左翼の「民族」、保守の「個人」――共産党・保守系知識人 「悔恨」と共産党/共産党の愛国論/戦争と「リベラリスト」/オールド・リベラリストたち/「個人」を掲げる保守/「世代」の相違 第6章 「民族」と「市民」――「政治と文学」論争 「個人主義」の主張/戦争体験と「エゴイズム」/「近代」の再評価/共産党の「近代主義」批判/小林秀雄と福田恒存「市民」と「難民」 第7章 貧しさと「単一民族」―一九五〇年代のナショナリズム 経済格差とナショナリズム/「アジア」の再評価/反米ナショナリズム/共産党の民族主義/一九五五年の転換/「私」の変容/「愛する祖国」の意味 第8章 国民的歴史運動――石母田正・井上靖・網野善彦ほか 孤立からの脱出/戦後歴史学の出発/啓蒙から「民族」へ/民族主義の高潮/国民的歴史学運動/運動の終焉 第9章 戦後教育と「民族」――教育学者・日教組 戦後教育の出発/戦後左派の「新教育」批判/アジアへの視点/共通語普及と民族主義/「愛国心」の連続/停滞の訪れ 第10章 「血ぬられた民族主義」の記憶――竹内好 「政治と文学」の関係/抵抗としての「十二月八日」/戦場の悪夢/二つの「近代」/「国民文学」の運命 第11章 「自主独立」と「非武装中立」――講和問題から55年体制まで 一九五〇年の転換/アメリカの圧力/ナショナリズムとしての非武装中立/アジアへの注目/国連加盟と賠償問題/「五五年体制」の確立 第12章 六〇年安保闘争――「戦後」の分岐点 桎梏としての「サンフランシスコ体制」/五月十九日の強行採決/戦争の記憶と「愛国」/新しい社会運動/「市民」の登場/「無私」の運動/闘争の終焉 第13章 大衆社会とナショナリズム――一九六〇年代と全共闘 高度経済成長と「大衆ナショナリズム」/戦争体験の風化/「平和と民主主義」への批判/新左翼の「民族主義」批判/全共闘運動の台頭/ベトナム反戦と加害 第14章 「公」の解体――吉本隆明 「戦中派」の心情/超越者と「家族」/「神」への憎悪/戦争責任の追及/「捩じれの構造」と「大衆」/安保闘争と戦死者/国家に抗する「家族」/「戦死」からの離脱 第15章 「屍臭」への憧憬――江藤 淳 「死」の世代/没落中産階級の少年/「死」と「生活者」/「屍臭」を放つ六〇年安保/アメリカでの「明治」発見/幻想の死者たち 第16章 死者の越境――鶴見俊輔・小田実 慰安所員としての戦争体験/「根底」への志向/「あたらしい組織論」の発見/「難死」の思想/不定形の運動/他 結論
小熊英二(おぐま・えいじ) 1962年東京生まれ。1987年東京大学農学部卒業。1998年東京大学教養学部総合文化研究科国際社会科学専攻大学院博士課程修了。 現在、慶応義塾大学総合政策学部教員。 著書:『単一民族神話の起源』(新曜社、1995)、『〈日本人〉の境界』(新曜社、1998年)、『インド日記』(新曜社、2000年)。
レビュー
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敗戦直後から1990年代の論壇を総覧できる大作
戦後を敗戦直後から1955年体制までを戦後第一期、60年代初頭の高度成長期から冷戦終了までを戦後第二期、それから 現代までを戦後第三期に分類し、その時期〃で戦争や民主主義をどのように見てきたのかを克明に追った臨場感十分な大作である。1000ページに及ぶ大作であるが、飽きることなく読み進めることができる秀作である。
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著者がいい。
よく調べている。
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1962年生まれがまとめた戦後日本のナショナリズムと世相
この本では、主に戦後思想史を牽引した人達の伝記のようなものをベースに、1945年~1970年までの『民主』『愛国』に関わる変遷を著わしています。 初めの方を読んで私が感じたのは、 著者が就学年で私の7学年下となる世代のせいか、50年代から東京オリンピックまでの社会背景の捉え方において絞りが効いていないのではないかという不満でしたが、読み進むにつれ、著者自身が意外と純朴に発見をしながら書き進めているのではないかという印象を持ち、だんだんと引き込まれました。その感触があることで、目まぐるしく変転していく時代を代表する思想家を綿々と紹介していくという本の体裁ながら飽きさせない本にしていると思います。 大枠としては良い読み物ではないでしょうか。 代表的な人物が網羅されており、それぞれの指向の変遷も辿ることができ、今の時代の気分からは想像しづらい゛政治の時代”とも言われた当時を垣間見ることができます。 戦後から1970年までの認識において、ともすると、偏ったり、ステレオタイプの媒体知識に頼っているかもしれないと感じる方や、70年代以降に物心のついた方にお勧めします。
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愛国と民主は常に対立してきたのか?
