芸術選奨文部科学大臣賞 げいじゅつせんしょう もんぶかがくだいじんしょう
第35回(1985年)
受賞者
16名自身も病を経験した上田三四二が、死病に向き合う知友の運命を描きながら、生のはかなさと人間の尊厳を見つめる小説です。静かな観照の文体で死生観を掘り下げます。
病と死を見つめる静かなまなざしが、生の尊さを浮かび上がらせます。
吉村昭『破獄』は、昭和期に複数の脱獄を重ねた無期刑囚をモデルに、刑務所の制度、看守との攻防、戦中戦後の社会の揺らぎを克明に描く記録文学的な長編である。脱獄の技巧だけでなく、人間を閉じ込める制度とそれを破ろうとする執念のぶつかり合いが中心に置かれている。
脱獄犯と看守たちの攻防を、戦中戦後の混乱に重ねて追う長編である。
菅野昭正『詩学創造』は、北原白秋、萩原朔太郎、三好達治、伊東静雄、西脇順三郎を中心に、日本近代詩がどのように独自の詩学を形成したかを読む評論である。作品の精読を通して、詩人ごとの言語感覚と近代詩の展開を結びつける。
近代詩の読みから、日本語の詩が自らの理論を生み出す過程をたどる評論である。
若桑みどり『薔薇のイコノロジー』は、薔薇を愛、生命、女性、権力、宗教的象徴として読み解き、西洋美術と精神史の中でそのイメージが担った意味を追う美術史研究である。図像の細部から文化の深層へ進むイコノロジーの方法が生かされている。
薔薇の図像を通して、西洋の愛と生命の象徴史を読む美術史の著作である。
『タンゴ・冬の終わりに』は、清水邦夫の戯曲を平幹二朗が主演した舞台で、かつての映画俳優が古びた映画館に身を置く物語を通して、記憶、演技、老い、失われた時間を濃密に描く。『王女メディア』はギリシア悲劇をもとにした平幹二朗の代表的な舞台で、裏切りと復讐、母性と破滅を鋭い身体表現で立ち上げる作品である。
俳優の身体が、過去の映画館と古代悲劇の両方を現在に呼び戻す舞台である。
『麻雀放浪記』は、戦後の混乱期を背景に、勝負の世界へ踏み込む若者と癖の強い博徒たちを描いた映画である。『伽椰子のために』は在日コリアンの青年と少女の関係を通して、家族、民族、社会の境界を見つめる映画で、安藤庄平の撮影はそれぞれの作品の空気と人物の孤独を支えている。
戦後の勝負師の闇と、境界に置かれた若者のまなざしを映した撮影成果である。
『マリア・ストゥアルダ』『蝶々夫人』『祝い歌が流れる夜に』は、日本オペラ振興会の活動として評価されたオペラ上演である。歴史劇、プッチーニの悲劇、日本語オペラの舞台を通じて、声楽、演出、団体運営の総合力が示された。
海外オペラと日本語オペラを並行して上演した団体活動の成果である。
『七騎落』は、石橋山合戦に敗れた源頼朝一行の落行を題材にした能に基づく日本舞踊作品である。西川扇藏の舞台は古典の筋立てを踏まえながら、敗走、忠義、再起の緊張を舞踊の構成へ移したものとして評価された。
敗走する武者の物語を、古典舞踊の型と緊張で描く作品である。
『水墨黄山シリーズ』は、中国・黄山の奇岩、雲、山気を水墨の濃淡と余白でとらえる絵画連作である。下保昭の作品は、写生的な山岳表現を越えて、山水画の伝統と現代日本画の感覚を結びつけている。
黄山の山気を、水墨の濃淡と余白で現代の山水へ変える連作である。
須田寿『家族』は、人物と室内の関係を通して家族の気配や距離を描く絵画作品である。日常的な題材を扱いながら、親密さと孤独、世代の隔たりを静かな構図の中に置く。
家族という身近な主題を、静かな構図と人物の距離で見せる絵画作品である。
粟谷信太郎による能の舞台成果で、能楽師としての芸と身体表現が評価された受賞対象です。演能としての「千寿」は、謡、舞、間合いを通じて古典芸能の緊張を示します。
謡と舞の呼吸が、古典能の張りつめた時間をつくります。
佐々木昭一郎の映像作品で、音、光、風景、人の気配を詩的に組み合わせる「川」シリーズの一作です。スロバキアを舞台に、映像と音の関係そのものを物語化します。
光と音が川のように流れ、異国の風景に人の気配を重ねます。
幸田弘子による朗読・舞台表現の受賞対象で、文学作品を声によって立ち上げる芸の成果です。「冬のわかれ」「一葉のゆうべ」は、語りの間と声色によって文学の情景を観客へ届けます。
声の間合いと響きが、文学の情景を舞台の時間へ変えていきます。
『タンゴ・冬の終わりに』は、清水邦夫の戯曲を平幹二朗が主演した舞台で、かつての映画俳優が古びた映画館に身を置く物語を通して、記憶、演技、老い、失われた時間を濃密に描く。『王女メディア』はギリシア悲劇をもとにした平幹二朗の代表的な舞台で、裏切りと復讐、母性と破滅を鋭い身体表現で立ち上げる作品である。
俳優の身体が、過去の映画館と古代悲劇の両方を現在に呼び戻す舞台である。