作品情報
途方もない男、松浦武四郎が見た北の大地と時代の歪み。
小学館刊、二〇一八年六月発売。二〇一九年に舟橋聖一文学賞を受賞し、北海道ゆかりの本大賞や中山義秀文学賞の受賞作としても知られる。
レビュー要約
-
武四郎の独立不羈な人物像と、アイヌをめぐる不正への怒りを物語に組み込む点が評価されている。歴史上の人物を親しみやすく描きながら、植民地支配の影も見つめる。
書籍情報
- 出版社
- 小学館
- 発売日
- 2018-06-08
- ページ数
- 317ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 13.7 x 2.7 x 19.5 cm
- ISBN-13
- 9784093865104
- ISBN-10
- 4093865108
- 価格
- 2600 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論
“北海道の名付け親”を描いた決定版小説! 明治16年。齢60を過ぎても矍鑠としている松浦武四郎は、絵師の河鍋暁斎の家にやって来ては、暁際の娘の豊に昔語りを始めるのだった――。 武四郎は、文化15年に伊勢国、今の三重県松阪に生まれた。早くから外の世界に興味を持ち、16歳で家出する。その後は、蝦夷地をはじめ日本全国を歩いた冒険家として、また“北海道の名付け親”として知られる。 蝦夷地は6回も訪れ、アイヌと親しく交わり、9800(!)ものアイヌの地名を記した地図を作り、和人による搾取の実態を暴いて公にしたため、命を狙われた。そして、〈北海道〉は最初の提案では、〈北加伊道〉だったという。そこにはアイヌの人々に対して籠められた武四郎の思いがあった。蝦夷地通として、吉田松陰や坂本龍馬にも相談に乗っていた。 ただ、武四郎の凄さはこれだけではない。 古銭をはじめとして一流の蒐集家であり、古希の記念に富士登山をしたり、葬儀の一部始終を記した遺言状を作ったり、一畳敷の茶室を自分の棺にしようとしたり、〈終活〉にも達人ぶりを見せていた。 武四郎老人が自らの生涯を振り返るという形式で、「傑物にして奇人」であった全貌に迫る伝記小説。 【編集担当からのおすすめ情報】 今年(2018年)、生誕200周年事業が三重県松阪市で行われ、北海道150年記念事業のなかでも、キーパーソンとして北海道のホームページでも詳しく紹介されています。涙と笑いのエピソードが盛り込まれ、しんみりと心に響く長編小説です。
レビュー
-
いつまでも松浦武四郎のような好奇心とやさしさを持ちたい
三重県出身の武四郎は北海道の名付け親、6回も北海道(当時は蝦夷地)を探検した人。アイヌと生活しその文化を紹介した人、70才になってから日帰りで富士山に登った健脚の持ち主、いつまでも好奇心を忘れず、心優しく、私の理想の人です。この本は松浦武四郎の一生が分かりやすくしっかりした調査に基づいて書かれており、江戸末期から明治初期の実在人物の名前も多数登場し何度読んでもワクワクします。
-
プレゼントにはなまる
中学1年の孫にプレゼント。喜んでもらえました。
-
庶民感覚で北海道名付け親の松浦武四郎像が親しみやすく描かれている。
作者もあとがきで触れているが、北海道踏査でのアイヌとの触れ合いの記述が十分でなかったようにも思われる。 終盤では骨董収集癖の老人、武四郎の終活ぶりが面白く描かれていた。 武四郎が提案した北加伊道の加伊(カイ)はアイヌ語ではこの国に生れた者という意味がるそうで、武四郎は、あえてその意味を北海道の命名に込めたいうことに、武四郎のおアイヌに対する想いがうかがい知れる。
-
すごく面白かった
北海道命名150年で話題なので興味がわき購入しましたが松浦武四郎の優しくあたたかな人柄に感動しました
-
当時の「蝦夷地」が良く記されている