この本を初めて手に取ってのは夏、図書館でだった。 高校程度の教育では戦後史にはなかなか踏み込めない。若い自分がどんな土台になっているのか、どんな「日本」の上で生きているのかそれを知るために少し覗いてみたのがきっかけだった。 しかし、軽い気持ちとは裏腹に面白い。950ページの厚い本だが、読みやすくまさに目から鱗だった。 自分のタイトルに対する答えは「NO」。 簡単に言えば違う形で常に愛国を、そして民主を形成していった歴史が戦後1960年程度の歴史である。 この著作でも最後に「結論」とした章で長い文章をまとめている。そこから考えてみたいと思う。 まず戦争体験があって戦後直後が反映されていたこと。 当たり前のようだが、その戦争体験は第二次正解大戦の日本がさまざまな地域へ手を広げたため各地で異なり、また年代で異なったものであった(それがギャップとして戦後思想に影響を与える)。 天皇に対する印象も大日本帝国から日本国への移行としてかなり揺れ始めてた時期である。 次に愛国心の変化。 現代左派と言われる人たちにはかなり批判にさらされているが、愛国心ゆえに憲法に反対し、自分たちのアイデンティティを確立するために憲法9条を否定もしていた一面があったこと。これは現在しか知らなかった自分にとっては衝撃だった。 そして安保闘争ではアメリカ主導の憲法を逆手にとって、つまり自分たちの子供をもう戦争には遅らせたくない!という戦中を背景として改憲を反対したこと。いずれもあ「愛国心」があるがゆえに起こった行動であった。 表紙の昭和天皇に対する、大衆の表情。敗戦に怒っているのか、感激しているのか、それともほかの意味があるのか…この混沌とした雑多性が我々だと思った。 ポール・ゴーギャンが「われわれはどこから来たのか…」と言っているがまさに自分が立っている土台がどこにあったのかヒントを与えてくれる一冊である。
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<民主>と<愛国>を読んでの感想
私は1940年生まれで戦争体験者です。幼少でしたが、寝ているときに父親からよく起こされ「さあ早く起きて支度をしろ!」と言われ、眠いのに防空壕に入れられたり、夜道を田んぼの方に連れ出されたり、怖かった思い出が沢山あります。終戦後の1946年に小学校に入学致しました。それから77年が過ぎ、自分としては戦後をどうして過ごしたかよく覚えていません。幸運なことに衣食住には不自由しなかったためかもしれません。小・中・高・大と進む過程で専ら受験勉強に明け暮れた記憶しかありません。 過日、九州の友人から薦められて本書を購入し1か月かけて通読致しました。戦後とは「第一の戦後(1945年~1955年)」「第二の戦後(1960年~1990年)」「第三の戦後(1990年以降)」であり、その間で問題となった出来事を本書で学びました。 戦前の話として印象的なのは、学徒動員で戦場に送られた大学生が、自分より下っ端の上等兵にお説教されたり、殴られたりした事です。第一の戦後には、戦争中は発言できなかったそれぞれの思想の戦いがあり、「民主と愛国」問題がクローズアップしました。第一の戦後が終わり高度成長時代に入る1960年に安保闘争がありました。当時私は大学生でしたが、デモの是非がわからないのに、ゼミの教授に言われ60年闘争のデモに参加しました。その後、日米安保条約についても勉強し、この条約は日本が軍隊を持たない以上は必要不可欠なのだと思っています。 しかし、本書を読んで著者に対して不満なのは、60年安保闘争の経過だけを述べて、60年安保闘争に対する評価(著者の考え) がない事です。 