作品情報
行方不明だった友人が、ドイツの街に現れる。記憶と喪失が静かに重なり合う物語。
講談社から2021年に刊行された石沢麻依のデビュー作。ドイツの学術都市を舞台に、震災で失われた時間と場所の記憶をたどりながら、生者と死者、現在と過去の重なりを繊細に描く。静謐な文体と重層的な構成が印象に残る。
レビュー要約
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静けさのある文体と、震災の記憶を異国の風景に重ねる構成を評価する声がある。一方で、象徴的な描写の多さから、解釈に時間がかかると感じる読者もいる。
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夢のような静謐さと、美しい文章の流れを支持する感想が目立つ。物語の輪郭がすぐにはつかみにくいという受け止めもあるが、その曖昧さを含めて余韻が残るという反応がある。
書籍情報
- 出版社
- 講談社
- 発売日
- 2021-07-09
- ページ数
- 162ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 13.21 x 2.54 x 19.56 cm
- ISBN-13
- 9784065241882
- ISBN-10
- 406524188X
- 価格
- 1344 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品
第165回芥川賞受賞!第64回群像新人文学賞受賞のデビュー作。 コロナ禍が影を落とす異国の街に、9年前の光景が重なり合う。ドイツの学術都市に暮らす私の元に、震災で行方不明になったはずの友人が現れる。人と場所の記憶に向かい合い、静謐な祈りを込めて描く鎮魂の物語。 (群像新人文学賞 選評より) 記憶や内面、歴史や時間、ここと別のところなど、何層にも重なり合う世界を、今、この場所として描くことに挑んでいる小説 ーー柴崎友香氏 人文的教養溢れる大人の傑作 曖昧な記憶を磨き上げ、それを丹念なコトバのオブジェに加工するという独自の祈りの手法を開発した ――島田雅彦氏 犠牲者ではない語り手を用意して、生者でも死者でもない「行方不明者」に焦点を絞った点で、すばらしい。清潔感がある。 ーー古川日出男氏
いしざわ・まい 1980年、宮城県生まれ。東北大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、ドイツ在住。2021年、「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞を受賞。同作が第165回芥川賞候補作となる。
レビュー
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神ってる作品
読んでいるときに、文章に吸い込まれました。 死ぬかと思いました。
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難解
今年の芥川賞受賞作品ということで早速読みました。 設定が難しくて途中まで何を伝えたいのか、おそらく東日本大震災の記憶のあり方を巡ってドイツの町にて同じように色んな人の思いやその道具が時空を超えて現れたり消えたりすることで何かを表したいのであろうなと言うあやふやな期待で読み進んでいくのであるが捉えきれない不安感が増しました。 物事を語るのに短文をかなりの量重ねて心情を表そうとしているのが文体の特徴です。 正直言って上手く響くところと、まとわりついたような感じのところが半々と言ったところです。 街の中に太陽系を配したところはアイデアです。そこに今や惑星としては分類されなくなってしまった冥王星がシンボリックに登場します。 時空を超えたSF小説だったらもう少しスッキリするのですが、終わり方も自己満足感が伺われます。 色んな試みがなされた野心作であることは確かです。
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ストーリーに乗り切れない
第165回芥川賞受賞作品(2021年上期)。 文章の一つ一つはとても美しいと思う。のだけど、小説として読むとなるとちょっと過剰でしんどい気がする。その重さを全部引き受けて読めない自分の度量のなさなのかもしれないのだけど、なかなかストーリーに乗り切れない。 あまり自分には合わないタイプの小説だと感じた。ほんとうに文章は美しいし、奥行きがある。
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何が書いてあるのかわからなくて狂いそうになった
日本語なのに何が起きているのかわからなくて狂いそうになった。徐々に記憶の話なんだと理解して気合いで読み進み、解説を読んでようやく理解した。
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難しいです。
よく分からなくて途中で断念しました。
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芥川賞
芥川賞受賞作品ということで気になっていた作品。。中古で半額で買いました。1500円は高い 文の描き方センスがあり繊細でよいのですが全体的に何が書きたかったのか不明瞭⁈ なんとなく自分の文章表現に酔っているような感じが見受けられる 個人的には内容はあまりおもしろくはないです。次の作品に期待します....
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生存者の罪悪感と死者の自由、その距離
わたしは3月11日の被害者ではない。友人に被災者はいるが、死者はいない。わたしは、ただ、というか、不遜にも、5月に仙台を訪問し、停電や水不足、初期の支援奔走を経験した友人の車で、あの道路の向こう側にまで案内していただいたものに過ぎない。 「仙台東部道路を挟んだ土地の写真を見た時、私の目の中にこの二面の顔が重ね合わせられた。海にのみ込まれた場所と、津波が届くことのなかった場所、この二つは時間が経っても完全に戻ることはない」(p.117)。 しかし、津波が届かなかった場所にも、爪痕はある。「白く傷を帯びていないように見える半面についても、想いは向けられる。もう半分もまた傷跡を抱えているのだ。建物の倒壊、土砂崩れ、道路の亀裂や土地の液状化」(同)。「洗えなくなった皮膚の上につもる澱みとべたつく重さ。針のように突き刺さる寒さ」(p.60)。 それにもかかわらず、彼女は「海に対しても原発に対しても原発に対しても、間接的な視点や距離感しか持っていない・・・私の視点は、常に額縁の外に置かれている。額縁の外から、画面の中にある削られた場所と常態を取り戻す海を眺めているにすぎない」(p88)と言う。 わたしは、額縁の外のさらに外にいる。絵を見てさえいない。しかし、せめて、言葉になった3月11日からは距離を置いてはならないという囁きに導かれ、この小説も読んでみた。 3月11日の死者がいる。死者の近くにいた人びとがいる。死者を知らずに、ただ、あの日があったことを忘れてはならないと思う人びとがいる。 それ以前の死者もいる。その家族も友人もいる。何百年も前の死者もいる。町や森はその堆積だ。それらの町や森はひとつではなく、たがいに距離を維持しつつ、いくつもある。しかし、死者たちには、それに束縛されない自由がある。
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感性優れた著者ではあろうが。
感性優れた人なことは1頁目からわかる。が、何しろ不必要に持って回って文章飾りすぎ。それが目的化した感あり、いかに芥川賞と言えどもここまでくると悪質。他の投稿評を読んでみると、詩なら、とか、短編なら、とかの指摘があるがほぼ同感。或いは研究レポートとしてならどうか知らないが、小説としては読ませるものが無い。途中でうんざりしてからは飛ばし読みの末半ば手前の65頁でやめた。数頁か10頁も読んで苛立つだけの作品は即座に放り投げるのが常の私としてはよく読み進んだほうだが、理由は、これだけの感性の著者なら、という期待があったからだ。だが見当はほぼ付いた。表現が参考になるというのもあったが、この点からは最初の1頁2頁でじゅうぶんだ。でもあと数年研鑽を積めばよくなる著者かもしれない。 ただなるほどと思ったのは「悟空」さんの評で、参考になった。もし時間があればもう一度読んでみても悪くないかなと思うが、根気がまず続かないでしょう。そこまでしてどうせ読むならもっと文学的に洗練されたものを選ぶでしょう。
関連する文学賞
- 芥川龍之介賞 第165回(2021年) ・受賞
- 群像新人文学賞 第64回(2021年) ・受賞