著者は「日本常民文化研究所」の所員であるが、既に亡くられている。 「松浦武四郎」は「文政元年」(1818年)に「伊勢國」志郡須川村(現在の三重県三雲村)で生まれた。家は「郷士」(武士のかたわら農業も行う)で「庄屋」であった。時代は「江戸時代」末期である。 13歳で「江戸」に上り「篆刻家」に居候したが、間もなく帰郷した。「天保5年」(1834年)の17歳の時に家から出て「篆刻」で稼ぎながら26歳になるまで全国津々浦々を巡った。途中で「赤蝦夷」(ロシア人-赤人とも言う)が北方を占拠していることを聞いて北方に関心を持った。そして「江戸」に向かい、そこから「江差」(北海道南部)に向かった。当時「蝦夷(北海道)」では渡航が自由ではなくそこの住民にならなければ渡航できなかった。「江差」に渡ったのも「江戸」でそこに住む商人と知り合ったからである。そして「江差」に連れて行ってもらい、その縁故で<江差人別帳(戸籍)>を得て、自由に「蝦夷」に居住できるようになった。それを得て「蝦夷」をくまなく巡り、再び「江戸」に向かった。そこで『初航蝦夷日記』(12巻-完成は「明治時代」になってから)書き始めた。 「江戸」で「蝦夷」を自由に巡れるように「アイヌ語」を学んだ。 「弘化3年」(1843年)に再び「蝦夷」をくまなく巡り「嘉永2年」(1849年)に「松前」で「請負支配人」と知り合い、「国後島」、「択捉島」に渡った。そこで「松前藩」の「請負制度」(「請負支配人」を任命して、彼から予め税を徴収し、「請負支配人」は現地の「アイヌ人」から獣皮(ラッコ、アシカ、アザラシ、セイウチ、トド、鯨)を獲らせたが、「アイヌ」に対する処遇は過酷であり、しばしば「叛亂」を招いたのである。さらに「蝦夷」を巡り「安政3年」(1856年)には「樺太」の南端に渡り調査した。このときのことを表したのが『後報羊蹄日記』と『太櫓記』である。このころには彼は「蝦夷探検家」としてかなり有名人となっていた。翌年『北蝦夷日誌』を幕府に献上した。ここには先の「松前藩」の「請負制」の禁止を進言している。「旗本」の娘と結婚した。42歳のときであった。「明治元年」(1868年)に51歳で引退したが、「明治維新政府」は彼の「蝦夷地」への知識を利用しようと当時「北海道」を支配する「徴土・函館府」の「判事」(「裁判官」よりも「行政官」の色合いが濃い)に任命し、次いで「開拓判官」(「開拓御用係」)に任命した。彼の最も大きな功績は「北海道」の地名を決めたことである。この詳細は『道名の義に就き意見書』に記されている。今度こそ「明治3年」(1870年)に53歳で引退し「神田五軒町」(現在の文京区「江戸川橋」の南-早稲田大学の南1キロ)に住み「明治21年」(1888年)に71歳で亡くなった。 「江戸」や「蝦夷」から遥かに遠い「伊勢」に生まれて思いもしなかった「蝦夷」にまで旅した人生であった。
-
松浦武四郎はどんな人?答えはここに
探検家、ルポライター、出版者、そしてアイヌ民族の権利擁護…。松浦武四郎にはたくさんの顔があり、各分野での専門書は多いのですが、「一体どんな人だったんだろう」という視点での本は稀でした。「がいなもん」はとんでもない量の知識を基に「武四郎はこんな人」という姿を小説として描き上げています。好奇心と義侠心、非力な自己との葛藤、そして洒脱さ。熱い奇人の実像が眼前に浮かび上がります
-
ポリコレ評価?
中山義秀賞と舟橋聖一賞を受賞しているが、明治16年から数年、老人となった松浦武四郎が昔語りをするのを、河鍋暁斎の娘・豊が聞くという体裁なので、有名人の名前が出てくるたびに「ええっ」というのがだんだんアホらしくなってきて白けてしまう。それにこの書き方だと武四郎の、その時点での生きるか死ぬかの迫力が伝わらない、明治ののんきな昔話になってしまう。アイヌ関係のポリコレで評価されたのかなあ。
-
知りたかった事山ほど教えてもらいました。
ひょうひょうとした武四郎の姿が、 河鍋暁斎の娘「お豊」との話で浮き上がってきて 今まで不思議だと思っていたことが ああ、なるほど~!ってわかっていきました。 歴史の中での武四郎のスタンスが丁寧に描かれていると思います。
関連する文学賞
- 舟橋聖一文学賞 第13回(2019年) ・受賞
- 北海道ゆかりの本大賞 第3回(2018年) ・本大賞