60年安保闘争があれほど激しかったのは、今思うと、安保改訂実施の先頭に立っていたのが、戦犯で国民から最も嫌われていた岸首相であった、のが原因の一つような気がします。それ以外は当時、砂川事件に象徴されるように、現在の沖縄と同じ基地被害が全国で続き、基地反対闘争が「米軍撤退・日本の独立」を求めて、安保闘争の中で戦われたのだと思います。 したがって、岸首相が取り組んだのは、51年安保条約(片務的条約で日本が敵国から攻撃を受けてもアメリカは日本を手助けしない)を改訂(日本が攻撃を受けた時はアメリカは即、敵国を攻撃する)する事と、全国にあった米軍基地を沖縄に集中させた事(米軍基地の70%が沖縄に存在)で、日本にとって60年安保は51年安保の大幅な改善だったと私は思います。 第4章の「憲法愛国主義」及び「結論」で著者が述べている「憲法9条の改正反対」については、全く同感です。今自民党を中心に、憲法改正問題がクローズアップされています。私も最初は改正に賛成でしたが、様々な人の意見を聞いたり、数々の書物を読んだ結果、諸々の理由で憲法9条の改正には反対の立場をとるようになりました。以上が本書を読んで特に感じたところです。
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ゴジラ-1.0はどこまで「リアル」か。
映画「ゴジラ-1.0」がヒットしている。終戦直後を舞台にして「あの戦争」の記憶に切り込んだ本作が、どこまで史実に合致していてリアルなのかという論争が一部で起きているようだ。もちろんゴジラは実在しないので、あの時代を生きた人々の描写がどこまでリアルかということである。 そんなとき、真っ先に手に取るべきはやはり本書だろう。ちょっと常人では想像もできないほど膨大な量の文献を渉猟しながら、戦後を生きた人々が何を考えてきたのか――今風に言うとその「ナラティヴ」を、社会学的な手法によって鮮やかに描き出していく。それを通して、令和を生きる我々が漠然と持つ「戦後」のイメージを覆していく。たとえば六十年安保のころ、「全学連のリーダーのひとり」が石原慎太郎に「現代日本の真の左翼は石原だけだ」と述べたというエピソードがある。これは我々がもつ石原のイメージとは大きく異なるかもしれないが、しかし本書を読めばそうではないということも分かってくる。 本書については優れた評や要約が既に多く出ていると思われるので、ここでは「ゴジラ-1.0」に関係するところだけを(ネタバレにならない範囲で)取り上げてみたい。 まず、「ゴジラ-1.0」で重要なのは「特攻隊の生き残り」というコンセプトである。これについては、たとえばp.755に、小田実の以下のような回想がある。 「たしかに、そのころ、どこへ行っても「特攻隊くずれ」はいた。錨や星印をむしったあとをくっきり残した戦闘帽をかぶり、派手なマフラーを巻き、短い長靴をはいた青年が、わがもの顔に町を歩く。彼らの精神は荒廃していた。 彼らは、つい先日、「公」の大義名分のために自らの生命を犠牲にしようとしたのだが、そして、実際、彼らの同僚はすでに火ダルマになって太平洋に消え去っていたのだが、いま、その大義名分のいっさいが無意味なものになってしまっていたのである。…… 彼らの姿を目撃するたびに、かつて新聞紙上で見た、出撃寸前の彼らの悲壮にして美しい勇姿が二重写しのようになって、私の心のなかに現れてきた。ふたつの姿は、あまりにもかけ離れていて、なかなかつながらなかった。」 たしかに「ゴジラ-1.0」の主人公の敷島が抱えるトラウマと共通している点もあるが、敷島のように「清廉潔白な」人物は、たとえ実在したとしても少数派だったのではないだろうか。 また、「ゴジラ-1.0」には、かつて戦争を主導した政府は悪であり、民間が新しい日本を作り上げていくのだという世界観が見て取れる。これは実際に、終戦後まもない日本国民の実感や、知識人が採用した世界観に近かったのではないかと思われる。つまりこの点では、「ゴジラ-1.0」は史実にそれなりに即しているのではないだろうか。「一億総懺悔論」が忌避されたのは、(ナショナリズムの基盤でもある)戦死者への敬意に相反するからという面もあったという(p.106-p.108)。日本人が「加害者」でもあるという視点が受け入れられるようになっていくのは、高度成長期に入り、日本が豊かになっていった後のことである。それが極まったのが全共闘の時代で、戦死者が罵倒されるまでになった(p.595)。 さて、本書は索引を含めて966ページにも及ぶ大部の作品である。しかし著者の筆致は明快で、意外にもスムーズに読み進めることが出来る(評者はまだ体力のあった20代の頃に8割くらいを読んだ記憶がある)。本書は、戦後の「民主」と「愛国」、そして「あの戦争の記憶」の記憶として、これから何十年も参照され続けることになるだろう。 昭和は遠くなり、「戦後」も終わろうとしているが、しかしそれはまた、記憶されるに値される時代であったと言えるだろう。
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新品同様です
〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性 は、中古でしたが、新品と同じようでありがたかったです。 また内容は読み始めたばかりですが、わかりやすく、読みやすいです。
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戦後人気だったピント外れの左翼思潮の要約本
敗戦後から1970年代初頭までの政治思想史を概括した力作です。 A5判で960ページとボリューミーです。 文章はわかりやすく、読みやすいです。 内容は片手落ちでイマイチです。 敗戦後から55年体制成立までを「第一の戦後」、それ以後から冷戦の終結までを「第二の戦後」、冷戦終結から現在までを「第三の戦後」と分類しています。 廃墟と化した敗戦後の日本が、今日の経済大国になり国際的地位を築いたのは保守政治本流のたぐいまれな国政運営の成功によるものです。 共産主義を排し自由主義民主主義諸国の列に加わった吉田茂首相、所得倍増をスローガンに豊かな国民生活実現を目指した池田勇人首相、「軍備なき経済大国」を目指し実現の舵取りに力を発揮し、なおかつ交渉によって沖縄をアメリカから返還させた佐藤栄作首相たちが信奉した思想をこそ戦後思想の中心に据えるべきです。 ところがこの作者がといり上げているのは左翼が支配的なマスコミ、ジャーナリズムで一時的に話題になったモノばかりです。 それぞれの時代に流行った言説について、その内容・意義・影響について紹介しています。 取り上げられたテーマは、焦土とモラル、総力戦と民主主義、天皇論、憲法、政治と文学、ナショナリズム、歴史学、民族主義、自主独立、60年代安保闘争、大衆社会、生活者など、戦後を賑わせたトピックスです。 論者も、丸山眞男、大塚久雄、井上清、竹内好、吉本隆明、江藤淳、小田実、鶴見俊輔など多彩です。 当時は華々しく取り上げられたこれらの思想家、言説は、ほとんど風化し、あるいは忘れ去られています。 勝海舟の「世間は生きている、理屈は死んでいる」という言葉を思い出します。 この作者も左翼バネの利いた思想的スタンスです。 参考になっても共感は覚えません。
関連する文学賞
- 毎日出版文化賞 第57回(2003年) ・受賞
- 大佛次郎論壇賞 第3回(2003年) ・受賞